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2008年4月

2008年4月30日 (水)

何故か興味が湧かない本家ホンダ

第1期は、当然見ていませんが、セナが居た第2期、ビルヌーブが遅いクルマを中段グループに見せていた第3期BAR前期、琢磨が走り始めた第3期BAR後半、どの次期もホンダを興味を持って見ていた。でも、オールホンダ体制になってから全く興味が無くなってしまった。

2輪時代から殆ど全ての話が”ぶっちゃけ”な中本さんは好きだが、ニック・フライって何者?彼がなんかコメントするたびに、ホンダは何でこんな奴を代表にしている?と思う。でも、それは瑣末な事だ。

興味が無くなった一番の原因は、やはりドライバーなのだ。バトンといいバリチェロと言い、見ていてちっともワクワクしないのだ。

ここ最近のF1で見ていてワクワクするドライバーは、モントーヤと琢磨しか居なかった。シューマッハとアロンソは、その上手さを感心しながら見てはいたが、応援したくなるドライバーと言うと中島は文句の無いところだが、スーティルとボーデが今は何か応援したい。

今年は、アグリが心配で頻繁にニュースを追っているが、ホンダは今年も駄目だろ?来年は、ロス・ブラウンが居てアレックス・ブルツが開発をするのだ。期待しないほうがおかしい。

願わくばもっと相応しい人間をチーム代表に据えて、ワクワクするようなドライバーを起用してもらいたいものだ。

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2008年4月27日 (日)

気弱なフロと勝気なトラ

猫は概ね単独で行動します。世の猫族を見ていても集団で暮らす猫族はライオンくらいものです。でもそれすら集団を形成するのは雌ライオンと子供だけ。普通大人の雄猫が集団を形成することは見受けられません。

トラが指先で持ち上げられるほど小さかった時は、フロの後をテトテトとついて歩いていて、追いつくのを待つ母親のようなフロを見て”何て面倒見の良い奴”と思っていましたが、トラがフロと同じサイズになっても彼らは一緒に歩いていました。

彼らは、野良猫でありながら僕から餌を貰っているので、他の野良猫たちからは餌を奪うべき存在だったようで、よく餌をめぐって喧嘩を仕掛けられていました。熱心な野良猫は、アパートの部屋の中にまで追ってきます。でも、僕に見つかると叩き出されるので懲りている猫は追ってきません。だからフロは別にアパートに逃げ込めばOKなので喧嘩をする必要もなかったんだろうかと思います。でもトラと2匹になってからは、逃げ出さなくても済んでいたようです。(何でフロとトラだけは他の野良猫とは別扱いなんだ?と聞かれると困るのですが、フロとは既に色々と経緯もありますし、トラはフロに懐いていたのでフロの子供=孫みたいなもんでしたので・・・)

何度か彼らが他の野良猫と喧嘩をしているのを見かけましたが、幾ら喧嘩が弱くても共同戦線を張った彼らに1匹で挑む猫は分が悪いようで、彼らが負けて逃げ出すところを見たことはありませんでした。フロだけの時は、常に負けて逃げ帰ってきたのとは大違いです。

でも、彼らの戦いぶりを見ていると、フロは逃げ出したいのにトラが頑張るので仕方なしにトラと一緒になって呻っている感じだった。同じ状況にあっても、フロは耳を畳んで小さくなるのに、トラは毛を逆立てて怒り、空きあらば攻撃する態勢になります。大概一匹で行動する野良猫たちは、彼らに一匹で挑んでも分が悪いと思うのか睨み合うだけで諦めて逃げてゆきます。

フロが一匹のときは、彼は当然のように睨み合いだけで負けて逃げてきますので取っ組み合いにはなりません。トラは常にフロと一緒なのでやっぱり取っ組み合いになりません。だから、彼らが取っ組み合いの喧嘩をしているのは見た事がありませんでした。

そんな両極端な猫同士でも、彼らはとっても仲が良かった。

”お前ら、何時も一緒だな?”

