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2008年3月26日 (水)

ユビキタスって、そんなだったっけ?

初めてユビキタスと言う言葉に出会ったのは、Interfaceと言う雑誌だったろうか?古い話で記憶が定かではないのだが、パロ・アルト研究所のワイザーと言う人が研究所内の色々なデバイス(無線ポート付きのノートパッドが記憶に残っている)でネットワークを介して自由にデータの参照を行うような代物だった。

TRONの産みの親、坂村先生が「どこでもコンピュータ」を言い出した頃もまだ、大きく外れた感じはしなかった。坂村先生の構想はそれはそれで素晴らしかったせいもある。(BTRONが殆ど実装されなかったのは惜しかった。とは言いながら僕のPCのArchiveには、唯一?の実装されたBTORNが残っている。)

しかし、近年ユビキタス=何処でも誰にでも=障害者に優しいと言った拡張がなされて、ちょっと意味不明になってきた。それぞれ操作環境が異なるため、障害者に優しい=誰にでも簡単は正しくない。障害の部位、程度は千差万別である。仮に健常者であってもそのスキルレベルは大きく異なり、使いやすさも変化しよう。だから、万人に向くインターフェースなど存在しない。究極、思考で操作するような脳が体を介さずに直接操作するようなところに行かないと万人向けのインターフェースにはなり得ないだろう?唯、それすらもユーザのスキル次第である。

「何が出来るのか解らない人に、どうすれば出来るのかを教えることは出来ない。」

日本における近年の携帯電話は、ワイザーが唱えたユビキタスコンピュータのように思える。(彼がこんなものを想像していたかは、定かでは無いけれども、当時既にネットワークを介した音声通信が可能だったと思うので、ラップトップPCが小さくなったと思えばそれ程悪くない。)電車の中で見かける驚異的なスピードでメールを打つ高校生達のような使いづらいインターフェースを物ともしないユーザは一先ず置いておいて、音声認識でコマンド入力等が出来る携帯電話であるなら、「ユビキタス=何処でも誰にでも=障害者に優しい」が同時に実現可能であろう。 (音声が発せられない障害者にはそれでも使えないが・・・)

それなら、意味不明とも思えるユビキタスの意味拡張も現実的な解決法で包含することが出来るかも知れない。

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