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2009年6月18日 (木)

想いに報いるのは何時も難しい

”人は多くの「ごめんな」を抱えて生きている”

こんなキャッチコピーを読んだ覚えがあります。
誰しも接する相手を傷つけてしまったとの想いがあるのだろうか?

平均的な寿命の半分以上を生きてきて、思い出せないほど多くの人たちと出会いを持って来たと感じます。これまで人との接する中で、お互いにメリットを持てれば良い、ちょっとしか利益がないならそれを分け合い、どちらにもデメリットしかないのであれば少しづつ痛み分けをする、どちらかが一方的に得をしたり一方的に損をするような事はしない、そんな接し方を目指して落とし所を探るようにして来ました。

でも、期待に報いる、想いに報いるのは何時も難しい。

過度な期待は相手を追い詰めます。追い込めば追い込むほど、相手は苦しくなります。だから、追い込んじゃいけない。でも、自分だけではどうにもならない場合は、誰かに期待するしかありません。まあ、自分だけではどうにもならないことは、さっさと諦めてしまえば良いのですが、美味しいものを求めるのは人の業と言うものでしょうから、致し方ないのかも知れません。

因果応報を求めるのもまた人の業なのでしょうか?
世の中は因果応報では無いと考えられますが、それでも人々は期待を寄せます。解っていても止められないのは、やはり業と言うべきものですよね?

無償が基本なのは、親子の関係だけでしょうか?
希に、生んで育ててあげたんだから恩返ししなさい、なんて事を言う親が居るようですが、子供は自ら産んで育ててくれ、なんてことは言いません。それは親の勝手な言い分でしょう?
本来子供を産むのは、自分の遺伝子を残すという生物ゆえの所業とすれば、子供の存在自体が成果であって、さらに期待を寄せるのは欲張りすぎとも考えられます。

誰しも親の期待に答えられない想いは経験済みでしょう?
喉元を過ぎればもう熱くないのかも知れませんが、自分を苦しめた親の過度な期待を思い出せば、我が子に過度な期待を持つのは如何なものかな?と思います。親離れ出来ない子も多少は居ますが、どちらかと言うと世間では子離れ出来ない親が目立ちます。
身近な野生動物ですら、十分に育ったら、もう面倒は見ませんし、子に頼ることもありません。その後の人生はその子のものです。決して親のものでは有りません。親なんてどうせ先に死んでしまうのですから、子供を一生面倒見られるわけでは有りませんので、さっさと独り立ちさせるべきなのです。その子の人生を背負うのはその子自身なのですから、多少手助けはして上げられても、代わってあげることは出来ないのですからね。

ちょっと話が脱線しました。

このキャッチコピーを読んだ時、人との関わりの難しさをこの僅かな一文の中に感じました。
共感した、と言ったほうが良いでしょうか。
もう一つ、この言葉が全ての人の胸に刺さるのなら、犯罪が減ったりするんではなかろうか?なんてことも思いました。願わくは、「ごめんな」の対象が特定の身近な個人だけにではなく、その人が関わる全ての人に向くものであれば良いな、とも思いますが・・・

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コメント

フロの飼主さんへ

優秀な両親から生まれる子は『自分たちの子だから当然優秀』と思っていたと思う。
実際、昔から私一人が問題っていうか心配させてきたから両親は苦労ばかりしてたと思う。

今、一人で暮らしているけど…やっぱり両親は私だけが心配だと言う。
他の姉妹は結婚もして安心させているからねぇ。

さて、ここで両親が私の心配をしなくて清む方法は数個あるんだけど…
最後の1個以外は、例えば私が結婚したら心配しなくなるかっていうとそうではない。難病のことがあるから…

最後のひとつの方法を実践しないとなぁ…と思う今日この頃。
でもその時もやっぱり『ごめんなさい』といいながらになっちゃうんだろうなぁ…

本当に人の思いに報いるのは難しいです

投稿: (゜ω゜ )ニャンポコー2等兵 | 2009年6月18日 (木) 23時23分

(゜ω゜ )ニャンポコー2等兵さんへ

親は、仮に子供が死んでも、天国でどうしているかな?とか心配するものです。これまで10数人の子供を無くした親と話す機会がありましたが、みんな死んだ後にも心配しているのです。
心配するのは、親の業と言うものなのですよ、きっと。

僕が知る限り、一番の親孝行は親より長生きすることです。
そして親以外にも、ニャンポコさんを心配してくれる人を見つけることです。
親は、自分以外に子供の行く末を面倒見てくれる人を得ると安心するものですよ♪

投稿: フロの飼主 | 2009年6月19日 (金) 00時26分

フロの飼い主さんのいうとおり、
親は子供が例え死んでも、
ずーーーっと心配し続けますよね、絶対に。

「親より先に逝かない」

これは、本当にこれ以上ない親孝行です。

折り合いをつけてやっていくしかないですよね。
自分の影は、決して自分から切り離せないですから。

投稿: エリミ♂ | 2009年6月19日 (金) 20時38分

エリミ♂さんへ

意味が深いようですね?
人生で一番長く共にあるのは、確かに自分の影です。それが気に入ろうと入るまいと、付き合って行くしかないのですよね。

あと1cm鼻が高かったら・・・
いや、あと1cm足が長かったら、SSバイクも踵が着くのに・・・

人によっては世界を変えるような悩みでも、普通は取るに足らない悩み。どんな人にも悩みはつき物ですが、影のように一生付き合うものですし、腐れ縁と割り切って付き合って行くしかないですよね?(笑)

投稿: フロの飼い主 | 2009年6月19日 (金) 23時25分

私に限って言えば、ネットの中の人間関係は「読みたいから行く」「コメントしたいからする」と自分の気持ちに忠実です。見返りは求めないです。
「ねばならない」という義理人情が現実よりも希薄な所が好きですねー。

投稿: 如月 | 2009年6月20日 (土) 06時32分

如月さんへ

う~ん、本人を目の前にしたら言えない事も言えてしまう、言いたくないことは言わなくて済むのが、無記名ネットの良いところでもあり、悪いところでもあるのですが・・・

そうだなあ・・・
義理人情≠エチケットをきちっと認識してもらえるのなら、義理人情は薄く、エチケットは厚く、が良いですかね。

投稿: フロの飼い主 | 2009年6月20日 (土) 08時12分

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