”同属嫌悪”なんて言葉がありますが、彼らは雄猫同士でも両極端な正確ゆえにずっと仲良くしていられたのかも知れません。

でもなあ、トラは僕に妙な懐き方をしていたのとフロと風呂好きな以外、至って全うな猫だったけど、フロはなあ、お前どう見ても猫らしくないだろ?最初は遠慮がちな猫だと、普通家で一番偉そうにしているのが普通なのに、何でそんなに肩身が狭いような振る舞いなんだ?と不思議だったのですが、多分フロの気の弱さの産物だったのでしょうね?

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2008年4月24日 (木)

道路交通システムの失敗

そもそも現在の道路交通システムは、間違っているんじゃないか?道路特定財源なんて税金を長々と使ってきて、一体どんな将来像に向かってシステムを構築してきたんだ?と思いながら、この記事を書き始めました。

平成09年9,640
平成10年9,211
平成11年9,006
平成12年9.066
平成13年8,747
平成14年8,326
平成15年7,702
平成16年7,358
平成17年6,871
平成18年6,352

過去10年間で47万件から93万件まで増えているが死者数は、約3割減ってきている。ただし、これは24時間以内の死者数で、30日以内とすると7,931人である。このうち、65歳以上の死者だけで45%(65歳以上の人口比率は20.8%)を占めます。

でも負傷者数は
平成09年858,925
平成10年990,675
平成11年1,050,397
平成12年1,155,697
平成13年1,180,995
平成14年1,167,855
平成15年1,181,431
平成16年1,183,120
平成17年1,156,633
平成18年1,098,199

運転免許保有者数は、4,300万人から7,880万人にまで増えているそうです。
一方人口は、殆ど横ばいで1億2,000万人くらい。
運転免許を持っている人が増えいる≒自動車を運転する人が増えているとも言えますが、死者は減って来ています。

歩行者の交通事故は平成12年をピークに減少傾向にあるものの、平成10年と比較すると、発生件数,負傷者数ともに1.2倍になっているそうです。

高齢者の交通事故は年々増加しており、平成10年に比べると、平成19年は、発生件数で2倍、負傷者数で1.7倍だそうです。

自転車乗車中の交通事故は、平成12年以降、ほぼ横ばいで推移していますが、平成10年と比べると、発生件数で1.5倍、負傷者は約1.4倍と増加しているようです。この中で、自転車と歩行者の交通事故は平成17年、2266件(4.58倍)となっています。

これらの意味するところは、主に自動車の安全性の向上と思われますが、減っているのは自動車の乗員で、対人や対自転車は左程減ってはいない様にも思えます。また、自転車と歩行者の事故が突出して増えていて、それに伴って高齢者の負傷者数も増えています。

テキストで書いてしまうと解りにくいのですが、警視庁のページに統計とグラフが載っていますので、そちらを見ると直感的に解るかも知れません。
警視庁 交通人身事故発生状況
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/toukei/jikomap/jikomap.htm

また、ちょっと前に新聞にこんな記事が載っていました。
「自動車の通行量が多く車道走行が危ないことを理由に、自転車の歩道通行を認めている道路のうち、約1割は歩道上でも自転車と歩行者が接触する危険のあることが、警察庁の調査で分かった。同庁は12日、特に危険な区間については、今年度中に自転車の通行環境の整備に着手するよう、都道府県警察に指示した。

 自転車は車道走行が原則で、このほかは車道が危ないため「自転車通行可」の標識を設けている歩道しか走れない。同庁は2月から「通行可」の標識がある道路の全区間約7万1000キロと、駅や学校などから半径500メートル以内にあり、歩道通行が禁じられている道路約8000キロについて調査した。

 通行可の標識がある道路のうち約5700キロ(8%)は歩道上で歩行者と接触する危険があった。一方、歩道を走ってはいけない道路についても、約2800キロ(35%)は車道自体を走ることが危険だった。また、違法通行の自転車と歩行者が接触する危険が確認された歩道も約1800キロ(22%)あった。

