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2008年12月17日 (水)

踊る者と踊らせる者

我々の行動の基準は何?
個人の利益?
それとも個人の快楽?
体調?
見栄?
よもや社会規範?
殆どその時の気分なんて人も居るだろうか?
それが何であれ、そう言うことは通常、個人の意志なんて言葉で片付けられる。
カントが”意志の特性は性格である”と言っているけれども(訳が変かもしれないけれど・・・)、通常そんな一言で済んでしまうような簡単な事で行動が決定されるわけでは無い。

行動の基準は大概大きな振れ幅を持つ。
思慮深く行動する人もする場合もあろうが、大方その時深く考えずに行動する。
周りの人がしたので自分もしてみたなんてのもあるだろうか?それでは何も考えていない。
もしくは想い悩み、その果てにどうでも良いような結果を導き出して、あまり考えたようには思えない行動に走る。
そして、その行動の結果齎される幸や不幸に翻弄される。

人生は一度であり、無情に時は戻らない。
一瞬の気の迷いであろうが、散々考え抜いたことであろうが、行動の結果は永遠である。

集団を形成するような生き物は、誰かが突っ走ると特に理由もなく一緒に走ってしまう。一緒でないと不安になる。それは捕食を避ける集団行動原理のそれなのかも知れないけれども、そう言うときには考えて行動している訳ではない。殆どリーダーと思しきものの動いた方に反射的に動いているだろう。そう言うときにはゆっくり考えていては、大概間に合わない。

人々は日常色々な会話をする。人を惹き付けるには面白い話が必要だろうか?毎日同じ話題を提供していては、直ぐ飽きられる。主に時間を持て余している大人の女性たちは、ワイドショウが大好きである。作る側は”だからそれがどうした?”と言うようなネタを彼女達が飽きるまであの手この手で引っ張り視聴率と言うGhostを追い求める。彼らはスポンサーあっての仕事なので、スポンサーのためなら何でもするように見える。そこにはモラルと言う言葉を忘れてしまったような行動が見え隠れする。
スポンサーが都合の良い特集を組み、ある意味消費者のニーズとは異なる情報をでっち上げる。詰まらない記事なら特に問題ないけれども、例えば消費者の不安を募って、安全を売る。その逆も可能だろうか?いずれにせよ集団意識を操作しているとも言える。

よく"世論が後押しをする”とか言い政治を動かしてしまったりするけれども、その世論は実体が見えない。
真っ当に答えれば、国民の声なのだろうか?でも、それは何処で誰が拾っているのだろうか?
メデイアが騒いだら、それが世論だろうか?
かの自己責任の国のように直ぐにデモとかしてくれれば、少なくともそれに参加している人数の声であることは確認できる。でも、日本では滅多なことではデモはしない。
ニュースで取り上げられるのとメデイアが騒ぐのを同義に取れば、それを国民の声とするのは些か違和感を覚える。飽くまでそれはニュースを作り出す側の意図であり、意志であるのだ。
ニュース番組と言えどテレビ番組であり、スポンサーが居て視聴率が彼らを後押しする。それでは、視聴率を左右する一部の人達がチャンネルを選択することが世論を代弁すると言えようか?視聴率が国民の声では、あまりに実体が無い。

新聞もまたメデイアである。最近少々影が薄いが、テレビで取り上げられるニュースも元は新聞の取材で得られるものであろう。人気のある話題を取り上げつづける新聞が購読数を延ばし、彼らの取り上げるニュースの切り口を世論が後押しすると考えれば良いだろうか?
でも、購読数を決定しているのは、配る洗剤の量だとか、野球の観戦チケットや遊園地のただ券だったりしてはいないか?
どうもここにも国民の声は微かにしか聞こえない。

メデイアもまた企業である。利益がないと経営を維持できない。特集のスポンサーを見ていると、そこで取り上げられている話題によって利益が上がりそうな企業が付いている事が多い。
スポンサーに操られたメデイアが視聴率に後押しされて突っ走り、国民はそれが世論だと信じる。そしてそれが国を動かす。

代議士は、本来国民の代弁者である。でも、それを実感できる代議士は、少なくても国会議員の中には見受けられない。国民の代弁者と言うよりは、利益供与団体の代弁者にしか見えない輩もいる。まあ広い意味では、国民も利益供与団体とも言えるが国民=民衆と言うイメージからは程遠く感じる。

振り込め詐欺の一年間の被害総額が解っているだけで500億だったろうか?こう言った話を聞くと世の中の人達は余程騙され易いと見える。かの自己責任の国でもこの時代にまさかのねずみ講の被害総額が2兆円とか言ってる。みんな簡単に騙され過ぎだろう?それぞれの個人が多くの知識を得、深く考え行動すれば、多分こういう事にはならない。ペリカン文書のような記事を書こうとしている訳ではないので、変なリサーチをしたり、具体的な事例を挙げるような事はないけれども、怪しい事件は幾らでもある。

大多数の中の高が一人の人生であっても、騙されやすくてとても深い思考の元にある民意の一つと言うには心もとなくても、それぞれは日々を生き、何かを考えて行動する。それは"自ら”と言うよりは対処としての行動にも見えなくもない。そして、群れとなって大きな流れを産み、民意とか世論となって何処かに向かっていく。流れに乗っていても流れから取り残されても、一人一人の掛替えの無い人生は消費されつづけられる。彼らの人生は一度きり、やり直しは利かない。どんな時代に生きようが、どんな行動を取ろうが、何処に住もうが、何を考えようが一度きり。大きな流れの中では、蛇口から大量に出る水流の中の一滴のようなもの。

さてさて♪我々は何処の誰に操られて、何処に向かって進んでいるのだろうか?

どうもイルカの群れに追われて逃げ惑う鰯の大群のようなイメージが浮かんで仕方ないのだが・・・
イルカ達は、搾取はしても群れを全滅させてしまうようなことは絶対にしない。
でも、そのイルカ達さえ何か実体の無いものに突き動かされているようにも思えるのだが・・・

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» ロンドン特捜隊スウィーニー [アメリカテレビ映画・テレビドラマ ふぉーえばー]
ITV系列で1975年から1978年まで放映された刑事アクションドラマ。 [続きを読む]

受信: 2008年12月17日 (水) 21時13分

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