« 想いに報いるのは何時も難しい | トップページ | KNOPPIXで十分だな »

2009年6月22日 (月)

以心伝心しよう

もう20年くらい前の話だが、歌手の大城光恵さんが「以心伝心しよう」と言う歌の中で、「心のチャンネルを開けて、以心伝心しよう」と歌っていた。広辞苑には、「思うことが言葉によらず、互いの心から心に伝わること。」とあるが、これはとても難しい。

大学のコミュニケーション学の講義で、「世界はSpeaker Orientedで日本はListener Orientedなコミュニケーション文化を持つ、日本では相手が言わんとすることを読み取ろうとする文化がある。日本人の会話には言葉のキャッチボールが無く、会話は一方通行に成りがちである。」、とカナダ人の講師が言っていた。
彼が例としてあげていた事例の一つは、「名古屋駅からタクシーで、to 栄、と言ったのに運転手は、新栄、へ連れて行った。日本人は聞き返さずに聞き手の憶測でコミュニケーションが成立する。」と言うものだった。
確かに契約に捕らわれない封建制度が長く続いた日本では、上意下達がコミュニケーションの基本でそこにはディスカッションが存在しない。また、下手に聞き返すと虚け呼ばわりされるような状況では、自ずと聞き手の憶測の良さがコミュニケーションの良否を決定する。
コミュニケーションの基本は、解かることであり、一方的な会話では往々にして言いたい事は伝わらない。育った環境、生き方、考え方は千差万別だ。だから、始終一緒に居たとしても、仮に言葉を尽くして話したとしても思いは伝わらない。
言葉のキャッチボールであるデスカッションが成り立って始めて、コミュニケーションが取れ、お互いの理解が得られると言う、カナダ人講師の言い分も正しいと言えば正しい。だからと言って日本人がコミュニケーションを取れないかと言うとそんなことも無いだろう。「以心伝心」という言葉が目指すものは、欧米人のそれとは異なるコミュニケーションを目指しているようにも思える。(欧米人がスキンシップを大事にするのも、言葉だけでは伝わらないものを認識しているからだろう?それも含めてコミュニケーションと言うなら、彼が言うことは日本人においても正しい。)

残念ながら、生体以外の身体パーツを持たない現代人は(未来であってもそれは同じかも知れないが、携帯電話の進化したものがそんな機能を提供するかも知れない。)、話すか文字を介さないとコミュニケーションは取れない。でも、先の以心伝心は、「言葉によらず」なので、目指すのは、話したり書いたりしないコミュニケーションなのである。だから、そこで使われるべき通信装置は、言葉も文字も使えない。甲殻機動隊の中で使われる電脳通信は、言葉や文字、グラフや写真、動画やプログラムと言ったデータを利用するマルチメディアプレゼンテーションのような通信だが、以心伝心に近いものであっても直接音声を発しないだけで、言葉を使う以上、以心伝心とは言えない。だから、どんなにマルチメディア化したとしても言葉や文字によるコミュニケーションでは、以心伝心は達成できない。やはり、心から心へ直に訴えかけるような何かが必要と思える。
しかし、言葉や文字でコミュニケーションを取らない限り、お互いの理解は得られないのも事実である。だから、もうちょっと深い意味での理解が必要なのだろうな?と思う。

以心伝心の一歩は、解かり合う事なのであろうが、もう一つ重要な問題は、「心のチャンネルを開ける」事だろうか?
心のチャンネルを開けることになるであろう相手に向かう気持ちが無くては、思いを伝えるどころか、コミュニケーションすら取れない。
放送は、受けての定まらない一方通行の通信であるけれども、例えばラジオパーソナリティの多くがリスナーのはがきを重用するのも、勝手に喋っているだけでは不安なのだろう?そもそもリスナーがチャンネルを合わせていてくれるかを知る手立てもはがきくらいしかないのだ。
テレビにおいて視聴率と言うお化けが出るのも、視聴者がチャンネルを合わせてくれていないとスポンサーであるメーカーもCMを見てもらえない。スポンサー料を払う根拠が無くなれば、どんなに良い内容の番組でも、制作費も出ない。
だから、チャンネルが開いている状態でなければ、たかがCMであろうと伝わらない。
増してや思いを伝えるには、受けての心が開いていなくては伝わらない。単に情報を伝えるだけではない「以心伝心」においては、所謂相思相愛のようなお互いの心のチャンネルが全開のような状況でないと思いは伝わらないのだ。
心のチャンネルを開く原動力は、お互いを思う気持ちであったり、愛だったりするのだろうか?

先の広辞苑には、「〔仏〕禅家で、言語では表されない真理を師から弟子の心に伝えること。」ともある。特に日本の文化と言う訳でもなく、仏教が広く伝わっている国であれば、「言葉によらない」は文化的な思想のようなものなのであろう?
カナダ人講師が言うListener Orientedなコミュニケーション文化は、多分深く日本に根付いている仏教思想なのであろう?