 同庁は自動車・歩行者中心の道路行政を見直し、国土交通省とともに今秋を目標に、車線を削ったり歩道を区分したりして、自転車の通行空間を確保する道路整備指針づくりを進めている。危険な道路環境を早めに解消するため、降車を指示する看板の歩道への設置や、自転車走行帯を示す車道左端の色舗装などの対策を前倒しすることにした。」

これらのデータを見ていると、キーとなるものは高齢化と自転車なのかも知れないと思われます。
自動車は、自動車そのものの安全性が高くなったのと救急システムの整備で助かる人が増えたのと相まって、事故や負傷者数が増えても死ななくなっている。
でも、高齢者の運転が事故に繋がったり、歩道を歩いていて自転車にぶつけられて怪我をしたりと身体的に弱者である傾向が高い人たちが事故に遭い命を落としています。
また、自転車と車の事故も増えています。

自転車は何処を走ればいい?http://noraneko-furo.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_ae54.html
と言う記事でも書きましたが、道交法に従って、真面目に乗ろうとすると自転車は何処へ行っても邪魔者扱いですが、街を歩いていると自転車の運転者の道交法まるで無視の危険な運転を幾らでも目にします。所沢の一部の地域は、歩道の中に歩道レーンと自転車レーンを別けているところが多いのですが、そんなものはお構いなしで我が物顔に歩道を駆け抜けます。
先の新聞記事は、自転車を歩道に上げた事の間違いを指摘するような内容ですが、事はもっと根深いのではないでしょうか?

自転車は、免許がありません。原付きは、制限30km/hですが免許・保険が必要でヘルメットの着用義務もありますし、車道を走らなければなりません。でも、自転車はかるーく30~40km/hは出るのに、保険に入っている人など皆無に近いし、ヘルメットはかぶらないし、歩行者を縫うように歩道を平気で走ります。信号無視もへっちゃらです。

運転免許制は、交通の安全と責任の所在を明らかにするためのものですから、自転車のように交通上安全でなく責任の所在もあやふや、罰則規定も無いのと同じでは危険なだけです。
自転車は手軽で便利ですし、自転車と言う乗り物自体を僕は好きですが、
”運転免許制にしてしまえ!”
と言いたくなります。
もしくは、自転車レーンの無い歩道は押して歩く事にして、違反者にはその場で反則キップを切る位に思い切った事をしろ、と言いたくなります。

でも、これでは生活が不便になるでしょう?
何か代替の便利な交通手段が要りますし、そんな付け焼刃みたいな対策じゃ多分効果は上がらない。

街が広がり、緑が消え、これまでの路線バスとか路面電車とかちょっとした足になるような公共交通期間は、民営化が進み、収益性の悪い路線は廃止になって、自転車でも無いとまともに生活できない。
高齢になり、交通弱者になったら駅前の便利なマンションなどに住んだ方が、事故に遭う機会も減るし救急医療も楽ちん。高齢者が無理をして自動車や自転車を運転しなくても良い。
環境問題で、排気ガスの出ない自転車は奨励されている。
これまでの個人経営の農家では、現代人の生活スタイルに馴染まない。
農地は、宅地に消え、食料自給率は20%代。
車を減らしたら、自動車産業が傾いて国の産業が立ち行かなくなる。

何だか八方塞がりで、この先どんな未来が来るのか、正直不安になります。
この記事のカテゴリは、発明品なのに間に余計なことを書きすぎて、本題が薄まってしまった。でも、書き始めに考えていたことはこんなことだったのです。

居住地域は、駅前の便利なところにぎゅっと詰め込んで、現在の宅地は大規模経営農場にし、工場までは電車、広い工場内や農場内は自転車、居住地域内は基本徒歩みたいなシステムにすれば、食糧問題、環境問題、インフラの整備、医療、教育、などなど、街が広がることで起こるインフラの希薄化も避けられる。

無駄な道路を作らなくて良いし、道路を混合交通にし無ければ事故も減る。自動車が少なくなれば、環境にも優しい。

ただ、こんな大規模なシステム変更は、社会システム自体の変更を意味するし、進められる政治家も居ないだろう?だから、夢物語なのではあるけども・・・
それから、そんな環境が人間らしい生活を奪いはしないか?と危惧される面もあるが、ここ2,000年の人類の生活環境は、人間らしかったのか?と聞けば誰も答えられまい?

