2018年3月27日 (火)

佐川さんはこの先どんな扱いを受けるかで事の真相が垣間見れるかも知れないね?

国税庁長官は辞任したけれども、財務省を退職した訳ではないんだよね?
ほとぼりが冷めた頃、また要職に就くような事があれば、面白い推測が成り立つかも知れない。ただし、本人の実力が素晴らしく、人事記録の大きな傷があっても関係ないくらい佐川さんを要職に付けたいと思わせただけであることを否定できないので、また要職に就くような事があっても推測が成り立つとは限らない。面白おかしい推測ネタの域を出ないだろう。
今回この話は何処からリークして来たのだろうか?
国税庁内に”流石に拙い”と思わせるだけの法的な問題があった?
国税庁の単独暴走で幕引きが行われた場合に政権内で一番得をするのは誰?阿部さんとは限らないよね?
国税庁の単独暴走で幕引きが行われたとすれば、懲戒処分の対象になるので、要職に復帰できる筈はないよね?
経済再生の途中で腰折れしそうな政局から一転国税庁単独責任になれば、経済再生も順調に回り続けるだろう。その場合、一番利益があり、寄付金が多い団体は何処だろうか?
ここでは具体的な推測までは書かないけど、僕自身は経済再生も順調に回り続ける事で利益を得ることが出来る人間の一人なので、税金が無駄に使われない幕引きなら森友問題なんかどうでも良い。
ただ、そんな訳の分からない事で税金が使われ、特定の人が巨額の富を得るような事はもう止めてほしいけどね。

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2018年3月26日 (月)

上部構造とは?

上部構造とは?
上部構造へのシフトが、何故久世が言っていた難民への復讐と救済になるのか?
ネットワークを上層から眺めるとは、ネットワーク上を駆け巡る情報を上層からコントロールすると言う事だろう?必ずしも狙った通りに動くとは限らないだろうが、ネットワーク上を流れる情報はコントロール可能な事をアメリカ大統領選挙のフェイクニュースが実証したと思う。これに対してFaceBookは偽ニュースを削除するようなプログラムを走らせるらしい。このフィルターを掛けると言うアイデア自信がネットワーク上の情報をコントロールする事を意味するよね。以前、自分の無意識をコントロールしたいなら意識的に正しい情報を得るようにするべきだと書いたけど、我々は既にフィルターバブルの中に住んでいる。昔なら新聞がその役目を負っていただろうけど世論操作と言うようなものが、ネットワーク上を駆け巡る情報をフィルタリングすることでも可能である。情報自体をフィルタリングすることの他に、情報の隔離とも言えるようなアクセスする回線を細くすることでもそれは可能だろう。物理的な回線でも論理的な回線でも、Googleのような検索サイトの後ろのページに追いやるような仕組みでも行為でも、それは簡単に無し得る。だから、それらの役目は新聞の独占では無く、他の業態にシフトしてきたと言う事なんだろう。それを上部構造へ移行した一般人の手にシフトする事も可能だろう。ただし上部構造へ移行した人達にもう投票権はない。投票権を持つ人をコントロール出来るかも知れない能力だけを持つ事になるだろうか?
耳当たりの良い情報に飛びつき、騒ぐだけ騒ぎ、その結果起こった事に対しては一切責任を取ろうとしない、そして直ぐに忘れてしまうような連中に久世が失望したとすれば、投票権を持つ人をコントロール出来るかも知れない能力を提供することは救済になるだろう?また、実際には投票権が附帯する実体を持たない、つまり、恐らく何も結果を享受出来ない状態にすることは復讐になるだろう?言い換えれば、久世を失望させた人々には、コントロールしている甘美を、しかし結果を享受出来ない苦渋を与えるだろう。
最終的に自己満足に走ってしまい、結果を顧みない。自分たちは頑張った、負けなかったと思いたいのかも知れないが、全てを無くして満足感だけが残ってもそれは勝利とは言えない。何かを勝ち得て初めて勝利と言える。そう言う意味で、目標を正しく見定め続けられる久世は、確かに革命家と言えるだろう。神の使いとか、思想家のような人々を導く存在と言っても良いかも知れない。
2nd Gig.を見て、「上部構造?」と疑問に思って考えた事は概ね書けたように思いますが、どうだろうか?何も解説とかを読んでいないので、的外れかも知れません。まあ、このKey Wordで僕が勝手に推論しただけ、とした方が良いかも知れません。

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2018年3月17日 (土)

退職を卒業と言い換える

先日、日経スタイルに「会社を退職ではなく、「卒業」する人が増えるわけ ライター 猪瀬聖 2018/3/10https://style.nikkei.com/article/DGXMZO27540540R00C18A3000000?channel=DF130420167231&style=1」と言う記事が載っていました。
まだ、10年くらいですが、記事を読み始める前に題名だけ見て”この題名で自分なら何を書くだろう?”と一通り考えてから読むようになりました。まあ、”引っ掛かった題名”だけなんですが、この「退職を卒業と言う」と言うKey Wordを見て、日本の終身雇用制からの変化を言うだろうか?日本では小学校に上がってから、概ね3~4年で卒業を繰り返します。その職場で勉強した、学ばせて貰ったと言うイメージで退職するならば、それは学校を卒業するのと同じだろう。学歴と言うキャリアを重ねるように卒業を繰り返すなら、何ともアメリカナイズされた働き方に変化したものだ。それから、感謝を持って職場を去るのであれば、それはとても前向きな考え方で素晴らしいな、そう考えました。
記事の中では、この「卒業」の出何処はリクルートである、リクルートでは大学と同じように卒業生との繋がりを重視し、出戻りもOKだそうです。他の会社でキャリアを積んで戻って来てくれた、と考えるそうです。コニカミノルタも出戻りOKだそうです。そう言えば、自分の属する業種の取引先にも出戻りが結構増えました。以前自分の部署にいた職員が海外留学後、取引先の企業の一つに就職し、先日営業活動の一環として僕の所を訪問してくれた時には嬉しかった。
他の”経営者に聞く”と言った企画の記事でも、出戻りOKの話しが載っていましたが、高度経済成長期における日本お得意の垂直産業から水平産業への移行が他の業種でも起こっている、垂直産業における社内単独のイノベーションでは無く、他社とのコラボレーションによるイノベーションに産業構造が変化して来たのだろうと思えます。そして、退職では無く卒業と言うような企業の社長たちは、いち早くその変化に気づいていたのかも知れません。
どちらが先に起こったのか、また、必ずしも相関があるのかは解りませんが、退職と言う過去にはマイナスのイメージだったものが、卒業と言うプラスのイメージに変化し、退職者を裏切り者から仲間と考えるようになったのであれば、企業間連携もスムーズなものになり、素晴らしいことだなと思います。

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2018年2月19日 (月)

