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2009年2月

2009年2月28日 (土)

ホンダは走れるみたいですね?

本田技研工業のF1撤退のニュースは驚きと同時に次はトヨタ自動車か?と思わせるものでした。そして、売りに出されたホンダF1チームは、噂に継ぐ噂を連ねニック・フライのお得意のリークがめっきり聞こえなくなった最近になってやっと正体がハッキリしてきました。F1通信のこれらの記事を見ていると、何となく走れることにはなったようだね?と思えます。

ホンダF1、マネジメント・バイアウト承認間近http://blog.livedoor.jp/markzu/archives/51470508.html

ホンダF1、新チーム名は「ブラックリーF1」かhttp://blog.livedoor.jp/markzu/archives/51471001.html

ホンダF1チーム救済発表は3月5日かhttp://blog.livedoor.jp/markzu/archives/51471057.html

バトン、マネジメント・バイアウトに資金援助http://blog.livedoor.jp/markzu/archives/51471257.html

ブラックリーにおける反乱 - しかし解決策はあるhttp://blog.livedoor.jp/markzu/archives/51471370.html

それにしても、この記事は、Pipassがオリジナルですが、流石に強烈な厭味でイギリス人のライターらしいな、と思いましたわ。

ホンダF1、便りがないのは ... http://blog.livedoor.jp/markzu/archives/51470197.html

の中の

「最近 "SportsPro" 誌に「スポーツ界で働いた中で最低のマネージャー」と評されたニック・フライは、いつになく沈黙を守る一方で、フェラーリとの契約を期待していると発言して以来その声を聞かないロス・ブラウンは、土壇場の契約が完了することに自信を持っていると言われている。」

のくだりは、思わず笑ってしまいました。

しかし・・・正しく人のふんどしで土俵に上がっている気分の記事ですな・・・(笑)

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2009年2月22日 (日)

SP-1じゃなかった・・・

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今日は良く晴れて風もない、とても暖かくて気持ちが良かったので、久しぶりにバイクに乗ってみました。と言っても行くところ無いので、バイク屋さんに行っただけですが・・・

正月に連絡のあった写真のVTR1000SP-1ですが、実はSP-2だった事が今日判明。アメリカから5台入って来て、1週間も経たないうちに完売したそうです。

”あれ?SP-1って言ったじゃない?”

”訂正メールが行ったでしょ?”

"来てね~よ!”

”ったく、SP-2なら買ったのに・・・・”

と言うわけであえなくまた在庫切れになりました。ヨーロッパに残ってないかな?

年末にCBR1000RRを買ったクラブのメンバー2人が乗るのを待ちきれないらしく、”今年は久しぶりに3月からツーリングしようぜ!”と言ってるらしく、今年は10年ぶりくらいに3月の2週目からツーリングが始まるそうです。

"引越し前の一番忙しい時に一人で行けるかよ!”

フロントタイヤにもうスリップサインが出てしまったので、何を履こうか考えていたのですが、Pilot Power Race Softにしようか、またPilot Power 2CTにするか迷っていて、店の連中にPilot Power Race Softのインプレッションを聞いてきました。

”路面が濡れている中、エッジの溝の無いところまで寝かせると滑るよ。”

”ちゃんと暖まる前にパワー掛けるとリアが一気に行くよ。”

”すぐ減るよ。”

”フロント粘るよ。”

”でも温まってる時は、思いっきりグリップする。”

最後のを除いて、みんなあんまり良いインプレッションじゃないよねえ~・・・

でも、Pilot Power、Pilot Power 2CTを2セットと履き継いできたので、次は変えてみましょうか?

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2009年2月21日 (土)

感覚量の鋭敏さと大雑把さ

飽くまで仮説であって実証はしていません。実証できれば、そうだな、人間工学とかバイオメディカルエンジニアとか神経生理関係とか学会に投稿するのかと思いますが、僕には実証するためのインフラを持ち合わせませんので仮説を立てるところまでです。

工学系の学会では、暫らく前から感覚量を物理量に換える研究が行われています。医学でも主訴と症状のミスマッチは当然のように存在します。特に痛みや末梢神経障害、視力障害や聴力障害など感覚器の症状はその障害の程度を症状から知ることは難しいのです。器質的な障害があるのであれば、ある程度ものが言えるでしょうが、所見は無いけど症状だけ有る場合は特に難しいだろうと言えます。