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2008年4月21日 (月)

桜が綺麗だった

昨日は予定がずれて時間が取れたので、何時ものように奥多摩を目指しました。入間の何時ものガソリンスタンドで給油休憩して、成木街道、奥多摩を目指します。

休憩のために入った小河内ダムの駐車場に入りました。バイクを止めたら、隣に博物館で見るようなバイクが止まっていました。トライアンフの古いモデルかと思ったのですが、右のクランクケースには”SAN”と書かれていました。多分100年くらい前のバイクなんだろうな?人だかりになって居たので、後で写真を撮らせてもらおうと思っていたら、知り合いに会って話している内に行ってしまいました。この知り合いは、以前バンディットの1200?1300?に乗っていたのですが、昨日は、走行距離1000kmのトライアンフの675cc3気筒のバイクになっていました。足つきも良さそうだし、乾燥車重160kgちょっとだそうで乗りやすそうなバイクでしたね。女性とかに進めようかな?

20080404104437見た目はトライアンフでこんなバイクでした。この写真はトライアンフのモデルHですよ。昨日見たのは何だか解りませんが、見た目はほとんどこれと一緒でした。(マニアが見たらきっと直ぐ解るんだろうな?写真は、ビンテージ物のレストアをやってる今井オートさんから借りて来ました。)

080420_08570001 080420_08570002 駐車場から見上げる南斜面の山肌には、桜が沢山植えてあって中々綺麗でした。その後、奥多摩周遊道にも行ったのですが、ここも桜が綺麗だった。 結局約1年ぶりで会った知り合いと一緒に走り、深山荘のざるそばを食べていたら、雨が本気で降ってきそうだったので、早めに帰って来ました昨日は、あきる野市側に降りて十里木長岳温泉に入ろうと思っていたのですが、雨で中止にしたので、何時もの峠、ざるそば、温泉の3点セットは2点止まりでお終いでした。多分本気で降る事は無かったとは思いますが・・・

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2008年4月19日 (土)

Stand Alone Complexの意味は?

孤立の複合体=Stand Alone Complex

First Gigを数話を見た後で、副題のStand Alone Complexの意味を”孤立の複合体”と訳して見ました。攻殻機動隊関係の書籍でも見れば書いてあるのかも知れないけれども、もともとアニメファンでもない僕にはそこまで見る気はありません。むしろ、”こうだ!”と言われてしまう前にあれこれ想像するほうが余程楽しいと思えます。

人類は社会性を持つ動物です。人の心も自由だといってもまだまだ集団意識の中に埋もれがちです。人々はお互いに接点をもち、共感するもの達が集団として行動を起します。
しかし、孤立した人間が自らの考えに従って行動したのに、同じ行動を起す人間が多数に上った場合は、動機の定義が難しくなります。

例えば、ネットに載せた情報は、載せた時点で著作権の設定が不可能になってしまうように、特に共有化や並列化を意識しなくても単一性は喪失されます。

あれこれ考えながら、First Gigを見ていましたが、残念ながらFirst Gigの6話の中で、9課長が”Stand Aloneの複合体、所詮、オリジナルの存在しないコピーに過ぎない”と言っていました。一応解答は与えられましたが、そこには議論がありませでした。でも、最終回で意外な形で作家自らが議論するように作家の考えるStand Alone Complexの意味がアクターによって議論されていました。

全ての情報は、共有し並列化した段階で単一性を喪失し、動機なき他者の無意識に、あるいは、動機ある他者の意思に内包化される。

オリジナルの笑い男が、26話でこう言っています。さらに、

あたかも新作を発表しないことでその存在を誇張されてしまう作家のように。

消滅することによって社会システムの動態を規定する媒体であり、最終的にはシステムの内側にも外側にも痕跡を残さない。

オリジナルの不在がオリジナル無きコピーを作り出す。

この現象をStand Alone Complexと言うか?