基本的に人は解かり合えない。仏教の師弟関係のような一見深い理解を得ているであろうと思われるような関係であっても、高尚な禅家の僧達の目指す処なのであろう?増してや、下賤な我々にもそれが可能なのかは良く解からないけれども、お互いに深く理解し、相手を絶えず見ていれば、今、相手がどう思っているか理解できるのであろうか?これなら言葉によらない、正しく「以心伝心」と言えるようなものになろう。

大城光恵さんの「以心伝心しよう」と言う歌は恋愛ソングなのだが、その詩の中に謳われる思想はかなり深い。
省みて自らが一生のうち一番長い時間を共にする筈の伴侶は、如何なものかな?と思う。

以心伝心どころか、コミュニケーションもままならない、会話も碌にない状況は、夫婦として有るまじき姿なのであろうか?

人の振り見て、とか申しますし、悪い見本を提供し周りの方々の幸福を願う、と言う事でこの記事を締めましょうか?(笑)

身に覚えのある方は、以心伝心しようね♪

|

« 想いに報いるのは何時も難しい | トップページ | KNOPPIXで十分だな »

独り言」カテゴリの記事

コメント

でも、の後が気になります。
言葉にしないと伝わらないよね。
難しいのは言葉にすることが価値観の押し付けになったり威圧になったりする場合もあること。
言葉で気持ちを伝え合うには力関係が一方的ではないことが大前提かと思うの。
「〜するべきだよ」=「〜しなさい」「〜でなければならない」と言う関係に長いことさらされてきた身にはそうとしか言えないわ。

投稿: 如月 | 2009年6月23日 (火) 13時25分

如月さんへ

最近ココログで長文をアップすると、途中で切られる事がしばしばあります。
でも、以下は昨日PCのHDがクラッシュしたゃったのでリカバリ出来れば直します。

夫婦の関係は一様ではありませんので、コメントも難しいですが、復帰させられたら、続きを読んでください。m(_ _)m

投稿: フロの飼い主by携帯 | 2009年6月23日 (火) 19時12分

自分は、結構「言葉にしなくても伝わる」
みたいに考えてしまってますわー(汗)
やっぱり、ちゃんと言葉にしないと伝わらないこともありますよね!

気をつけよーーっ!!

投稿: エリミ♂ | 2009年6月23日 (火) 21時03分

如月さんへ

Windowsは依然復旧していませんが、KNNOPIXと言うLinuxを立ち上げて、「でも」以下をアップし直しました。
(期待されるようなものじゃなかったりして...)

自分で何書いたか覚えてなかったので、今読み返してみると如月さんの言うような事を書いてますね。

如月さんて、やっぱり、解っている人、なのですね?

投稿: フロの飼い主 | 2009年6月23日 (火) 23時53分

エリミさんへ

そう言う風に考えている日本人男性は多いようですよ。
熟年離婚者で、嫁さんが実は全然違う事を考えていた、違うように受け取っていた、なんて不幸な結果にならないように、お互い気を付けましょうね?(笑)

投稿: フロの飼い主 | 2009年6月23日 (火) 23時57分

言葉に依らずにイメージを伝えるって難しいですよね。
ちーちゃんの気持ちはアイコンタクトとシッポで何となく分かるけど、それは動きを含めた見た目で判断しているわけで、何の媒体も介さないコミュニケーションなんて概念的にも想像出来ないです。

仮にテレパシーが存在したとしても、伝えるのは言葉のような気がするし。言葉の通じない外国人でもテレパシーだと通じるなんて、嘘くさいです。(確かユリゲラーが言ってた)

やっぱり、ちゃんと「愛してる」って言わないと。w

投稿: 凸凹2008 | 2009年6月26日 (金) 00時00分

凸凹2008さんへ

ちーちゃんとのコミュニケーションが以心伝心(言葉を介さない)なのではないですか?

外国人でも同じ人ですが、文化が異なると解りづらいかも知れませんが、凸凹2008さん宅の文化で育ったちーちゃんは、その点では犬であっても有利ですよね?

「愛してる」は誰へ?

投稿: フロの飼い主 | 2009年6月26日 (金) 00時21分

フロの飼主さんへ

ん~以心伝心

松岡英明の歌ですね…多分ご存じないと思いますが…

私は結構自分勝手でして…
私自身が思っている事は言葉にせず、相手にも伝わっているっと勝手に解釈する。
一方、相手からの思いはちゃんと言葉にしてもらわないと不安でしょうがない。でもそれを言いたくないし、知られたくないので言葉にしない…
そんな感じですねぇ(^^;)

よく長年連れ添った夫婦は『空気』みたいなものって言われますよね?
これってやっぱり以心伝心って事なのかなぁ?

投稿: (゜ω゜ )ニャンポコー2等兵 | 2009年6月28日 (日) 22時56分

(゜ω゜ )ニャンポコー2等兵さんへ

やっとWIndowsが使えるようになりました。
と言っても、以前の状態には程遠いけど・・・(泣)

何処にあるか判らないシングルCDを見れば、松岡英明の名前が載ってるかもしれませんね。

ニャンポコさん、それって大体の人がそうだから、特に自分勝手ってわけじゃないと思うけどね。

よく「阿吽」と言うけど、それが夫婦における以心伝心かな?と思ってるよ。
内は300年くらい連れ添わないと「阿吽」にはなりそうにないなあ。(妖怪化しないとな・・・笑)

投稿: フロの買主 | 2009年6月29日 (月) 01時31分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 以心伝心しよう:

« 想いに報いるのは何時も難しい | トップページ | KNOPPIXで十分だな »