Digital Diveideは国民皆保険の現場にも出てくるだろう

日本は国民皆保険の中で、医療は公平に受けられるものと認識している人が多いだろう?
実際には既に地域格差、機会格差があって、ちっとも公平に受けられる訳では無い。その辺りは理解されているだろう。
少子高齢化の先には医療サービスを行う人員の先細りもあり、解らない人への丁寧な説明も難しいものになりそうな実感がある。インテリジェンスの差が機会の取得差につながるだろうと思われる。それはPHR(Personal Health Record)の自身での管理などから最初に起こるだろうか?
近年最新の医学知識はネットで簡単に調べられる。英語と専門用語、また、それらを理解できるスキルさえあれば医者より詳しくなれる。日本では好きな医療機関に行けるので、自分の疾患を得意としている医師の所へ行ける。当然治療も上手くいく可能性が高いし、患者の知識レベルが高ければ、訴訟の可能性を回避したままエビデンスレベルの低い最新治療にまで踏み込む事も出来るだろう。
だから既に医療における差別は存在しているのだけれど、行政上、選べる医療機関にもネット上の情報収集にも制限はありませんから、みんな差別は無いと思っているでしょうか?でも行政がやるとなると反応は違いますよね?
ちょっとDigital Diveideから離れてしまったが、Digital Diveide自体も個人の努力の成果を差別と呼んでいるだけの事だから、根本的には同じである。子供の公平は努力とは無関係に同じだけ分配されるが、大人の公平は努力した量に応じて分配される。
PHRのデータは自分でも見ることが出来るように作られると思うので、読み解く能力差によって利用価値には差が出来る。行政の行う措置になるだろうから、読み解く能力の低い人にも配慮するように圧力が掛かり、理想とはかけ離れたような何だかやたらと手間のかかる面倒なPHRシステムになりそうな気がする。
医療もIT化が進んで来ていて、医療に関係する行政サービスもIT化は避けられないけれど、そこに付きまとうのはDigital Diveideと言う名の差別です。まあ、後10年で後期高齢者の仲間入りをしそうな人たちのITスキルは決して馬鹿にするようなものではありませんので、こんな話は杞憂かも知れません。

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チーム医療とグループ医療を別けて語る人が増えたね

エイミー・C・エドモントンの「チームが機能するとはどう言うことか」から引用して、 グループとは「複数の人間に拠る空間的・心理的・目的理由の集団」であり、機能しなくても良いし、成果も求めない。 一方、チームは「達成すべき目標やアプローチ等を共有し、連帯責任を果たせる保管的スキルを備えた集団」であり、個人単独より大きな成果が求められる。 こんな分類がきっと正しいのだろう?(この分類は僕がしたものではありません。) チーム医療と言う言葉だけが独り歩きして、意味不明なチーム論を振りかざした講演とか聞くと、時間の無駄だったとか、これを聞いて誤解する人が増えたら困るなとか、チームとか言ってる割には考え方は変わらず縦割りなんだとか思っちゃいます。 個人が十分なスキルを持つ前提条件も無く集まってもねえ・・・とか、指示が無ければできないとか言う人や指示を待ってるだけの人はメンバーには入れないよねえ・・・とか、ポリシーやゴールを共有してなけば、もっと言えば、何処までは攻めるべきで何処からは守りに入るべきか共有できていなければ、メンバーのスキルは発揮されない。 小学生のサッカーチームからプロのサッカーチームまでレベルは雲泥の差だけれども、相手よりたくさん点を取って勝つと言うゴールは変わらない。ゲームならそんなレベル差も許容するけど、相手は人だからさ、目の前に何もしなければ死んじゃう人が居て、ただワイワイやってるだけじゃとても救えない。 チーム医療とグループ医療を別けて語りたい見識のある人たちには、チーム医療と言う使い心地の良い言葉が独り歩きしている状況を憂いいているって事なんでしょうかね?

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2018年2月 7日 (水)

医療情報においてもフェイク情報を危惧しなければならなくなったか

カナダのトロント大学のJolene H. Fisher達がWeb Site上のIPF(特発性肺線維化症)の特長と治療薬に関する情報の正確性と質を調査したところ、ほとんどのWeb Siteで不完全、不正確な情報が含まれ、全体の48%はIPFに適応が無いか有害となる薬物療法を掲載していた、との報告をAmrican Journal of Respir Crit Care Medに報告したそうです。
Internet上のフェイクニュースと違って、不正確な情報をあげた人達が混乱を狙っての事では無いでしょうが、教科書やガイドラインの様に大勢で検証した方法を載せている訳では無い事を読者は理解しなければならないのはInternet上のフェイクニュースと同様です。
ジェームズ・ヘックマン シカゴ大学教授がロイターニュースの視点:日本に必要な3つの改革、まずは幼少期教育に重きを=ヘックマン氏https://jp.reuters.com/article/2018-views-japan-james-heckman-idJPKBN1FL4ALの中で、「スキル形成と創造性重視の教育」の項で「学生が創造的であると同時に確かな情報に基づく議論で権威に挑戦できるように、教育する。権威への白紙委任や丸暗記の学習は減らす。そして学校や人生において、第2、第3のチャンスを与えるべきだ。」と述べているが、ネット検索で答えだけを丸暗記する今時の若者たちには、ハードルが高い話だろうか?
このBlogも同じことが言えますが、個人的な意見を検証も無く載せているので、間違えているとか、言い過ぎとか、検証が足りないとか、色々問題はあります。頭の中のイメージを書くことで纏めてゆく行動スタイルの結果としてEvernote上に出来た文章群の一部を”まあ誰かのヒントにでもなれば”と載せているだけなので、まるで嘘は書きませんが丸っと信用されても困ると言うのが本音です。
現在、Web Siteの情報を読み解く能力は、一般のものだけでは無く医療系のものにまで及んで来ているようです。
症状と投薬、経過の正確な情報をリアルタイムに検索できれば、より正しい治療と医療費削減を同時に達成可能な情報基盤になり得るものなので、医療用のDBに載せるようなものはFormatの統一化と情報の正確性を調べる手法が必要なんでしょうね。AIを使っちゃうなんて方法もありですが、AIなんて言葉を使っただけで厚生労働省からクレームが来そうですよね。

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2018年2月 6日 (火)

海外の楽譜がネットで買える♪

YouTubeでJérémy Jouveが弾く"The Vermeer 's labyrinth"を聞いて、”これ弾いてみたい”と思っていたら、Sellfyと言うサイトのリンクが張ってあり、そのままPDFで楽譜が買えました。便利な時代になったもんです♪
メロディアスな曲ですが、Mathias Duplessy の曲でした。Mathias Duplessyは、Guitarだけでなく弦楽器なら何でも弾けるんじゃない?って人で、見た目飲んだくれの陽気なオジさんのような雰囲気で超絶テクニックで陽気な曲を弾く人って印象を持っていましたが、調べてみたらメロディアスな曲を沢山作曲していたのですね。
Jérémy Jouveの演奏を聴いていて”押さえているところと出てくる音が違う気がする”と思っていたのですが、TuningがDADGADでした。DADGBEくらいならそのまま楽譜を追えますが、これは難しい。それにこの半分壊れた小指であんな高音を綺麗に出せるだろうか?
まあ、それは置いといて、Andrés Segoviaのレコードを先生にFrancisco Tárregaの楽譜を手に入れるのに苦労していた学生時代は一体何だったのか?と思うほど便利な世の中になりました。因みに"The Vermeer 's labyrinth"は5€でPayPalで払いました。

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2018年2月 4日 (日)