簡単に言うと、誰が始めたか解らないけどメディアを通して巷で流行るようなことを言うのでしょう?攻殻機動隊の舞台である近未来でなくとも、幾らでもありますよね?罪無く面白いものであれば、自分がオリジナルであると主張する人が多数現われたりしますが、ネット炎上を代表するようなネット上の誹謗中傷のオリジナルを名乗り出たりする人は居ないでしょう。だからオリジナルは基本的に不在になります。ネット炎上なんて現象は、パソコン通信なんて呼ばれていた昔から危険性は認識されていたけれども(ネチケットなんて言葉が生まれたのも、この頃でしたよね?)、実際に被害が出始めたのは最近でしょう?でも、攻殻機動隊はつい最近のアニメではありません。

笑い男のオリジナルは、今でもありそうな厚生疑獄を暴くため、つまり正義感に駆られての行為でしたが、そのコピーは強請りと言う犯罪に利用されます。
行為は真似ることは出来ても動機は真似できません。模倣者一人づつの背景が異なるため動機は同じにはならないからとも言えるけれども、どうだろうか?
政治家は言葉に命を掛けるとか言いますが、一般に言動は信用されず行為のみを信用します。でも行為だけからは、その動機の真意は解りません。ですから、模倣者が動機を摩り替えてしまっても、オリジナルか模倣者かどうかの区別は通常付きません。それがオリジナルの無いコピーの生まれる原因でしょうか?

作者が想像する日本はくそったれな世の中ですが(今もさほど変わらないけれども)、作者自身は見捨てていないようでその救済も考えていたようです。それは最終回で少佐が、並列化による個の喪失とその末の個の獲得のキーワードは、好奇心と言っています。

笑い男のオリジナルである彼も”覗きが趣味ですから”と答えているけれども、それは取りも直さず好奇心が強い事に他なりません。覗きが正しいかは議論しませんが、報道と言う名の覗きも社会システムの一部として認知されているように、個人の覗きも報道と言う形態を取るのであれば機関としての真正性が担保されなくても十分な価値を持つのかも知れません。(最近、正しいことを伝える義務を全うしていないように思える報道機関が山ほどあるようなので、機関であることに特別な意味は無くなりつつあるようにも思えます...)

作家は、Stand Alone Complexの意味をこう言う社会現象として捉えたと言っているように思えますが、こう言う現象は多分「責任の所在」が希薄なところで起こるのであろう?と思います。First Gigでは社会現象としてのStand Alone Complexを描いていますが、Second Gigでは、ウイルスによる思想誘導と利害共有者同士の自発的且つ独立した協調行動という形でStand Alone Complexを描いています。

僕も、無記名なブログで書いているわけですから、書いた内容に責任は持たなくちゃならない事は多分起こらない。(仮に裁判所命令を持たずに僕の責任を追及する人が現われたとしたら、その人は既に法を犯していますからね。)だからと言っていい加減な事を書いているわけではのですがね・・・

 

 

思うところがあって、少し補足を書きました。
Stand Alone Complexの再考
http://noraneko-furo.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/stand-alone-com.html

お約束通り、いや、そんなものしてないか?
Stand Alone Complexの意味を深読みする
http://noraneko-furo.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/stand-alone-com.html
と言う記事で、一連の記事を締めてみました。

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2008年4月16日 (水)

筋肉負荷と骨密度

ちょっと嘘っぱち臭い記事ですから、気を付けて読んでください。要するにエビデンスが無いのです。(見つけられないだけかもしれませんが・・・)

筋肉負荷と骨密度は、骨緻密度も含めて、それら量は可逆的に変化します。正の相関を示します。筋肉負荷と筋肉量は正の相関を示しますので、筋肉量が減ると骨量も減ると思われます。

経験的に、骨折等で長期に固定(ギブス固定でも何でも良いのですが)しているとX線写真上、固定していない方の骨と比較してX線の吸収が低下してきます。このことは、骨のミネラル量が低下しているか、骨の構造物の量の低下を意味します。骨の皮質も低下するのですが、海面骨の吸収の低下が大きいのです。