また、遠隔操作のような操作者へのフィードバックが直接的に得られないシステムでは正確な操作が難しいのですが、遠隔操作されているデバイスが反作用的にデバイスに返される力を遠隔操作者に正しく伝えられれば、多少慣れは必要でしょうが正確な操作が可能になると思われます。

5感を司る脳は、大変敏感であると同時に大変大雑把です。

例えば、旋盤の熟練工は0.1μmくらいを指先の感覚で削りますが、それは0.1μmくらいの差を指先が感じることが出来るからなのですが、ある既知の厚さの物を持って来て”この厚さは幾つ?”と聞いても正確には答えられません。

どうも感覚量を扱うビット数はあまり多くないところで一定であり、常にダイナミックレンジを切り替えながら利用しているように思えます。
小さい量を扱うなら、少ないビットをそこに割り当てると小さな差を理解できますが、大きい量を扱おうとすると大きな差しか割り当てられないので大きな量を扱うと大雑把な感覚になります。極端な話をすれば大きいか小さいかの比較しか出来ないような部分も見受けられます。

感覚量は飽くまで相対的な差を感じるものであり、絶対量としては持ち合わせていないのでないだろうか?と言う疑問が湧きます。

同じ物を見ているのかの確証はありませんが、絶対音感を持ち、その周波数、と言うよりは例えばピアノのどのオクターブの何の音、と言い当てられる人が多数居ますが、彼らはどうやってその特定の周波数を感じるのでしょうか?
先ほどの感覚量の話からすると、絶対音階を持つ人の説明には大変馴染みが悪い。何か他の方法で音を感じているのだろうか?とも思えます。

顔認識ニューロンなるものの存在を論ずる人たちが居ます。ここで彼らの理論を詳しく書くようなことはしませんが、彼らの説明は、人が自身でも他人でも有名人でも構いませんが人の顔を認識する方法を理解するには大変馴染み良い理論を展開してますし、特定の顔を見たときに発火する特定のニューロンの存在も確からしい実験結果が得られています。
これらは特徴量の抽出と適応において脳とその記憶が密接に絡み、単純な視覚の問題ではない事を示唆しているとも考えられます。

絶対音感を持つ人は、音の感知方法が異なるのではないか?音の高低で覚えるのではなく、例えば人の顔を覚えるようにその周波数の音を人の顔を覚えるように覚えているのではないだろうか?ある特定の周波数の音を聴くと発火を起こす単数、もしくは少数のニューロンがきっと存在するのだろう?その場合、見てくれが多少違っても個人の顔を特定できるように、多少楽器が変わってもそれは認識できるのではないだろうか?

感覚量の一部は、記憶と密接に係ってその理解を難しくしているのではないか?

と、ここまで一気に書いてみて、理論の飛躍と強引さが感じられるので一先ず筆を置いて、その内またちゃんと考えてみます。

こんな中途半端な記事を載せて、書くことが無いと言うのも困ったもんですね^^;

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2009年2月14日 (土)

ウインドショッピングをしない人は、良い服を買えない

職場の若い連中と呑んでいて恋愛の話になってしまったのだが、オジサンはこんなところでつい薀蓄を垂れたくなるのもの。単純にどの職場にも当てはまるものかは解らないけれども、大概出会いなどそうそうあるものではない。友達の紹介だとか、兄弟の紹介だとか、割とどうでも良いような切っ掛けで付き合い始めて結婚する人の話を良く聞く。

服の一目ぼれの経験があるだろうか?

服はどうしても必要な物だが、本当に気に入った服にめぐり合う経験などそうそうある訳ではない。細かいデザイン、サイズが全て自分の好みどおりなんて服に出会ったこともない。何処か気に入らないところが見つかるものだ。最初は全部OKみたいに感じることもあるけれども、時間が経つに連れ何処か気に入らないところが出てくる。そしていつか着なくなる。お金が無いなら仕方なくそれを着続けるだろうが、自然と目は他を向く。

逆に、最初はここがもうちょっとこんな感じだったら完璧だったんだけどなあ、と思っても、着ている内にそんな細かいところは気にならなくなり、誰かに誉められてりすると一気にお気に入りの一着になったりする。買う前はあれこれ選ぶけれども買ってしまうともうあんまり気にならない事が多い。でも、誰かに貶されたり、嫌いな人が同じようなものを着てるとか、流行が変わってしまったりで急に詰まらない服に思えたりする。

好みのスタイルなんてものがあって、選ぶものは早々大きく外れたりしないものだが、長く服を選んでいると大体好みの服は解って来て、それは似合う似合わないに係らず自分の好みになる。慣れると臆さず着れるものだ。やはり慣れたスタイルの服の方が気を使わず、体にも合っていて着易く落ち着くものだ。

自分の体形、顔を元に似合う服を考えている人は要るだろうか?

