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2009年6月

2009年6月29日 (月)

墓参りに行ってみました

特に命日とか言う訳ではありませんが、ふと思い立ってフロの墓参りに行って来ました。

墓参りと言っても、墓石が立っているわけではないのですが、車を止めるところがないので、自転車でもないと昼間は行けないよな、と常々思っていたのです。

最近引っ越したところは、自転車ですぐなのです。でも、坂がきつい。鈍った脚では、頂上付近まで一気に行けませんでした。

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”もう、駄目!”っと思ったところで、「市民の森」と言う施設を見つけました。しばらくぶりですが、いつも反対側から登っていたので知りませんでした。

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武蔵野丘陵独特の林に囲まれた、夏場は蚊が大変そうな施設でした。

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林の中をぐるっと回る遊歩道があるようです。そのうち行ってみましょうか?

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荒幡富士の麓の神社です。中央に見えるのが荒幡富士。

”えっ!?”って感じの代物ですが、人の手(機械じゃない)で作られた立派な富士山です。(笑)

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ここから登ります。ちゃんと1合目、2合目って感じで頂上まで行けます。過去に一度だけ登ったことがありますが、馬鹿にする無かれ、結構見晴らしが良いのです。今日は目的が違って登らなかったので写真もありません。(そのうち、登ったら載せます。)

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フロのお墓は、神社の入り口の鳥居の先にあります。

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標識の脇の木の向こう側の林の中にフロは眠っています。

ここに来るのは、あまり好きではないのですが、何故か今日は来てみたくなりました。

焦燥感より懐かしさが勝るのは、それだけ時間が過ぎた、と言うことなのでしょうかね?

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2009年6月26日 (金)

KNOPPIXで十分だな

どうもMS-windows2000は、壊れたファイルだけの修復は効かないようですね?HD内のデータを残したままinstallのし直しをしてみませんが、bootしません。(MBRの書き換えはどうやったかな?忘れました。)
250GByteのHDを全部backupできる容量を外づけのHDで持ち合わせていませんし、何だか面倒になって来てしまったので、このままKNOPPIXにしてしましいましょうか?
現在、Wineがうまく動かないので、それを解決してしまえば、全然不自由しません。

何だか、このままズルズルとPCの修復が遅くなりそうです。(笑)

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2009年6月22日 (月)

以心伝心しよう

もう20年くらい前の話だが、歌手の大城光恵さんが「以心伝心しよう」と言う歌の中で、「心のチャンネルを開けて、以心伝心しよう」と歌っていた。広辞苑には、「思うことが言葉によらず、互いの心から心に伝わること。」とあるが、これはとても難しい。

大学のコミュニケーション学の講義で、「世界はSpeaker Orientedで日本はListener Orientedなコミュニケーション文化を持つ、日本では相手が言わんとすることを読み取ろうとする文化がある。日本人の会話には言葉のキャッチボールが無く、会話は一方通行に成りがちである。」、とカナダ人の講師が言っていた。
彼が例としてあげていた事例の一つは、「名古屋駅からタクシーで、to 栄、と言ったのに運転手は、新栄、へ連れて行った。日本人は聞き返さずに聞き手の憶測でコミュニケーションが成立する。」と言うものだった。
確かに契約に捕らわれない封建制度が長く続いた日本では、上意下達がコミュニケーションの基本でそこにはディスカッションが存在しない。また、下手に聞き返すと虚け呼ばわりされるような状況では、自ずと聞き手の憶測の良さがコミュニケーションの良否を決定する。
コミュニケーションの基本は、解かることであり、一方的な会話では往々にして言いたい事は伝わらない。育った環境、生き方、考え方は千差万別だ。だから、始終一緒に居たとしても、仮に言葉を尽くして話したとしても思いは伝わらない。
言葉のキャッチボールであるデスカッションが成り立って始めて、コミュニケーションが取れ、お互いの理解が得られると言う、カナダ人講師の言い分も正しいと言えば正しい。だからと言って日本人がコミュニケーションを取れないかと言うとそんなことも無いだろう。「以心伝心」という言葉が目指すものは、欧米人のそれとは異なるコミュニケーションを目指しているようにも思える。(欧米人がスキンシップを大事にするのも、言葉だけでは伝わらないものを認識しているからだろう?それも含めてコミュニケーションと言うなら、彼が言うことは日本人においても正しい。)