これは、骨折による固定だけではなく、病気をして長期に動かない人にも言えるだろうと思います。長く床に伏せっていると骨折しやすくなると言えるのですが、他の要因、例えば長期にステロイドを使っているとか等、治療などによる薬などのサイドエフェクトを切り分けては居ません。

簡単に言うと、”負荷が掛からなければ、骨は減ってしまう”ということになると思われます。

経験上とは、全身7箇所も骨折している僕の経験も含めてですが、普段見ているX線写真を含めたCTやMRIと言った画像を見て全般的に言えることです。

何でこんなことを書く気になっているかと言うと、近年のダイエットブームを見ていると、特に女性に言えることなのですが、彼女達が50~70歳になった時、ちょっと転んで骨折してきた、とか、骨折で暫らく動かなかったら内臓疾患を併発してしまったとか言って病人が増えそうで嫌だな?と思うからです。

アクターズインタビューと言うTVプログラムで、ブルース・ウィルスが「裸を見せることは、体を鍛える十分な動機になる」と言っていましたが、女性でも流行りの細いパンツを履きたい、なんてのが痩せる動機として十分なのかも知れません。でも男性が体を鍛えるのと違って、女性のそれは失うものが大きすぎるかも知れません。

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2008年4月13日 (日)

何時の間にか

ブログを始めて1年が過ぎていました。
去年の4月6日に登録して、その日に20近い記事を一遍に載せて、ブログを書くと言う生活をスタートさせました。今日、新しく記事をアップしようと開いたら、1年過ぎちゃっていました。ちょうど1年の節目の記事を書こうと思っていたのに・・・

ココログの管理ページの概要を見てみると、
記事数:257、コメント数:164、トラックバック数:74、ライター数:1、累計アクセス:6420、一日あたりの平均:16、集計対象訪問者数:2036、リピート率:4.5%(最大133回)だそうです。

1年間、最低でも2日に1記事は書けていたのですが、4月に入ってから3日に1記事になりつつありますね。最近、仕事上の書類書きが多くて、キーボードに向かう気にならないのですよね。音声入力でも試そうかな?
ルーチンワークでもキーボードを叩き、残業でもPCで書類書き、家で私事の調べ物にブログの記事の草稿となると、眼と肩が持たないのですよね。

暫らくちょっとペースが落ちるでしょうが、気が向いたらちょっと立ち寄って、お馬鹿な記事でも呼んでいってくださいまし。m(_ _)m

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2008年4月12日 (土)

トラ

フロが死んでから、トラは益々僕にべったりになりました。

フロが居た頃は、2匹に挑みかかる野良猫はあまり居なかったようで、彼らは安心して食べていたようですが、トラだけになると野良猫が寄ってくるようになったらしく、トラはよく怪我をするようになりました。

仕方なく、彼が食べ終わるまで付いていてあげるようになって、一緒に居る時間も増えました。
管理人室の入り口の階段に腰掛けて待っている僕に、ちょっと食べては擦りよりまた食べに行きます。
”お前~、擦り寄るのは良いから、さっさと食べろよ!”
でも、特に朝は食べ終わると行ってしまうのを知っているかのようにゆっくり食べます。(僕も時間を気にしながらも、満更でもなかった。)
管理人室はずっと開き室でしたが、通りすがりの人によく怪訝そうな顔で見られていました。

朝、時間になって仕事に向かうと、彼は必ず広い道まで送りに来ます。フロと二匹でそうしていたように。そして夕方は、遠くに見つけると走って来ます。夜は夜行性とは言っても流石にそんなに遠くは見えないのか、アパートの傍まで行かないと走って来ません。

