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2008年3月11日 (火)

動機の所在

小さな子供を連れた母親が、悪戯をする子供に”怒られるから止めなさい!”と叱るのを目にします。
”怒られなければ、何をしても良いのか?”
子供もそう思うんでしょうか?
でも大概の子供はそうそう言う事を聞ききません。
それは、”止める動機が希薄”だからです。
母親が怖い気持ちとやりたい気持ちを天秤に掛ける。
どちらが大きいかで言う事を聞くか聞かないかが決まっているのでしょう。

普通、オリジナル(自発的な)の行為には動機が存在します。
誰かの真似ですらそれなりに動機は存在するものです。

興味が動機に繋がることもあろうし、本能が動機である場合もあるでしょう。(これは些か即物的ではありますが。)特に社会的な成長が十分でない子供に何かをさせたいのであれば、動機付けが重要です。それは、大人にも言えることですが、それは大人ゆえに動機付けも自分でするものです。人に言われてやるのでは十分大人とは言えません。

かの母親は、子供に悪戯を止めさせたいのであれば、自ら止めるように動機付けをしてあげなくてはなりません。何故止めるべきなのか、きちっと説明すべきなのです。でないと、母親が居ない時にはやりたい放題になるでしょう。一生母親が子供の傍に付いていられる訳もありませんので、ある程度成長したら子供は母親から離れてゆきます。そうなると、善悪の基準が”怒られるか怒られないか”=”捕まるか?捕まらないか?”である大人が出来上がるであろうと想像されます。

子供も中学生くらいになり、大人サイズになると殆ど大人の言うことなど聞きはしません。
本人の判断に委ねる部分が大幅に増してしまいます。この時、自制が効くか効かないかは、本人がそのことをどう思っているかに拠ります。”こんなことをしたら怒られるかも知れない”と思っても、注意する人も居ない。(大人サイズの中学生、高校生に注意をする知らない大人は近年殆ど見受けられません。磯野波平さんのような大人は、滅多に居ないですものね。)一度”怒られないから良いや!”とやってしまえば簡単に常習化してしまいます。だから、良い悪いの判断は、大人が簡単に言い聞かせられる程小さいサイズの内にやらなければ、機会を逸してしまう。しかも、何故良いのか?何故悪いのか?が理解されていなければ、継続的に自制は掛からないでしょう。

だから、”怒られるから止めなさい!”と叱るのはいけてないです。子供が起こられる心配より、保護者である自分が怒られるのが嫌なのですよね?そんなものが子供を叱る動機では、子供にも説得力は無いでしょう?まず親である自分が何故叱るのかの動機付けをきちっとしましょう。

まるで説教のような落ちになってしまいました^^;

書き始めたときに考えていた落ちは違っていたと思うのだけど、暫く書いてる暇が無くてほっておいたら、解かんなくなっちゃいました、タハハ・・・(だったら、載せるなよ!)

その内、思い出したら同じような書き出しでちゃんと書くと思います。

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