残念ながら、生体以外の身体パーツを持たない現代人は(未来であってもそれは同じかも知れないが、携帯電話の進化したものがそんな機能を提供するかも知れない。)、話すか文字を介さないとコミュニケーションは取れない。でも、先の以心伝心は、「言葉によらず」なので、目指すのは、話したり書いたりしないコミュニケーションなのである。だから、そこで使われるべき通信装置は、言葉も文字も使えない。甲殻機動隊の中で使われる電脳通信は、言葉や文字、グラフや写真、動画やプログラムと言ったデータを利用するマルチメディアプレゼンテーションのような通信だが、以心伝心に近いものであっても直接音声を発しないだけで、言葉を使う以上、以心伝心とは言えない。だから、どんなにマルチメディア化したとしても言葉や文字によるコミュニケーションでは、以心伝心は達成できない。やはり、心から心へ直に訴えかけるような何かが必要と思える。
しかし、言葉や文字でコミュニケーションを取らない限り、お互いの理解は得られないのも事実である。だから、もうちょっと深い意味での理解が必要なのだろうな?と思う。

以心伝心の一歩は、解かり合う事なのであろうが、もう一つ重要な問題は、「心のチャンネルを開ける」事だろうか?
心のチャンネルを開けることになるであろう相手に向かう気持ちが無くては、思いを伝えるどころか、コミュニケーションすら取れない。
放送は、受けての定まらない一方通行の通信であるけれども、例えばラジオパーソナリティの多くがリスナーのはがきを重用するのも、勝手に喋っているだけでは不安なのだろう?そもそもリスナーがチャンネルを合わせていてくれるかを知る手立てもはがきくらいしかないのだ。
テレビにおいて視聴率と言うお化けが出るのも、視聴者がチャンネルを合わせてくれていないとスポンサーであるメーカーもCMを見てもらえない。スポンサー料を払う根拠が無くなれば、どんなに良い内容の番組でも、制作費も出ない。
だから、チャンネルが開いている状態でなければ、たかがCMであろうと伝わらない。
増してや思いを伝えるには、受けての心が開いていなくては伝わらない。単に情報を伝えるだけではない「以心伝心」においては、所謂相思相愛のようなお互いの心のチャンネルが全開のような状況でないと思いは伝わらないのだ。
心のチャンネルを開く原動力は、お互いを思う気持ちであったり、愛だったりするのだろうか?

先の広辞苑には、「〔仏〕禅家で、言語では表されない真理を師から弟子の心に伝えること。」ともある。特に日本の文化と言う訳でもなく、仏教が広く伝わっている国であれば、「言葉によらない」は文化的な思想のようなものなのであろう?
カナダ人講師が言うListener Orientedなコミュニケーション文化は、多分深く日本に根付いている仏教思想なのであろう?

基本的に人は解かり合えない。仏教の師弟関係のような一見深い理解を得ているであろうと思われるような関係であっても、高尚な禅家の僧達の目指す処なのであろう?増してや、下賤な我々にもそれが可能なのかは良く解からないけれども、お互いに深く理解し、相手を絶えず見ていれば、今、相手がどう思っているか理解できるのであろうか?これなら言葉によらない、正しく「以心伝心」と言えるようなものになろう。

大城光恵さんの「以心伝心しよう」と言う歌は恋愛ソングなのだが、その詩の中に謳われる思想はかなり深い。
省みて自らが一生のうち一番長い時間を共にする筈の伴侶は、如何なものかな?と思う。

以心伝心どころか、コミュニケーションもままならない、会話も碌にない状況は、夫婦として有るまじき姿なのであろうか?

人の振り見て、とか申しますし、悪い見本を提供し周りの方々の幸福を願う、と言う事でこの記事を締めましょうか?(笑)

身に覚えのある方は、以心伝心しようね♪

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2009年6月18日 (木)

想いに報いるのは何時も難しい

”人は多くの「ごめんな」を抱えて生きている”

こんなキャッチコピーを読んだ覚えがあります。
誰しも接する相手を傷つけてしまったとの想いがあるのだろうか?

平均的な寿命の半分以上を生きてきて、思い出せないほど多くの人たちと出会いを持って来たと感じます。これまで人との接する中で、お互いにメリットを持てれば良い、ちょっとしか利益がないならそれを分け合い、どちらにもデメリットしかないのであれば少しづつ痛み分けをする、どちらかが一方的に得をしたり一方的に損をするような事はしない、そんな接し方を目指して落とし所を探るようにして来ました。

でも、期待に報いる、想いに報いるのは何時も難しい。

過度な期待は相手を追い詰めます。追い込めば追い込むほど、相手は苦しくなります。だから、追い込んじゃいけない。でも、自分だけではどうにもならない場合は、誰かに期待するしかありません。まあ、自分だけではどうにもならないことは、さっさと諦めてしまえば良いのですが、美味しいものを求めるのは人の業と言うものでしょうから、致し方ないのかも知れません。

因果応報を求めるのもまた人の業なのでしょうか?
世の中は因果応報では無いと考えられますが、それでも人々は期待を寄せます。解っていても止められないのは、やはり業と言うべきものですよね?