フェイクニュース対策はもろ刃の剣

「英、「偽ニュース」対策部隊創設へ 情報工作を警戒 2018/1/24 3:43日本経済新聞 電子版」
「フェイスブック、「虚偽ニュース」啓発広告を掲載 2017/5/10 6:00日本経済新聞 電子版」
アメリカ大統領選挙のロシア介入疑惑から、SNS上のフェイクニュース関連の記事を良く目にしますが、上記の二つのニュースは対比が面白いなと思いました。
イギリスの情報工作を警戒は、政府による唯の情報統制の道具になりそうだなと思いますが、Facebookの啓発広告は、読者に注意を促す啓蒙活動です。
我々が手に出来るニュースは、新聞社等のフィルターが既にかかっているのは既知の事と思います。だから、数社の新聞の記事の相違点から本質を見抜こうとする訳ですが、それでも新聞ネタにならないと知ることは出来ません。SNSで取り上げられる新聞ネタにもならないようなニュースが重要かどうかは解りませんが、何のフィルターも掛かっていないニュースが流れて事の本質が解るなんて事も沢山あることがアラブの春のような事件で良く解ったなと思います。だから、どうでも良い話でも無いですよね。
結局、ニュースをどう読むかの本質は読者の知性なんだろう。
識者達のこう言った議論は、こんな事はどうでも良い人達には全くの余計なお世話なんだろうけど、その人達も社会の構成員で公民権を持つので、社会に影響力を持ってしまう。公民権を持つと言う事は、国民としての義務も生じているので、こう言ったニュースに踊らされないのも義務であるべきだと考えているんだろうか?格差社会とか言われるようになって、平等性が高くないと公徳心が低くなる傾向が高いと思われるので、きっと自分の事で精いっぱいで社会がどうのとかどうでも良いんだろうな?
学問が贅沢であるように、生きていくのに不要な知識もまた贅沢なんだろう。

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2017年12月26日 (火)

中国モデル2.0

中国モデル2.0
日本総研理事 呉軍華さんが、習近平国家主席が2017年秋の共産党大会で打ち出した「新時代」の意味するところを中国モデル2.0と評している。
 なるほど、面白い話だね。先進国は民主主義と言う手間の掛かるシステムを長く採用し、トランプ氏も修正までの手間のように考えられると思うが、中国モデル2.0がスピーディに経済成長を遂げれば一つの成功モデルになるだろう。先進国は、上辺だけかも知れないが民主主義をもう200年以上続けていて、若干構造疲弊しているのか、もしくは、IT化に拠る情報過多が民衆の考える力を衰えさせているのか、あるいは、格差拡大が経済的余裕の無い民衆に個人主義を横行させているのか、また、それらの複合か、良く解らないけど今は少々上手くいっていない。
民主主義の良いところと中国モデル2.0の悪いところ(多分これから出てくるだろう。過去の農業政策の失敗で餓死者が大量に出たような、間違ったところに行く可能性が高いシステムだと思う。)が、それぞれ在って、どちらが良いのかは過去の共産主義の崩壊のような事が起らなければ解らないだろう。ちなみに民主主義は過去の過ちから、間違えた方向に行きづらいシステムとして手間のかかる方法を選んだと理解しているが、これほどスピーディに世界が変わるようになると若干判断が遅すぎるのかも知れないね。
共産党の政治エリート達が間違いを犯さなければ、中国モデル2.0は世界の変わるスピードに対応可能なシステムになるかも知れない。もっとも、政治家が過去の護送船団方式さながらに日本でやるとか言い出したら、そんな政党には絶対投票しないけどね。やっと55年体制と言う自民党モデル1.0から抜け出せたんだから、阿部政権が自民党モデル2.0なんて呼ばれない事を祈りますよ。

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2017年11月27日 (月)

責める文化

多分責任逃れの裏返しなんだろうな?と思うけど、誰でも責任を取らされる=職を追われる事になるから、責任は取りたくないだろうね?
人がすること故に間違いは付き物だけど、自己責任を無視した訴追が成立すれば、誰でも責任逃れに走るだろう?
食品全部に「多分食べても大丈夫だけど、保証できないから、買って食べるかどうかは自己責任でどうぞ。買っても食べられないと思ったら、自己責任で捨てて下さい。作る時に使った材料はこれです。成分はこれです。製造工程はISO9001を取った工場で、こうやって作っています。」なんて事を書けば良いんだ。昔はそんなもんだったけど、PL法が出来て、製造者の責任を問うようになってから近年常軌を逸している。
何か製品に不都合があった場合、製造元と消費者保護センターに問い合わせるなら正しい対応だと思うけど、いきなり事実関係も証明できない写真をSNSに載せるのは威力業務妨害以外の何ものでもない。事実関係が怪しい画像を載せた場合、刑事訴追してやればいいんだ。
今時合成写真なんか簡単なんだから、SNSに載っている写真なんか証拠能力も怪しい。僕はSNSにそう言う目的にアップされている画像を信用しないけど、それを見て簡単に信じる利用者にも問題あるよね。そもそも直ぐに信じる奴が居るから、怪しい写真を載せたがる奴が現れるんだからさ。
かなり脱線してるけど、何か起こった時、誰かを責めてもそれで解決する訳ではない。
何で起こったのか原因を追及して改善を図らないと何度でも繰り返す。だから、製造元に情報提供して改善を図って貰うのが正しい姿であり、製造業自体の発展にも寄与するだろうなと思う。
でも、駄目な会社の場合は、情報提供された製造元の中間管理職は管理義務怠慢を隠すために封印したりする。出来る会社の場合には、原因、改善措置を記した感謝状と製造元で作っている食品詰め合わせなんかを送ってくる。
駄目な会社では、SNSで炎上してから責任逃れを繰り返し、新聞沙汰になって記者会見で社長が下げたくない頭を下げる。
出来る会社では、SNSに載っていることが解った時点で正確な情報を発信してユーザの理解を得る。覚えているところでは、チロルチョコレートの対応なんか素晴らしかった。
まあ、結局、仕事の目的に対してのサボりなんだな。
間違いが起こらないような対処で確率を小さくする努力、炎上する前にリサーチする努力、直ぐに情報を確認する努力、適切な対処をする努力、色々あるけど、そのどれをもちゃんとやらないから炎上して責任を問われる事態になる。自分の不始末は、とりもなおさずサボりだし、それを誰かに押し付けて逃げようとするのもサボりだよね。それってカッコ 悪いよね。
中々言いたいことに話を収束できないけど、人を責めている姿は自分のサボりをアピールしているようでカッコ悪いよね。
間違いを許容しない社会では、間違いから学べない。間違えた事も無く学んでこなかったから大きな間違いを犯しその対応も間違える。そうりゃそうだ、間違えたことが無いのだから対応出来る訳がない。
無闇な競争社会では、人の間違いを騒ぎ立てて蹴落とすような事を考える奴が必ず出て来る。そう、モラルの無い奴がね。それも、出来ない奴に限ってそう言う事が好物だよね。
人生は全て学びの中にあると思う。自分たちが子供の時には失敗を恐れるなとか教わっていたように思うけど、責められるのを怖がっていては人生を学べない。一体どこでそんな間違いになってしまうんだろうか?

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2017年11月20日 (月)

将来どんな人間になりたいか?