当然好みのスタイルはあるにしても、必ずしもそれが似合う服とは限らない。大体の人は自分の顔や体形にコンプレックスを持っている。自分は完璧だなんて人は極度のナルシストで、そんな人はここでは相手にしない。
自分のコンプレックスを覆い隠してくれる、もしくは、自分のチャーミングポイントを引き立たせてくれる服は、やはり着心地が良いものだ。

自分で作らない限り服は売っているものを買うのだが、やはり多くの服を見た方が自分に似合う服は見つける確率が高くなる。仕事が忙しいとか、大きなデパートで買うのは気後れするだのと言い訳をして、なかなかショッピングに出かけない人は、やはり良い服は買えない。
もうずっと前からファッション雑誌が沢山出ていて、流行の服や流行の組み合わせを写真で見ることは出来ても、着て見ないと似合うかどうか解らないものである。
やはり時間を惜しまずウインドウショッピングをし、気に入ったものを見つけたらちゃんと試着する人は、比較的にお洒落で自分に合った服を見つけるものだ。

結婚がどうしても必要なものかは定かじゃないけれども、服選びと大きく変わらないように思える。ちょっと違うなと思えるのは、結婚は服以外に付属品が付いてくるくらいのものだろうか?

載せる記事がないのか?と言う気がするなあ・・・

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2009年2月 8日 (日)

本当の幸せって何だと思いますか

骨肉腫全身に 少女は聴衆に問う「本当の幸せって」
http://www.asahi.com/national/update/0131/SEB200901310017.html
http://www.asahi.com/national/update/0131/SEB200901310017_01.html

久しぶりにasahi.comに心温まる記事が載っていた。
何時までアップされている記事なのか解らないので、全文転載してしまいます。(写真は止めて置きます。)

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「みなさん、本当の幸せって何だと思いますか」

 制服姿の中学2年生の少女が、聴衆に問いかけた。

 「それは『今、生きている』ということなんです」

 04年7月2日、福岡県大牟田市で開かれた小中学生らの弁論大会。少女は続けた。

 「生き続けることが、これほど困難で、これほど偉大かと思い知らされました」

 「家族や友達と当たり前のように、毎日を過ごせるということが、どれほど幸せか」

 2カ月半後の9月16日、少女は亡くなった。小学6年で骨肉腫を患い、全身に転移していた。弁論大会で読んだ作文「命を見つめて」の1419文字が残った。

 猿渡瞳さん。13歳だった。   

    ■   ■

 福岡市のピアノ講師、福島由美子さん(56)は06年末、瞳さんのメッセージに出会った。長女が通う高校のPTA行事で、2年半前の弁論大会の録音を聞いた。

 胸に響く言葉の数々に励まされた。公務員だった夫(65)のことで悩んでいた。次々に困難なことが降りかかっていた。

 03年、悪性リンパ腫で胃を摘出。がんは治ったが、軽いうつになった。きまじめな夫だったが、06年春の退職後は急に酒量が増えた。焼酎の一升瓶が1日で空いた。酒を探す夫が部屋のドアを開け閉めする音におびえ、福島さんの体重は2週間で6キロ減った。

 退職から2カ月後に病院に連れて行った。アルコール依存症。医師に「廃人になる」と言われた。泣き崩れると、夫は大声で言った。「酒をやめればいいんだろ」。飲まなくなったが、うつは治っていない。苦しいとき、福島さんは瞳さんが死の2日前に残した言葉を思い起こす。

 「骨はがんに侵されているけど、心はがんに侵されていない。心は自由で幸せ」

 瞳さんを知ったときから思っていた。彼女のメッセージを、苦しんでいる多くの人たちに伝えたい。音楽とともに届ければ、もっと心に響くのではないか――。

 1カ月後、人づてに連絡をとって母親の直美さん(40)に会えた。「作文の朗読にBGMをつけさせてほしい」。喜んで賛成してくれた。瞳さんが好きだった曲を教えてもらって驚いた。一青(ひとと)窈(よう)の「ハナミズキ」。楽譜を手に入れ、練習していた曲だった。