”トラ~、お前犬じゃね~んだからさ。普通、猫は送り迎えなんかしね~もんだぞ!”、と言いながらも、そんな彼が可愛くて仕方なかった。

夜は、食べ終わると車の中でトラと遊んでました。ちょうどトランクルームの所は街燈が入るので、何とか本も読めたので出来るだけトラと一緒に居る時間が作れるようにしていました。
アパートを引き払ってしまったので、風呂好きな彼を風呂に入れてあげられなかったので、蒸しタオルを作っていって体を拭いてあげていました。彼は、以前のように体を拭いてもらいながら、自らも毛づくろいをしていました。
帰ろうとすると、トラは凄く寂しそうな声で鳴きます。きっと彼にとって僕は親なんだろう?フロも居なくなって、小さい頃からずっと一匹じゃなかった彼は、きっと自分だけになるのが嫌だったんだろうと思います。帰るに帰れない僕は、月に何度か車の中で寝てしまっていました。

こんなに懐いているなら?と思わせるほど、反対を押し切っても動物を飼えるアパートにすれば良かったか?と、あの時の判断は正しかったのか?と自問自答する毎日だった。そうすれば、今、フロも一緒に居たかも知れない、と。でも、アパートを借り替える事もどちらかの実家に預けることも当時は無理だった。かと言って、ずっと住み続けるか解らない所沢に家を建てる決心も付かなかった。

フロにとっては、管理人さんが居ればもっと違った生き方が出来たかも知れないな?それはトラともめぐり合わなかったことにも繋がるかも知れないが、言っても詮無い事ではあるけれども、フロを死なせてしまい、トラにも寂しい生活をさせてしまっている自分には、判断を迷わせるに十分だった。

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2008年4月 9日 (水)

宿命ですかね?

よく”運命は変えられない”なんて言われますが、運命は変えられます。でも人生の中で一つだけ自分ではどうしようもないことがあります。それは”親は選べない”ことです。宿命とか呼ばれる奴です。

末っ子の僕の親はそろそろ日本人の平均寿命ですが、何だか子供のようなことを言うようになってきました。どうも大人と子供と年齢の関係は、2次関数のように平均寿命の半分ぐらいを大人の頂点として生まれて直ぐと死ぬ間際が一番子供なのか?と思えるほどです。

子供の時には、その人の性格が現われやすいように、子供になりつつある大人も性格が現われやすくなるようです。自分が大人になったために気が付くようになったとも思えるけれども、親も子供化してそれまで隠されていた本来の性格が表に出てきたからかは解りませんが、自分の中にある困った性格を老いた親に見るとき、つくづく親子なんだな、と実感します。親を選べないと言うと、親の経済力や仕事、居住地や教育レベルに目が行きますが、自分の性格まで親譲りで自分では変えようも無いものなのか?と思うと、これも宿命の内なのだろうかと思います。

困ったものです・・・

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2008年4月 6日 (日)

今日は車が少なかった。

今日は、今年初めのクラブツーリングでした。

ちょうど花見が終わった次の週だからか、日曜だからかは解りませんが、道は割と空いていました。

毎年4月のツーリングは、伊豆スカイライン往復なんですが、第3京浜、横浜新道、西湘バイパス、箱根新道、椿ライン、伊豆スカイライン、往復してきて、小田原厚木道路、東名高速で用賀で解散です。

西湘バイパスの神津SAは相変わらずのバイクの見本市のような感じで、どんだけ、いるんじゃ?と思える程のバイクの数。この先、伊豆の何処に散って行くのだろうか?こんなに居たら、行く先々バイクだらけだろう?と思えるほどでした。

普段一人で走っていると、直線をあまり開けないのと、伊豆スカイラインは中速から高速よりのコーナーが多いので、急にスピードレンジが異なるので目が慣れるまでスピードに目がついて行かず、フリーの区間では、クラブのみんなに着いていけませんでした。コーナーの侵入で少しづつ遅れ、だんだん離れていってしまいました。まあ、でも片道26Kmくらいなので、全然見えなくなってしまうようなことにはならないのですが、付いたときには先頭で着いた奴がヘルメットをちょうど脱いだところだった。

