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2008年12月

2008年12月30日 (火)

よく続いたものだな

2007年の4月から始めたブログですが、
記事数360
コメント数657
トラックバック数67(怪しいサイトへのトラックバックは公表していません。ゴメンなさい。)
アクセス数16561
一日平均26
リピート率5.5%
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最大訪問回数250(有り難いけど誰だろう?)
なんて数字が出てきました。(業績報告みたいだな・・・)

この数字がどう言う意味を持つのかは良く解りませんが、僕の書く訳の解らない文章を読んでくれた人がこれだけ居るという意味でしょうか?

明日から久しぶりに実家に行きますので、今年はこれで最後の記事になります。

有り難う御座いました。

良いお年をお迎えください♪

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2008年12月28日 (日)

日々殺人のニュースが流れる世相に思う

長らく社会生活を基盤としてきた人には孤立に対して強固な耐性を持ちあわせては居ないようだ。
近年増加している怨恨や利害と言ったこれまでの常識が通用しない殺人者に「誰でも良かった」と言わしめるような犯罪は、彼らの孤立に対する追い詰められた感情の行き着く先なのかも知れない。

世の中には人殺しの道具が溢れている。もともとそれらは人々の暮らしを豊にするものであっても、使い方を間違えれば凶器になりうる。我々はもともと危うい環境の中に生きているのだ。安全に関する基盤は、礼儀正しく非攻撃的な日本人社会にはあえてお金をかけなくても十分であったと思える。それは社会基盤が孤立した人間を作りづらい構造だったからと考えることも出来るだろうか。
高度経済成長が齎した核家族と呼ばれる社会構造は、多くの家等の基盤構築を促し経済成長を足元から支えていた訳だが、その結果として孤立した人を大量に作り出してしまった。

性善説を信じる人が居るだろうか?でも、箍の外れた人間は何をしでかすか解らない。無政府状態の紛争国で人々が行う非人道的な行動は、十分性悪説を裏付けるようなものに思える。彼らは箍が外れてしまっているのだ。それまでの隣人に対して銃口を向け平然と引き金を引く様は、「誰でも良かった」無差別殺人者と対して変わらないものを感じる。
核家族化による社会的孤立であれ、経済不況に拠る社会不安であれ、もっと違うものであれ、孤立させ箍を外してしまっては、殺人者になる者もその被害者になる者も双方にとって不幸である。
この状況を作り出した背景が、もし解っているなら修正するしかない。

多くを求めるものにとっては、同じ状況も違って感じることだろう?「安月給でもそれ程暮らし振りが悪い訳でもない」、「幸い家族に恵まれている」と感じる僕の置かれた環境も、人に拠っては生活に不満を持ち、十分孤立を感じさせるものかも知れない。
過剰な自我を構築しなければ、人とて唯の生物であり置かれた立場で素直に生きていけば特に問題は発生しない。人こそが持ちうる過剰な自我が、報われない想いに攻撃的な防衛策を要求する。
将来に希望が見出せず孤立した人にとって、社会は敵であり、そこを行き交う他人は敵意をぶつける相手になっても不思議ではないのかも知れない。将来の希望がない状態は、箍が外れた状態に他ならないのだから。

日本は、富の分配が世界一上手く行っている国と言われてきた。ある意味理想的な社会主義国家と言えなくもない状況だったのだが、それらは経済に対する国家による縛りが上手く機能していたからだろう?
平成の時代の経済の自由化は、バブルを産み、バブルで挫けた日本企業に体力を与えたかも知れない。でもその恩恵に預かっているのは国民全体ではない。
だからと言って、世界的な自由経済の中、保護主義を復活出来る筈もない。
テレビで垣間見るような一部の人たちの優雅な生活を国民全部が出来るほど、世界経済は裕福ではない。ましてG7最下位で一人当りのGDPが19位の日本は、大量の富裕層を賄い、貧困層を出さないほど裕福ではない。

孤立した人間を作らず、貧困層を出さない施策がその解決の糸口となろうか?
例えば、ドイツに見られるようなワークシェアなどや、地元の人間を優先雇用する雇用法や、農村の復興を促し家族が離れて暮らさなくても生活が成り立つような施策が必要なのかも知れない。特に農村復興は、食糧問題とも関連して重要な課題であると思われる。

「殺人と言う経験をしてみたかった」と言ったエリート高校生の殺人は、この理屈とは無縁かも知れない。彼は、エリートであるならば、そうでない人々に対して思いやる必要はないと誰かに教わったのだろう?直接的ではなくとも、結果としてしてそう言う理屈に辿り着くような思想を植えつづけた連中が居るのだ。それは親かも知れないし、競争に勝ち残らせ自らの成績を上げたい進学塾の講師かも知れない。または、ニュースが流す世相そのものかも知れない。それとももっと潜在的な何かかも知れない。個人を攻める積りはないが、何れにせよ、表面に出て来た人間の数十倍は潜在するものだ。

まあ、年末の押し迫った今頃、こんな思考を廻らせている自分も如何なものかな?とは思うのだが・・・

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2008年12月23日 (火)

