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2009年10月 8日 (木)

難問

人は、人生の中で様々な判断をする。そして、その判断が正解かどうかは一生判らない。
自分のことであれば、どうせ自分の人生、どう判断しようが自分に降りかかってくるだけだ、だからどんな判断をしようともそれは簡単な問題とも思える。

しかし、自分に係わる問題だけを判断して生きてゆくことは、まず無理だろう?
自分の判断が他人に影響を及ぼすことは、気が付いているいないに係わらず少なくない。いや、その殆どが多かれ少なかれ影響を与える。

まあ、知らない、もしくは、どうでもいい人への影響なら気に病む必要もないかも知れないが、むしろ一々気に病んでいたら生きては行けないが、それが家族のこととなるといきなり難問化する。

自分の判断が家族の生死に影響を及ぼすような場合、それは途方もない難問となる。
概ね正しそうな判断をしたとしても、それがもっとも正しい判断だったかは判らない。むしろ間違いだったかも知れない。どんなに考えてもそれは堂堂巡りにしかならないことは百も承知だが、失ったものの大きさに愕然とする。

難問故に逃げたくなる気持ちと挑みたくなる気持ちが交錯する。
でも、誰も代わりに判断してくれるわけもなく、またその結果を押し付けるわけにも行かない。

後悔と恐怖が、次の難問に挑む勇気を萎縮させるが、取り組みつづけるしかないのだよね。

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コメント

そうです。
取り組み続けるしかないんですよね。
自分が自分である限り。

自分も、未だに自分が決めた事が正解だったのかどうか、
考えてしまうことがあります。
今、同じ局面になったとしても、
絶対に同じ判断をすると思うのですが。。。

「自分なんかが判断してよかったんだろうか??」という、
なんともいえない気持ちの悪さだけは、
一生消えないんだろうな、と思っています。

投稿: エリミ♂ | 2009年10月 9日 (金) 23時29分

エリミ♂ さんへ

ここ4年ほど抱えていた難問の一つは、火曜の夜にその問題自体が無くなってしまいました。この問題に係わることはもう二度とありません・・・

エリミ♂ さんのその気持ちの悪さは、確かにそうですね?自分も感じることがあります。
でも、誰かが判断しなければならないし、同意を得たものであれば、納得するしかないのでしょうね?

投稿: フロの飼い主 | 2009年10月10日 (土) 00時31分

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