僕の職場の採用試験論文のテーマが、「将来どんな人間になりたいか?」です。
正確に言うと職能団体なので、「将来どんな○○になりたいですか?」と言うのがテーマなんですが、目的は「将来ビジョンを一度は考えてみて欲しい」です。
どうせ学生の時に30年後、40年後の明確なビジョンなんて持っている筈も無いので、それ自体に期待をしている訳ではありません。入職前に一度は考えてみて欲しいと思っているだけです。
働いて賃金を得られる仕事に楽な仕事はありませんので、入職後に大変な思いをすると不平不満の中で仕事をするような嫌な状態になります。特に20代は力を付ける時ですから、不平不満の中で努力を怠れば、30代で実績をあげることが出来なくなります。大事な時期にそれって色々な意味で不幸ですよね?
「仕事を道楽化出来る人間になりたい」と書いて来てくれたら、僕が試験官をしている内は一発合格です。

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2017年11月12日 (日)

お互い半分避けようぜ

街を歩いていると"お前が避けろ"とばかりに突っ込んで来る輩がいる。
スマホを見ながら普通のスピードのまま突っ込んで来る輩、
女性に多いが下を向いたまま前に誰か居ても構わず突っ込んでくる輩、
脇目も振らずそのまま来たらどう見てもぶつかりそうなのにそのまま突っ込んでくる輩、
人の流れの中にスペースが無いのに斜めに突っ込んでくる輩、
狭い通路で対面から人が来てるから通れるスペースは無いのに下を見たまま突っ込んでくる輩、
色々居る。
この人たちの困るところは、ぶつかりそうな相手を見ない事だ。どっちに動くか見当が付かないから、どっちに避けるべきか解らない。まあ、別に避けなくてもこちらは怪我しないだろうが、下手に怪我でもされて訴えられても鬱陶しいから避けようとするのだが、足の運びまで見て避けるのに態々避けた方にぶつかってくる。もしくは、避けるスペースが無いから止まるとそこにぶつかってくる。どうしろって言うんだよ!
お互いぶつかると気分悪いし、どちらかが全面的に避けるのも業腹なんだろう?
だったら、お互い半分ずつ避けようぜ。
船舶の衝突防止の約束事は、「互いに相手船の左げん側(船の左側)を通過する」だったと思うけど、道交法の左側通行とも馴染みが良いし、多分左に避ける方が正しいだろう。
お互い自身が左に半分避けようぜ!

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2017年11月 5日 (日)

そんなに具合が悪く見えたかな ?

職場の仲間と飲んで池袋から電車に乗ったら、やたらと空気が乾燥しているのと何だか防虫剤のような臭いがして、慌ててミントタブで誤魔化そうとしたけど間に合わずに咳が出始めてしまった。しまったマスクを持っていなかった。ハンカチで押さえて何とか咳を収めたけど、外すとまた咳が出る。ダメだこりゃ。 乗ってすぐに斜め一つ脇の座席にブラウンのニットを素敵に着こなし、細かいところにまで気が配られていて、清潔感のある素敵な女性だだなと思った女性がこっちを見ていた。24歳くらいだろうか? 何故特異的に24歳? いや、まあ、何となくそう思った。 咳をしていたので、変な感染症だと嫌だな、と思われたかな?と思っていたが、石神井公園で止まった時に声を掛けて来た。”この席をどうぞ”と言う。 ”ああ、いや、大丈夫です。空気が乾燥してるとか変な臭いがすると咳が出ちゃうんですよ。だから平気。ありがとう。”と答えた。 ひばりヶ丘で彼女が降りる時に、”さっきはお気遣い有難う御座いました。”と言ったら、にこやかに会釈しながら降りて行った。 世の中捨てたもんじゃない。でも、そんなに具合が悪く見えたかな? 前日、休日出勤で朝から夕方まで多分今年一番重要な仕事をして、今日は朝からはとバスの猿島ツアーに付き合わされ、丸の内のベルギービールの店で一杯ひっかけて来た帰りだったので余程疲れた顔をしていたんだろうな。

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報われない想いは、人を横柄にさせる?

街中の60~70代の振る舞いを見ていて、気になることがある。
回りに気を使わない。
明らかに他の人の邪魔になっているのに避けようともしない。
場合によっては、ワザとらしく横柄に向かってくる。
ほとんどクレーマーのような切れたしゃべり方をする。
人の話を聞かない。
人の話に割り込んで自分の言いたいことだけを言う。
自分のしたことだけをこれ見よがしに自慢する。
道に平気で物を捨てる。
生活道路なのに、歩行者にがんがんクラクションを鳴らす。
歩道に乗り上げているのに、歩行者が来ても下がらない。
一体どうしたことだろうか?
彼らは、社会の規範になるべき人達だろう?
僕が子供の頃には、こう言った大人達は極少数派だった。
比較的共通的な外見的特徴は、身なりがしっかりしていない事だろうか?
着ている物の話しでは無くて、身だしなみがしっかりしていない。
行動規範の動機は、こんなことをしては恥ずかしい、と言う気持ちだろう。
世間様にとか、誰に対して、とか言う訳ではなく、漠然と恥ずかしい行為として僕は認識している。
先に書いたような事は、少なくとも僕には恥ずかしいから出来ない。
どうしてこんな人達が増えてしまったのだろうか?
世の中は因果応報ではない。
近年の日本は、ワーキングプアなんて言葉が当たり前のように語られる。
大震災の中、平気で数十億円の政党交付金の申請をするような人達が、国会で派閥争いに興じている。
子供手当てのような国の借金を増やすだけのような人気取りの政策をこの期に及んでまだ続けようとしている。
世界的な金融緩和の影響でお金が溢れ、インフレは目の前に迫っている。
年金は風前の灯。
特に定年を迎えた人達にとって、この先の生活は不安で一杯だろう?
概ね人は絶望したときに、形振り構わぬ行動をする。
こんなにやってきたのに、何で何時も自分ばかり。
今までこれだけやってきたのだから、少しぐらい公徳心に欠けても良いだろう。
これまで私は何時も我慢してきたのだから今度はお前が我慢しろ。
クラクション鳴らされまくると気分悪いだろう?ほら、どうだ!
ほら、俺は今ごみを捨てたぜ、注意できるもんだったらして見ろよ!
彼らの不機嫌そうな顔や得意げな顔からは、こんな言葉が聞こえてきそうに思える。
ちょうどこの世代は、団塊の世代と言われるような人達と、現役の頃、彼らに追い回されてきたひとつ上の年代だろうか。彼らの世代が高度経済成長を支えたパワーの源であるし、彼らの社会貢献度は十分評価されてしかるべきだとは思う。でも、だからと言って、何をしても良い訳ではない。
彼らは現役の時に激しい競争の中に居た。そして、昨今の政治が勝ち組と負け組の貧富の差を大きくした。
勝ち組が人より頑張ったとか社会貢献度が高かったとか、負け組が頑張らなかったとか社会貢献度が低かったとか言うのではなく、ちょっとした差を政治が大きくしてしまっただけなのだろう?
報われない想いは、人を横柄にさせる。保身や利害は、モラルを奪う。
スケープゴートが出来ると一気に潰しに行く。まるで村八分だ。
自己責任であるはずの行為を公共に押し付ける。義務は権利の対価だぜ。
それらは、自分がやられたら嫌な事だよね?
我々人生の後半戦組は、前半戦組に住みやすい社会を残す義務があると思うんだけどなあ。
ちょうど親が子供に財産を残すようにさ。

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2017年9月18日 (月)

観光道路でのネズミ捕りはやっぱり観光地の収入を奪うよね

以前「観光ルートでのネズミ捕りは観光客を減らす」http://noraneko-furo.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-396c.htmlと言う記事で、観光地に向かう道路でネズミ捕りをすると観光地の収入を奪うと書いたが、観光地に向かう途中でネズミ捕りに掛かると、その日観光地で使う予定の金額を警察に奪われてしまう。そのまま帰るか、そのまま行ったとしても財布の紐は締まるだろうね。そして点数が戻るまでそのルートで観光に行ったりはしないだろう。
 