そっくり館 キサラ

学生の時から??年続く学生の時の仲間との忘年会の2次会で、新宿の伊勢丹傍にある「そっくり館 キサラ」に久しぶりに行って来ました。

その日は、物まね王座決定戦でお馴染みの「西尾夕紀」さん、その他「しゅわchan」、「HEY!たくちゃん」、「TAIGA」、「サワー沢口」、「ゴーバンブー」が出ていました。区役所通りにある「ブラックスワン」もそうなのですが、喋りが最高に楽しい。値段も安いしデートコースにぴったりですよ、おにいさん!(笑)

大体こういうハジけたところには、同期のメンバー(つまり男だけ・・・)で行くので、実際にデートに使ったことは有りませんが、カップルが沢山居ました。

みんな面白かったのですが、西尾夕紀さんが「ヤッターマンの歌(演歌バージョン)」を歌っていて、思わずその場でサインを入れて貰ってCDまで買って来てしてしまいました。(唯のミーハーか?)

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ああ、このお店ビデオ撮影は駄目で、デジカメ写真はOKですが、携帯のデジカメは駄目です。行く時にはデジカメを持ってゆく事をお勧めします。西尾夕紀さんとHUGした時の写真が欲しかったのですが、8.1Mでも携帯はNGでした。(泣)

やっぱり唯のミーハーだな!

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2008年12月17日 (水)

踊る者と踊らせる者

我々の行動の基準は何?
個人の利益?
それとも個人の快楽?
体調?
見栄?
よもや社会規範?
殆どその時の気分なんて人も居るだろうか?
それが何であれ、そう言うことは通常、個人の意志なんて言葉で片付けられる。
カントが”意志の特性は性格である”と言っているけれども(訳が変かもしれないけれど・・・)、通常そんな一言で済んでしまうような簡単な事で行動が決定されるわけでは無い。

行動の基準は大概大きな振れ幅を持つ。
思慮深く行動する人もする場合もあろうが、大方その時深く考えずに行動する。
周りの人がしたので自分もしてみたなんてのもあるだろうか?それでは何も考えていない。
もしくは想い悩み、その果てにどうでも良いような結果を導き出して、あまり考えたようには思えない行動に走る。
そして、その行動の結果齎される幸や不幸に翻弄される。

人生は一度であり、無情に時は戻らない。
一瞬の気の迷いであろうが、散々考え抜いたことであろうが、行動の結果は永遠である。

集団を形成するような生き物は、誰かが突っ走ると特に理由もなく一緒に走ってしまう。一緒でないと不安になる。それは捕食を避ける集団行動原理のそれなのかも知れないけれども、そう言うときには考えて行動している訳ではない。殆どリーダーと思しきものの動いた方に反射的に動いているだろう。そう言うときにはゆっくり考えていては、大概間に合わない。

人々は日常色々な会話をする。人を惹き付けるには面白い話が必要だろうか?毎日同じ話題を提供していては、直ぐ飽きられる。主に時間を持て余している大人の女性たちは、ワイドショウが大好きである。作る側は”だからそれがどうした?”と言うようなネタを彼女達が飽きるまであの手この手で引っ張り視聴率と言うGhostを追い求める。彼らはスポンサーあっての仕事なので、スポンサーのためなら何でもするように見える。そこにはモラルと言う言葉を忘れてしまったような行動が見え隠れする。
スポンサーが都合の良い特集を組み、ある意味消費者のニーズとは異なる情報をでっち上げる。詰まらない記事なら特に問題ないけれども、例えば消費者の不安を募って、安全を売る。その逆も可能だろうか?いずれにせよ集団意識を操作しているとも言える。

よく"世論が後押しをする”とか言い政治を動かしてしまったりするけれども、その世論は実体が見えない。
真っ当に答えれば、国民の声なのだろうか?でも、それは何処で誰が拾っているのだろうか?
メデイアが騒いだら、それが世論だろうか?
かの自己責任の国のように直ぐにデモとかしてくれれば、少なくともそれに参加している人数の声であることは確認できる。でも、日本では滅多なことではデモはしない。
ニュースで取り上げられるのとメデイアが騒ぐのを同義に取れば、それを国民の声とするのは些か違和感を覚える。飽くまでそれはニュースを作り出す側の意図であり、意志であるのだ。
ニュース番組と言えどテレビ番組であり、スポンサーが居て視聴率が彼らを後押しする。それでは、視聴率を左右する一部の人達がチャンネルを選択することが世論を代弁すると言えようか?視聴率が国民の声では、あまりに実体が無い。

新聞もまたメデイアである。最近少々影が薄いが、テレビで取り上げられるニュースも元は新聞の取材で得られるものであろう。人気のある話題を取り上げつづける新聞が購読数を延ばし、彼らの取り上げるニュースの切り口を世論が後押しすると考えれば良いだろうか?
でも、購読数を決定しているのは、配る洗剤の量だとか、野球の観戦チケットや遊園地のただ券だったりしてはいないか?
どうもここにも国民の声は微かにしか聞こえない。