亀石SAは、Docatiだらけ。もう1098Sとかが居ました。

復路の方は、目が慣れて来たので、何とかみんなと楽しめるくらいまでスピードアップ。もう間違いなく事故ったら死亡事故になりそうだよね。

それにしても、観光で景色を見ながら走っている車には、例えば亀石SAに止まっているような連中は迷惑だろうなあ?追いつくと直ぐに左に寄ってくれるところをみると、多分これまでの道中で散々バイクに抜かれて、追いついてきたら先に行かせてしまった方が良いと思えるくらいだったのだろう?ほんと、ごめんなさいm(_ _)m

バイク屋は中野にあるのですが、929は車検なので、店に預けて、帰りは代車でLive in Duoの50cc黄色ナンバー、見た目原付き、っていうか、まんま原付きで、皮つなぎ着て原付き、ガススタンドで給油口の場所が解らず、普段30分で帰るところを50分掛けて帰って来ました。最後が一番疲れたわ・・・

車庫入れが重くなければ、CB1300を借りてきたのですが、あのデカイのを駐輪場に上げる自信が無い。今回は原付きだったので、よっこいしょ!っと持ち上げて上げちゃいました。楽ちん♪

来週は仕事なので、暫らくバイクはお休みです。折角良い季節になったのに・・・

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2008年4月 3日 (木)

マックス・モズレーのセックス・スキャンダル

本来、こう言ったネタは嫌いなので読むことも少なく、読んでもコメントするようなことはまず無いのだけれども、去年のスパイゲート事件の厳しい制裁の後のFIA会長のスキャンダルともあれば、”ロンの仕返しか?もしくは、そう思わせたい誰かFIA内部での次期会長選を睨んだ反モズレー組の企むか?”なんて憶測は誰でもするだろうな?と思います。
この手の政治的なやり取りは、F1雑誌のネタ作りには十分価値があるのだろうけど、”そんなのF1に関係ないだろ?”とも思えます。
スパイゲート事件だって、昔から技術者を引き抜く理由がそこの優れた技術が欲しいからで、昔から散々やられていたのに今更なんだよ?って感じでした。ホンダからフェラーリに行った後藤さんの件だって、それまでパワーは出てるけどまともに1レース持たなったフェラーリエンジンが後藤さんがホンダの部品管理ノウハウを持ち込んだせいで、今じゃ一番信頼性が高いなんて言われてる。空力のアイデアだって、どこかのチームが採用すると他も直ぐ真似をする、そんなの当り前だった。一体、何時から何処で線を引いて事件にしたんだよ!と思えます。
これまでフェラーリがトヨタやマクラーレンを相手にしたから取り上げてもらえたとか、実しやかな噂も流れていますし、だったらなんでマクラーレンからルノーはOKだったのさ!なんてのも当然出る文句でしょう?
FIAもFédération Internationale de l'Automobileでは無く、Ferrari intrested associationとかみんなが勝手な造語を楽しんでるのも理解できるほど、フェラーリが騒ぐとFIAは動く。
F1を取り巻くスキャンダルネタは、純粋にF1を詰まらなくします。もう辟易。
今回のは、チームを取り巻くネタではないけれども、願わくばチームに関与しところで解決されて、今年もどこかのチームがポイント剥奪なんて馬鹿なことにならないことを祈ります。

気になる人は、F1通信さんがちゃんと訳してくれてますのでご一読あれ♪
http://blog.livedoor.jp/markzu/archives/51264181.html
http://blog.livedoor.jp/markzu/archives/51265175.html
http://blog.livedoor.jp/markzu/archives/51265714.html

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2008年4月 1日 (火)

April fool

このブログでは、管理人の名前が特定できるようなことは書いてきませんでしたが、書いてしまおうか?なんて思ったりもします。

いや、でもその前にもっと重要なことがあります。きっと誰も信じないでしょうが、僕は今記事を書いている人に乗り移ってから約2年、どうも人を救うことに興味が湧き始めてきてしまいました。
ですから、最低2日に一度記事をアップしつづけてきましたが、急に記事が途絶えたら、多分その時は、役目を忘れて人を救ってしまったんだろうと思います。
でも、僕が離れて自らを取り戻したこの人が書きつづけてくれるかもしれませんけどね♪

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