免停になったらブルー免許3年×2回で6年は待たないとゴールド免許は返ってこない。以前の僕がそうだった。ゴールド免許の有効期限を含めて8年間その先に観光地に行かなかった。温泉に入って蕎麦かほうとうを食べて果物を買って帰ると、大体1万円位使うだろうか?気に入ったルートは、年に5~6回は行くから、6回×1万円×8年=48万円位がその観光地に落ちなくなったと試算できる。
 
ネズミ捕りのようなグレイゾーンの事を、例えば外国人にやったら、その外国人はどう思うだろうか?SNSは拡散しやすい。誰かがアングラなサイトに種を撒けば、これを命じた交通課の課長のプライベートまで晒されてしまったりするだろうか?以前、白バイが事故を起こしたのをもみ消そうとした巡査部長の子供の顔写真が出回っていたのを見たことがある。まあ、これはどうでも良いけど、観光ルートでネズミ捕りをすると観光地の収入を国庫が奪うのだけは間違いない。

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2017年8月25日 (金)

ノルウェーの森を読んだ

今更なんだけど、村上春樹さんの作品自体も初めてだった。
最初は、官能小説かと思った。読み終わったけど、結局何を言いたかったのかさっぱり解らなかった。あまりに人が自殺し過ぎる。みんな人生の意味を深刻に捉えていただろうか? そんなに自分がどこにいるか解らなくなるほど漂流していただろうか?1970年頃ってそんな生き辛い時代だったろうか?
それにしても直子の両親は、娘を二人とも自殺で無くすなんて、とてもやりきれないだろうなと思う。
一時期ネットで知り合った自殺志願者による集団自殺が流行った事があったな。一人じゃ死ねないけど、仲間となら死ねたのだろうか?その後聞かなくなったので、集団ヒステリーのようなものだったのだろうか?
人は人生に意味を見いだせなくなった時に死んでしまいたいと思うだろうか?それとも、期待に応えるために自分を押し殺すのに疲れてしまった時に死んでしまいたいと思うだろうか?あるいは、虐めに遭い、親に言えず、学校にも行けず、どうして良いか解らずに死を選んでしまうだろうか?
死を選んでしまうのは簡単なのかも知れない。天涯孤独ならそれもいいだろう。でも、人は人との係わりの中で生きている。自分に係わった人が死を選んだ事に遭遇した人は、必ずPTSDになる。係わりが深ければ心の傷も深かろう。きっとそれは相関する。
何の係わりも持たずに人は生きることが出来ない。親は必ずいる訳だし、場合によっては兄弟も祖父母も、結婚していれば配偶者や子供も、友達や恋人も居るかも知れない。それらの人に何の影響も与えずに死ぬことは出来ない。人としての責任としてね。だから、生きることを選択しなければならない。
この小説は、そんな事を言いたいんだろうか?
誰の解説も評論も読んでないので、正しいのかは全く解らないんだけどね。

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2017年7月18日 (火)

温泉マナー

僕は湯質の良い露天風呂が大好きです。
まあ、露天である必要は逆上せるからなんですが、湯質は上がった時のさっぱり感で草津の湯が個人的には好きです。多分肌の油分を取ってくれる弱アルカリの湯が良いのかと思います。
バイクで行くことが多いので、走って楽しめる峠道があって、帰りに美味しい蕎麦屋があって、なんてことで絞って行くと概ね行く場所が限られてきて、最近塩山方面に行くことが多くなりました。
塩山辺りの硫黄泉は、そんなに沢山ある訳でもなく、ロケーションが風が渡って涼し気な露天風呂はあまりありません。冒険もしなくなって来たことや、外来入浴をやっていないところが増えたこともあり、ますます行くところが絞られてきてしまいました。
問題は、そこが混浴だと言うことでしょうか?
僕は、女性が居ると気を使うので、正直混浴は好きではありません。女性が裸を見られるのを恥ずかしがるように、男性でも恥ずかしい人は居ます。僕の体形は20代の時に買ったスーツを未だに着られるような体形を維持していますが、知らない女性に見せたいとは思いません。
まあ、こんなことはどうでも良いのですが、どうも混浴であることで変な男性客が沢山居る事が問題です。女性客が来ると寄って行ったり、ジロジロ見たり、湯舟の外れでタバコは吸うわ、掛け湯もちゃんとせずに入るわ・・・正直マナーが悪い。
Facebookに温泉を扱ったWallが沢山立ってますが、これまで全国で200を超える露天風呂に入って来たと思いますが、そう言う所に紹介して良いのかと思います。このBlogでも「露天風呂」なんてカテゴリまで作って、それらの一部を紹介していますが、こういう行為は正しいのか疑問に思うことが増えてきました。特に地元の人たちが大事に保っているような温泉を紹介することは、良くない事なんじゃないかと思います。そう言う所は、「地元の人たちの財産をちょっとだけ貸していただく」ようなアイデアで迷惑にならないように貸していただく積りで行って欲しいのですが、Blogを読んだ人がそういうマナーで行ってくれるとは限りません。所謂大衆化をしない方が良いのではないでしょうか?
FacebookのWallでも、マナーを煩く言っているWallがあるけれども、管理者のマナーを口にして悦に入ってる感にも違和感を覚えます。正直共感できるWallもあるのですが、偽善者のお友達クラブのような運営をしている連中も目につきます。偽善者は言い過ぎですね。小学生の正義感を振りかざす、とでも言った方が正しいかも知れません。これも言い過ぎですね^^
細々とやっている宿を応援するような記事には共感します。こういうのはマナー違反だよと言っているページは時と場合に拠るでしょう。マナーは自らを律し対象者を慮る気持ちが行動となって現れます。上っ面で出来るマナーは正直偽善だと思っています。まあ、それでもしないよりはましですが。
これまでに多くの露天風呂が利用者のマナーの悪さゆえに閉鎖になって来ました。それらを何時も残念な気持ちで眺めてきました。特に入る前に掃除をして、佇まいを整えて帰って来ていたようなところが閉鎖になると寂しいですね。ちょっと脱線しました。
これらの露天風呂を閉鎖に追い込むようなマナーの人達は、BlogやWallで知らなければ、その存在自体を知らなかったんじゃないでしょうか?
僕自身はかなり慎重に選んで載せて来た積りですが、それでももう露天風呂の紹介を止めようと思います。何だか知らず知らずのうちに加担しているような気がします。

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2017年7月14日 (金)

悪い奴ほど得をする社会

3匹のオッサンとかがシリーズを重ねる理由は、ああいう風に思ってる人が多い事を物語っているんだろうなと思います。勧善懲悪ものが人気になるのは、世相なんだろうと思います。水戸黄門も長寿なのは、みんなが理不尽さに怒っている証拠なのでしょう?日本もずっと前から悪い奴が得をする世の中なんだろうと思います。大悪、と言うか、社会の深い闇は、人目に触れませんので、きっとみんな小悪を憎んでいるのでしょうね?悪い事をしている人の方が、良い服を着て、高い車を乗り回し、大きな家に住み、美味いものを食べている傾向が高いと言う事実もみんなを勧善懲悪に駆り立てるのでしょう。悪い事の定義はちょっと難しくてここでは書きませんが、法律違反、もしくは、かなりグレイでほとんど黒のようなものを指します。
巨悪と呼ばれるようなものは、巧妙に隠されていて余り光が当たらないようなところにあるので、認識しているのは極僅かな人たちだけです。また、見様によっては普通の社会制度だったりもします。巧妙に作られた社会制度は、誰か特定の人達だけに最終的に恩恵を齎すような、そんなものも指します。
それから、法的にも裁けるのだけど、権力が大きすぎて捕まえられないなんてのも巨悪の内だろうなと思います。贈収賄や強請りのような類のものでしょうね。こう言う事をする人たちって、チャンスを生かす能力が凄く高くて、余りの才覚に恐れ入ったりするんですがね。
自分の中にあるかなり面倒な正義感は、人のちょっとした悪さにも容赦ないですが、自分の悪さは2種類のみ(ちょっと書けませんが道交法に絡むものです。)で他の悪さ、少なくても法律に触れるような事はグレイも含めて一切しません。ただ、知らず知らずの内に巨悪に加担していないか心配になることはあります。
水は低いところに流れますが、お金は高いところに流れて行きます。社会制度上そうなります。誰がこの制度を作ったんでしょうね?
昔、清貧と言う言葉がありましたが、清富なんて言葉が生まれる社会だと良いですね。