メデイアもまた企業である。利益がないと経営を維持できない。特集のスポンサーを見ていると、そこで取り上げられている話題によって利益が上がりそうな企業が付いている事が多い。
スポンサーに操られたメデイアが視聴率に後押しされて突っ走り、国民はそれが世論だと信じる。そしてそれが国を動かす。

代議士は、本来国民の代弁者である。でも、それを実感できる代議士は、少なくても国会議員の中には見受けられない。国民の代弁者と言うよりは、利益供与団体の代弁者にしか見えない輩もいる。まあ広い意味では、国民も利益供与団体とも言えるが国民=民衆と言うイメージからは程遠く感じる。

振り込め詐欺の一年間の被害総額が解っているだけで500億だったろうか?こう言った話を聞くと世の中の人達は余程騙され易いと見える。かの自己責任の国でもこの時代にまさかのねずみ講の被害総額が2兆円とか言ってる。みんな簡単に騙され過ぎだろう?それぞれの個人が多くの知識を得、深く考え行動すれば、多分こういう事にはならない。ペリカン文書のような記事を書こうとしている訳ではないので、変なリサーチをしたり、具体的な事例を挙げるような事はないけれども、怪しい事件は幾らでもある。

大多数の中の高が一人の人生であっても、騙されやすくてとても深い思考の元にある民意の一つと言うには心もとなくても、それぞれは日々を生き、何かを考えて行動する。それは"自ら”と言うよりは対処としての行動にも見えなくもない。そして、群れとなって大きな流れを産み、民意とか世論となって何処かに向かっていく。流れに乗っていても流れから取り残されても、一人一人の掛替えの無い人生は消費されつづけられる。彼らの人生は一度きり、やり直しは利かない。どんな時代に生きようが、どんな行動を取ろうが、何処に住もうが、何を考えようが一度きり。大きな流れの中では、蛇口から大量に出る水流の中の一滴のようなもの。

さてさて♪我々は何処の誰に操られて、何処に向かって進んでいるのだろうか?

どうもイルカの群れに追われて逃げ惑う鰯の大群のようなイメージが浮かんで仕方ないのだが・・・
イルカ達は、搾取はしても群れを全滅させてしまうようなことは絶対にしない。
でも、そのイルカ達さえ何か実体の無いものに突き動かされているようにも思えるのだが・・・

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2008年12月14日 (日)

Keyboard入力が復活しました。

先週始めにマザーボードのBIOSがクラッシュして、BIOSのリカバリをかけて一応PCは立ち上がるようになったのですが、Keyboard入力がほぼ死んでいて10文字タイプするのに2~3分かかるようになってしまっていました。仕事が忙しかったのでほったらかしてあったのですが、金曜で終わったので修理にかかりました。

Gigabyteのサポートサイトに行ったりして散々調べたのですが、何処をどうしても直りません。ノートPCに以前同じような状況になった時のlogが残っていたので、見るとその時はPSポートが駄目で結果的にマザーボード交換をしていたのです。このシステムをまた組みなおすのは、ちょっと気が遠くなりそうだったので、他の方法を探します。

Microsoftのサポートページを眺めていたら、USBの違うポートに差すと現象が収まるような記事がありました。早々やって見ます。

復活しました♪

文章を書くためのPCなのにキー入力が利かないじゃ様になりません。先日のBIOSクラッシュの際にオンボードのUSBポートが壊れてしまっていたようです。

このマザーボードも何時まで持つか解りませんが、何となくヤバイ雰囲気がプンプンになってきました。

新しいの買おうかな?

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2008年12月 5日 (金)

ホンダ撤退

F1好きには、間違いなく今日のトピックスだろうと思います。

各大手の新聞にも載り、有名F1ページは軒並みトップニュースである。

世界的バブルが弾けて来年のスポンサーを心配する所ではなく、最初に”一抜けた!”と手を挙げるのは何処の自動車メーカだろうと思っていたら、リストラの発表間もないホンダだった。

さて次に手を挙げるのは、トヨタだろうか?ルノーだろうか?

再来年は何チーム残るのだろうか?5チームかな?6チームかな?

他のカテゴリでも大手自動車メーカの撤退が相次ぎそうである。

リストラを発表したら、まず間違いなくF1撤退だろう?リストラするくらいならF1に金を使い過ぎ、は至極真っ当な意見なのだから。

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2008年12月 4日 (木)

生命倫理と生物の性

生きていく上で殺生は、止むを得ない。
人であろうと虫であろうと草木であろうと生き物には変わりない。

自分に近くないものの死には無頓着。
虫を殺しても平気なように、知らない人の死は平気。
死の惨さを見ない人はPTSDにならない。
ボタンを押すように殺す人には、その先で死んでゆくものの姿は見えない。
間接的に殺す人は、自分が殺しているなどと夢にも思わない。

みんな化石燃料を使っているよね?
みんな生き物を食べて生きているだよね?
生きるために必要だから、ぎりぎり許されるんじゃない?

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