無償が基本なのは、親子の関係だけでしょうか?
希に、生んで育ててあげたんだから恩返ししなさい、なんて事を言う親が居るようですが、子供は自ら産んで育ててくれ、なんてことは言いません。それは親の勝手な言い分でしょう?
本来子供を産むのは、自分の遺伝子を残すという生物ゆえの所業とすれば、子供の存在自体が成果であって、さらに期待を寄せるのは欲張りすぎとも考えられます。

誰しも親の期待に答えられない想いは経験済みでしょう?
喉元を過ぎればもう熱くないのかも知れませんが、自分を苦しめた親の過度な期待を思い出せば、我が子に過度な期待を持つのは如何なものかな?と思います。親離れ出来ない子も多少は居ますが、どちらかと言うと世間では子離れ出来ない親が目立ちます。
身近な野生動物ですら、十分に育ったら、もう面倒は見ませんし、子に頼ることもありません。その後の人生はその子のものです。決して親のものでは有りません。親なんてどうせ先に死んでしまうのですから、子供を一生面倒見られるわけでは有りませんので、さっさと独り立ちさせるべきなのです。その子の人生を背負うのはその子自身なのですから、多少手助けはして上げられても、代わってあげることは出来ないのですからね。

ちょっと話が脱線しました。

このキャッチコピーを読んだ時、人との関わりの難しさをこの僅かな一文の中に感じました。
共感した、と言ったほうが良いでしょうか。
もう一つ、この言葉が全ての人の胸に刺さるのなら、犯罪が減ったりするんではなかろうか?なんてことも思いました。願わくは、「ごめんな」の対象が特定の身近な個人だけにではなく、その人が関わる全ての人に向くものであれば良いな、とも思いますが・・・

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2009年6月14日 (日)

改修後初めての多摩湖堤防

ちょっとモーター付きのバイクでは出かけられないので、モーター無しのバイクで、改修された多摩湖の堤防を散策しながら、多摩湖自転車周遊道を回ってきました。ですから、今日はトレーニングではなく、ポタリングと言われるようなものになるでしょうか?引っ越して初めてなのでルートが変わったために、もう、のっけかから急な坂道に当てられて、登りきった時は酸欠状態で、多摩湖の入り口の公園に着いたところでベンチにダウンです。(まるで足が訛ってる・・・)

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昔公園だったところには、以前から有った石碑等が残ってました。以前は、沢山あった木陰のベンチで疲れて寝てしまっていましたが。綺麗になって、ベンチはみんな日向になってしまったので、暑くて寝られないですね。^^;

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堤防は、狭山湖の堤防の如く綺麗になっていました。向こうに取水塔が見えます。

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反対側から見ると西武遊園地が見えます。堤防には、昔からあった灯篭とか、丸石とかがそのまま使われていて、ちゃんと改修工事をしたようです。

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取水塔もそのままでした。遠くに見える白いドームは、西武ドームです。周遊道は、ちょうどドームの手前を回ります。

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歩道にも昔からあった石橋がそのまま巧く取り込まれています。こう言うのって、綺麗に残す方が難しいんだよね?

この後、周遊道を回りましたが、鶯がやたらと鳴いていたので、音声を拾ってみました。

周遊道を3周、Total23mile走って来ましたが、3周目はもう何処も使える筋肉が残ってない状態で、階段を登るのもキツイ状態でした。(笑)

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2009年6月 7日 (日)

宮沢湖温泉 喜楽里 別邸

今日はクラブツーリングでしたが、そちらには参加せず、幾つかの用を足した後に、温泉友達のXJR1300氏の所に遊びに行きました。
で、温泉にでも行こうと言う話を半ば強引に進めて、極近場の温泉に行ってきました。

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余程深く掘って探し当てたのだろうけど、アルカリ単純泉の天然温泉です。
ph8.5、源泉の温度32.5℃だそうで、入って暫らくはぬるぬるになります。

場所は、宮沢湖(埼玉県飯能市にあります。)を望む高台にあって、露天風呂からは凄く見晴らしが良かった。どうも、じっくり1日居るような施設のようで、岩盤浴などもちょっと高めの料金で利用できるようです。
仮眠所や浴衣の貸し出しとか、マッサージ、垢すり等、スーパー銭湯の乗りです。
中には蕎麦屋とビッフェスタイルのレストランがありました。
僕らは時間も無いので、普通に風呂だけの利用で、タオルつきで1,000円でした。
飯能市内から直ぐ近くの天然温泉のスーパー銭湯とあって、駐車場は一杯、飯能駅までのバスもあったり、宮沢湖には簡単な遊園地や釣堀とかあってと、混む要素には困らないのですが、やっぱり混んでました。

でも、まあ、久しぶりに峠道らしきところも少し走って、温泉に浸かってのんびりして、友達に会って、嫁さんが帰ってくる前に帰宅、と予定したスケジュール通りに事が進んで、嫁さんにはばれずに済んだかな?

一応値段も手ごろだし、近いし、お湯も良いので、また行きましょうかね?

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