 07年春から音楽仲間と一緒に、生演奏をBGMにした作文の朗読会を開く。昨年11月には、仲間の吹奏楽団が朗読を盛り込んだ演奏会を催した。直美さんも客席にいた。

 瞳さんの作文は全国コンテストで入賞し、闘病生活はドラマや漫画になった。直美さんは講演に招かれるようになった。そのたび、瞳さんの言葉を無我夢中で伝えてきた。涙を流す余裕はなかった。でも、この日は号泣した。

 「今もこんなに多くの人が瞳の思いを伝えてくれている。何て幸せな母親だろう」

 隣に座る福島さんは、そっと直美さんにハンカチを渡した。自分も泣いていた。夫が「死にたい」と繰り返したとき、瞳さんの言葉を自分なりに言い換えて伝えてきた。「生きているだけでいいの」

 夫は最近、小さな笑みで応えてくれることがある。また瞳さんの言葉を思い出す。

 「命さえあれば、必ず前に進んで行けるんです」(金子元希)

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病気になって自分がさして長くは生きられないと知り、それでも生きるために治療をするようになると、生きている事の価値を実感できるのかも知れませんが、猿渡瞳さんのように決して死ぬことに絶望せず、生きていることに感謝しながら明るく生きられる人と、死に至る病気でもないのに欝になって行く人のコントラストは、何を意味するのだろうか?

若い人ゆえに、大人のように変なものを背負い込んでいる訳ではなく、また闘病に係る様々な厄介事を思い描く訳でもなく、短いけれどもこれまで送ってきた人生に胸を張れる者だけに許される特権なのかも知れないが、彼女の発する言葉には、生きている事への達成感が漂う。苦しみを乗越えてきた者だけが言うことが出来るような感動的な言葉の数々は、感動的故に苦しみの大きさも推し量れるように思う。彼女が苦しまなかった筈がないんだ。

骨肉腫は若い人の病気ですが、骨の病気ゆえにかなり痛い筈です。痛みはそれだけで精神を蝕むようです。ですから、彼女が言った「骨はがんに侵されているけど、心はがんに侵されていない。心は自由で幸せ」 と言う言葉は、滅び行く肉体と心とは無縁であるとの彼女の願望だったのだろうか?

2月19日は、僕の知っているひとみちゃんの誕生日です。彼女の命日は12月7日ですが、何度も挫けかけたけれども希望を取り戻し、明るく生き抜いてくれました。少なくともそう言う風に振舞っていた。僕たちは彼女を長生きさせてあげられなかったけれども、彼女の精一杯の明るい笑顔と彼女の生きることへの想いを忘れたりはしない。まさかそれが最後の姿になるとは思わなかったけれども、車椅子からちょっと寂しげに笑顔で手を振る君の姿は忘れない。

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今時の施工スタイル?

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2週間ぶりに家を見に行って来ました。今日は日曜で業者さんが来ていないで、中を見ることは出来ません。シャッターは下ろされ、玄関の鍵は閉まり、中を覗き見ることも出来ません。施工業者の人に頼んで見せてもらう以外は、検査の日まで基本的に見ることは出来ません、と言われていましたが本当ですね^^;

実家の家を建てた時とかは開けっぴろげでしたが、これが今時の施工スタイルなんでしょうか?

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玄関脇の高いところに有る窓から、中の様子をカメラで盗み撮りしました。(何か妙に犯罪チックな気分になるのはどうしてだろう?)

7畳とリビングが素通しで見えますが、やっと電気配線が終わったところでしょうか?ピンク色の壁は、ネオマフォームと言う断熱材の筈です。

”木が一切使われてね~!”

まあ、今時の家なんでしょうね?

住友林業のように、森林に生えている木を見に行くところから始まる家も、今更ながらに親しみを感じたりします。(今更、何だよ!)

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2009年2月 6日 (金)

琢磨は乗れませんでしたね

http://www.f1-kindergarten.com/view_09/20090206_1515.php
http://blog.livedoor.jp/markzu/archives/51459412.html

で報じられているように、残念ながらトロ・ロッソはボーデを選びました。
マネージャがスポンサーが十分でなかったかも知れない、と言っていますが、F1ではこう言う場合、真相は闇の中です。

ホンダチームがどうなるかすら解りませんが、もし誰かが買ってチームを存続させるなら、琢磨を乗せてくれるのを望みましょうか?

ちょうど油が乗っている時で、応援したいところなのですが難しいですかねえ・・・

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