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2017年7月 7日 (金)

グレイゾーンの排除

グレイゾーンの排除と言う行動が、チーム医療と言う言葉を作ったんじゃないかな?
ある組織に属する人の論文の中に「グレイゾーンの排除」と言うKey Wordがあって、びっくりした覚えがある。その論文の論調は、職種の業務範囲の明確化を謳っており、業務範囲以外の仕事には一切手を出さない行動原理を書いている。
医療なんだからさ、特に3次救急の現場には必要とされる全ての職者が揃っているなんて有り得ない。でも死にそうな人をすくためにやらなければならない事は、その場でやらなければ死んでしまう。言わばグレイゾーンなんて当たり前なんだ。流石に法律違反は駄目だけど、資格の関係ない仕事であれば、その場で教わりながらでもやらなければ死んでしまう。死にそうな人を前に業務範囲外ですから出来ません、なんて言える筈もない。
上の話しは、極端な例だけど、医療の中には誰が気づいても、誰がやっても良い仕事なんて山のようにある。至る所グレイゾーンだらけだ。
一時、業務マニュアルに基づいた業務に書かれていない事をすると責任を追及するような風潮があった。それは、どこぞの医療ミスを看護師の勝手な判断ミスのようにして医師が逃げてしまっただけなのに、マスコミが看護師の暴走のような書き方で大騒ぎしたからだよね。医師のサボりを看護師が常態的にフォローしていたのに、”看護師が勝手にやった”と逃げちゃった医師が一番悪いのだけど、そちらは追求せずに簡単に記事に出来る看護師責任説で騒いじゃったマスコミも相当悪い。
業務マニュアル化は看護部が一番進んでいると思うけど、それは自分達を守るためであり、そこで生まれてきた概念がグレイゾーンの排除だと思う。
チーム医療なんて言葉は、行き過ぎたグレイゾーンの排除を巻き戻すためのものなんだよね?
 
追記:本当はね、一時の必要性に迫られて学校を沢山作っちゃったから、その受け皿を作るためにチーム医療の名のもとに仕事を別け人を増やすためのアイデアなんじゃなかろうか?と思う。その一時の必要性と言うのは、最近流行の学園スキャンダルの温床のような組織の個人利用のようなものが生み出したものか、ある時利益供与の果てに政治家が騒ぎにした人手不足かも知れない。説明を聞いていても実際にその必要性が曖昧な印象を受ける事業の概ね隠されている本当の理由は、呆れてしまうような個人や特定の組織の利益誘導の結果だったりするのかも知れない。各業界が担いだ政治家が言い出すようなことは、概ねその組織の利益を誘導する。でも、世の中そんなもんで成り立っていたりするから仕方ないかもね。
医療系の番組の視聴率が高い傾向にあるのも、高齢者の会話がほぼ健康の話と言う異常と思える健康志向の国民だらけなのも、死生観が異なれば違う反応になるのだろうね?今の日本の健康志向は国の財政を圧迫しているけど、一体誰がまいた種が花開いているんだろうか?そしてその種をまいた目的は何だったんだろうか?

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2017年7月 1日 (土)

今の選挙制度はもう古いかもしれない

日本人の殆どが携帯端末を持ち、自由に自分の意見を発信できるようになったら(まだだけど^^)、選挙制度はもっと簡素化されても良いかも知れない。
26年の47回衆議院選挙の投票率が52.66%、25年の都議選が43.5%で、半分しか投票しない選挙で選ばれた議員が、”国民や都民の信託を得て”なんて言っても空々しい。
年寄りしか行かない選挙で決められた議員が、 若い人達の事など考慮する筈もないし、老い先短く孫世代の心配をする余裕も無ければ、日本がこの先どうなろうが知ったこっちゃなかろう? 年寄り相手に、”未来のために”なんて政治家が言っても相手にされる訳もない。
選挙になると送られてくる投票カード(先にはこれすら要らない)にQRコードでも埋めて、本人確認が出来ているスマートフォンでなら、投票可能にしてしまえば良い。QRコードでログインしたら、候補者のマニフェストを読んで良ければ”いいね”しておく、”いいね”リストから誰にするか最終的に決めて投票すれば良い。若者が”いいね”するようなマニフェストを書ければ当選するだろう。その後再選を果たすには何か実績を残せばいい。前回のマニフェストの達成度を誰に評価させるかは若干難しいが、出来もしないことを書いてれば再選は難しい。投票所に行きたい人は、投票カードを持って投票所に行けば良い。
もう、この位しないと投票率は上げられない。まあ、現行の議員が自分に不利になりそうな選挙制度を押す理由は無いから、とりあえずは現行制度で若い人達が投票に行って変えるしかないのだけどね^^
どんな時代でどんな制度下であっても、望む人たちが自分たちで勝ち取らない限り与えられない。文句を言うだけで自分で動かなければ、誰も何も与えてくれないのだから。

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2017年6月26日 (月)

単に命を繋ぐこともそれに当たるかな

Vexilleと言うアニメの中では、”命を繋ぐことで我々の存在は永遠である”と言うことを題材としていると思われますが、子孫達の持つDNAは自分のDNAのコピーとして、自分のDNAも遥か遠い先祖が命を繋いで来てくれたから存在するのです。ですから、子供を作ることで自分の存在は永遠になると考えられます。
網羅的に思考すると、情報のコピーは脳を媒体とするmemeの伝播として捕らえても、無機的なコンピュータ上でのbit列の単なるコピーでも、有機的な生殖行為として子供を作ることによるDNAの減数分裂及び合成と捕らえても、”情報を繋いでゆく”と言う行為には差がありません。
(memeとは、模倣の単位と言う概念を伝える名詞として、模倣に相当するギリシャ語の語源とするmimemeと言う単語をリチャード ドーキンスがgene(遺伝子)に対比させた造語だそうです。ミームが遺伝子プールと同じように、ミームプール 内で繁殖する際には、広い意味で模倣と呼びうる過程を媒介として、脳から脳へ渡り歩く、としています。)
memeの自然淘汰の動作原理は、魅力的かどうかだけですが、日本におけるDNAの自然淘汰の動作原理も、また、魅力的かどうかですよね?日本では、生殖可能年齢を過ぎるまで餓死するとか、戦争で死ぬとか、社会的に小さな紛争で命を落としてしまうとか、病気等で生殖機能を失ってしまうとか、そう言った事はあまり起こらない。(仕事に熱中するあまり、結婚をしない、もしくは、結婚しても子作りをしない、なんて人達が増えてきているので、ちょっと話が複雑にはなってしまっていますが・・・)
普通の生物は、豊かで有るほど個体数を増やすのですですが、人間の場合はどうも逆のようです。日本は少子高齢化が進んできていて、例えば60年後を考えれば(それまで日本が存在しているか解りませんが・・・)、日本の人口は今の半分くらいになっていて、バランスが戻るかも知れませんね。
リチャード ドーキンスは、遺伝子を主体として、個人をDNAを繋ぐ媒体でしかないと説いているようですが、Vexilleと言うアニメの中では個人を主体として、子孫に対するDNAのオリジナルとして永遠であると見ていると思われます。要するに立ち居地を変えて同じものを見ているとも言えます。
我々は生命として出現して、死んで消滅してゆきますが、子孫に引き継がれる情報は、種そのものが滅んでしまわなければ常にモデファイされながら残り続けます。

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2017年6月19日 (月)

憲法を改正出来た時こそ日本が戦後を脱する時なのかも知れないね

経済企画庁が経済白書「日本経済の成長と近代化」の結びで「もはや戦後ではない」と記述したのは1956年だったらしいが、それから更に60年経った今でも日本にはアメリカ統治時代の影響が色濃く残っていると思う。

戦中戦後を生きてきた人たちは「もう戦争はごめんだ」と思っているだろう。平和な300年が江戸文化を花開かせたのは明確な事実だと思うので、後230年位平和を保てれば日本独自の面白い文化が芽生えるのだろう?その一つのプロセスが憲法改正なら悪くは無い。その時は日本人なりの憲法を作ればいい。

でも、戦争に加わるための憲法改正なら反対したい。現在、憲法改正に否定的な人たちには、改正の目的が国際貢献と称してアメリカの戦争に加わるために見えるからだろう。属国扱いして来る国から「我が国の戦争に加担しろ!」と言われて、「君たちが押し付けた憲法に戦争の放棄と書かれているから、出来ない物は出来ない。」と言い続ける方が、言い訳としては筋が通っている。仮に「金は出すけど人は出さない」と誹りを受けても平和を失うよりは余程良い。

島国に住み長く独立を保ってきた日本人の明確な目標は永劫の平和だと思う。三浦瑠璃さんの言葉を借りれば「日本の核心的利益は平和」である。誰の傘にも入らず、何処からも属国扱いされなくなったら、その時は平和と言う核心的利益のために憲法を変えれば良い。きっと日本は、その時初めて戦後から脱却できるのだろう。

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2017年6月12日 (月)

第三世界を夢見る

新しい攻殻機動隊を見た時、第三世界って、結局全ての宗教が持つ死後の世界みたいなものだよね、って思った。現世の不遇を来世の厚遇に置き換えるのは宗教の王道だ。メンテナンス出来なくなった部品を生存維持のための不可欠な部品として持つことは、部品の故障が死を意味する。生体で心臓や脳と言った五臓六腑のどれが故障しても死を意味するのと変わらない。
物語の中ではアップグレード出来ない義体を選んでしまった事が緩やかな死を意味するが、それがアップグレードの有無を提供する側の企業体の利益追求の結果にとなってしまったら、人の生き死にも企業利益の道具にされてしまう、それが問題なのだろう?
経済的な格差は、人の生死に影響する。それは今も変わらない。唯、生体であり身体的エリートであるならば、経済的な格差の影響は僅かであり、人は自由に生を全うできる。違う所はそこだろうか?
人は何歳まで生きられれば満足なのか解らないけれども、天国でも来世でも永遠の命を求めるが故にゴーストが宿る機械に永遠の命を委ねるが、それすら企業の利益追求の道具でしかないのなら皮肉なものだ。結局企業は人の欲を売り物にする。家電製品なんかと何も変わらない。
人の生死を企業の金儲けの道具にしてはいけないと言う警告だろうか?
何かの都合でこれ以上生きられないと悟った時、第三世界を夢見て自ら命を絶つ。生体パーツが機能しなくなって寝たきりになった時、天国に行くことを夢見て自殺するのと変わらないように思える。
結局、生身であっても、義体であっても、永遠に生き続ける事は出来ず、企業利益の追求と言う生臭い動機が人に引導を渡す。そんな企業が死神のように思える。
第三世界を夢見るとは、死神から逃れ、神に縋る、そんな人間らしい行動にしか思えない。

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2017年6月 2日 (金)

今度はそう来たか?

菅長官、プーチン氏の北方領土発言に静観の構え
なんて記事を見て、そう思った。
北朝鮮と同じだよね。ロシアも余程内情が苦しいのだろうか?
北朝鮮が核を放棄したらカードが無くなってしまうように、ロシアも北方領土を返してしまったら日本からお金を引き出すカードが無くなってしまう。
だから、彼らは絶対に返すような事はしない。
日本ももっと強かになるべきだね。

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2017年5月 9日 (火)

熱中する

何かにつけて上手く出来るようになるにはその事に熱中する必要がある。最初から上手く出来る訳ではない。熱中してるとそれなりに上手く出来るようになる。
勿論今何かに熱中しているかと言うと、そう言う訳でも無いのだが、過去にどうだったかな?と思い浮かべると常に何かに熱中していたなと思う。
じゃあ過去に熱中したた事全てが上手く出来るようになったかと言うと、まあそんな事はない。何時までも経っても自分の思うように出来ない。そんなものもある。
じゃあ、それってどの位のレベルなら出来ると言うのか?は、自分の満足の行くレベルか、他人に評価されるレベルだよね。でも、それらは何時も食い違う。
仕事に関係ないものならば、単なる自己満足なのでレベルの設定は個人の自由だ。仕事に絡むと双方に不満を齎す。
ちょっと脱線してる。
長らく何か一つの事に熱中していると大成が齎されるかも知れないし、次々に熱中するものを変えて行けば何でも出来るようになるかも知れない。ちょうど事務の総合職を作るようなイメージだろうか?
弊害として、何でも出来るけど何にも出来ない奴が出来る。ちょうど今の僕のような技術職としては”それってどうよ?”って奴になる。
学会とかでは一つの事に熱中し続けた人が大成して有名になる。でも学者馬鹿と呼ばれるような他の事は何も知らない人に成りやすい。
大勢が納得するようなアイデアを出すには、幅広い知見が必要だ。学識経験者の出す意見には極論が多い。実際に求められている意見もそんな所なんだけど、それらから現実的なアイデアにして行くのが政治家の仕事なんだよね。でも、そんな政治家も殆ど居ない。居ても落としどころが自分の利権を生むところのようにしか見えない事が多い。それでも世の中は回っているから良いのかもしれないが、間違いを間違いで蓋をしてる感があって、現実の問題を理想的な方法で解決できていない。
相当脱線してる。
熱中が必要だなと思う理由は、自分が主導でやっていると言う事で、人に言われたことをやってるのではないと言う事だ。仮に人に言われて始めた事でも、熱中している内は自分が主導になる。その中で学ぶべきことは、成功に至るプロセスを磨く事だ。世の中の難しい問題は、少なくても今の世代の人間には解決できなようだが、人々がもっと高度な知能と問題解決能力を得ることが出来れば、現代人が解決できない問題も解決できるようになるのかも知れない。

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2017年5月 2日 (火)

日本人相手には上手く行っている証拠かな?

以前、「組織をダメにさせるCIA「サボり方ガイド」?」と言う記事に「現在の日本人一人当たりの生産性の低さは先進国の中では低いので有名ですが、これがCIAのなせる業なのであれば、アメリカと言う国の先見性には頭が下がります。」と書いたけれども、近年の日本とアメリカの貯蓄総額でも2倍の差があると聞いて、生産性の低さはこういう統計値にも現れているんだな、と思いました。
日本を貧しい国のままにしておこうと言うアイデアは、マッカーサーを取り巻く進駐軍のものですが、戦前の日本人がどんな仕組みでどんな働きぶりだったのかは良く解りませんが、進駐軍には”放って置いたらまたぞろアメリカを脅かす存在になる”と思ったのかも知れません。
その後の対日本戦略も日本の国力を抑える、もしくは、吸い上げるような施策が多かったなと思えますので、アメリカにとって日本は未だに「奉仕の国」であり続けるのかも知れませんね。そして、それは何故か日本人相手には上手く機能しているようです。その証拠が、統計値が示す日本人の生産性の低さや貯蓄総額の低さであるのかも知れません。
渡辺千賀さんが訳してくれた『Simple Sabotage Field Manual』 は以下の11項目のようなもので、第二次世界大戦時のCIAの前身組織 『Office of Strategic Services』 の秘密資料だそうです。原文はリンクを辿って下さい。
●「注意深さ」を促す。スピーディーに物事を進めると先々問題が発生するので賢明な判断をすべき、と「道理をわきまえた人」の振りをする。
●可能な限り案件は委員会で検討。委員会はなるべく大きくすることとする。最低でも5人以上。
●何事も指揮命令系統を厳格に守る。意思決定を早めるための「抜け道」を決して許さない。
●会社内での組織的位置付けにこだわる。これからしようとすることが、本当にその組織の権限内なのか、より上層部の決断を仰がなくてよいのか、といった疑問点を常に指摘する。
●前回の会議で決まったことを蒸し返して再討議を促す。
●文書は細かな言葉尻にこだわる。
●重要でないものの完璧な仕上がりにこだわる。
●重要な業務があっても会議を実施する。
●なるべくペーパーワークを増やす。
●業務の承認手続きをなるべく複雑にする。1人で承認できる事項でも3人の承認を必須にする。
●全ての規則を厳格に適用する。
https://www.cia.gov/news-information/featured-story-archive/2012-featured-story-archive/CleanedUOSSSimpleSabotage_sm.pdf

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2017年4月21日 (金)

直ぐに正解を見たがるんだね

”もうちょっと自分で考えてからにしない?”
と言う事が増えたように思う。若手の教育を担当していて、あるCaseを見せて”意見を聞かせて”って聞くと、ちょっと見て”これって何ですか?”と聞いて来る。
う~ん・・・一つずつの正解は実はどうでも良いんだよね。大事なのは答えを導き出すための思考プロセスなんだ。出て来る答えは必ずしも正解で無くても良いくらい。トレーニングしたいのは、「正解に至るプロセスを学ぶ」ことなんだ。世の中、と言うと広げ過ぎだけど、僕たちの業界に真の正解は存在しない。最終的なGolden Standardとなる指標はあるけれども、それすら正解とは限らない。だから統計的に正解に至り易いプロセスを選ぶ。そのプロセスを学ばせたい。
ここの所相手にする人たちは、じっくり考える前に正解を知ろうとする傾向があるように見える。n数が少ないので統計的に有意差があるかどうかの判断は出来ないと思うけど、そういう行動がやたらと目に付くようになった。気付いてからは僕自身にも若干バイアスが掛かっているから尚更目立つのだろうが、それでも増えた気がする。
試験の成績を上げるための勉強の弊害なんだろうか?
多分現在の試験制度は、社会に出てからの例えば応用力や問題解決能力と言った能力を測るメジャーとしては、駄目なんだろう。

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2017年4月18日 (火)

民意とは何か?

メデイアで話題にはなるけれど、その実態が僕にはさっぱり解らない、その代表格は「民意」だろうか。
国民投票のように一つの案件に対して全員が意見を述べる事が出来るようなシステムがあって、その代表的な意見が80%であった、とか言うならそれは民意と言って良いだろう。
政治家、新聞、テレビで”民意は・・・であり・・・”なんて言われても、”それってどうやって集計したのさ?”って思う。
”街頭インタビューで1,000人に聞いたところ60%の人が賛成していました。”なんてものならまだマシだが、”本当に1,000人に聞いたの?”とか、”自分たちの都合の良い数字に変えてない?”とか、”そもそもその1,000人は母集団を代表するサンプルになり得るの?”とか、色々思う。
みんなメデイアがそう言ってるから”そうなのか・・・”位に思っているんじゃないだろうか?
それって空気みたいなもんだよね?
へんな空気が勝手に作られて、KYじゃない日本人が忖度や斟酌で話を進めている、そんな気がする。
国、県、市、町の民衆と議員のヒエラルキーが順に民意を上げて行くようなシステムがちゃんと機能するならば、テレビで国会議員が”地元から上がって来た民意を代表するとこうである。”なんて言っても良いかも知れないが、日本でそんな政治が行われれている様にはとても思えない。そんなヒエラルキー自体が無意味であるような印象すら受ける。
結局、メデイアで語られる「民意」って何さ?

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2017年3月31日 (金)

「忖度」が国際語になった

日本経済新聞 電子版に英フィナンシャル・タイムズ紙 の日本語約が載るのだが、その中に「[FT]Sontakuがつなぐ日本のスキャンダル 2017年3月30日付 」と言う記事があった。
へ~「忖度」が国際語になった、と思った。実は、この「忖度」って結構嫌いな習慣だから、はっきり言って嬉しくない。(「勿体ない」は嬉しかったように覚えている。)上手く機能すれば「気が利く」と言われるだろうが、下手に機能すると粉飾決算や自主規制のようなことになる。
以前、教科書検定に絡む文科省の自己規制のような話を書いた覚えがあるけれども、「こんな事をしたら何を言われるか解らない」なんて事をまだ何も言われていない内から心配する。大枠で捕らえた指針や命令があって、細部はそれらに沿った形で進めるのなら良いけれども、指針も命令も無いのに勝手に気を利かす。特に森友事件は法令違反に近い。公務員は法に基づいて業務を執行するのが役目なんだから、命令が法に触れるなら誰が何と言っても出来ない筈だよね。
そんな空気が日本には多い。僕はKYだから「それって規則にないから駄目ですよね?」なんて平気で言って顰蹙を買うけど、規則違反をゴリ押ししてくるような上司が山ほどいる会社じゃ、そもそも駄目だろう?
フィナンシャル・タイムズの記者は、「阿部首相が、とてつもなく大きな個人的権力の基盤を固めた直接的な結果として解釈できる。」と締めていたけど、日本は法治国家で何処かの独裁国家ではない。日本の法治制を守る上でも、最近はやりの企業コンプライアンスよろしく、官僚コンプライアンスを遵守して欲しいものだ。

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2017年3月30日 (木)

コメント欄を閉じて2年も経つのか・・・

ちょうど答えるのが面倒なコメントが相次いだのと、忙しくてコメントに答えている暇が無かったのもあって、返事を書かない無粋さより、閉じることを選んだ結果だったのだけど、どうだろうか? こんなブログにコメントしたい奴居るかな?
基本的に備忘録のようなものなので、気が向いたら読んでもらう程度としてもらって、意見が違うと思うなら無視していただく、異論があるならご自分のブログなどに書いて貰う、そんなところで良いだろうか?
この程度のブログなら、何時ネット上から消えてしまっても、構わないだろう?
自分も後どの位生きていられるか解らないし、何時まで続くかなあ・・・

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