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2010年1月24日 (日)

思考の迷路の入り口

現実は非現実的を参照する。
現実から理想、夢、虚構とその対比を変化させてきた先に向かうのは、再び現実だろうか?
精神的な幼稚さは、非現実に満足しなくなった時、肉体的な現実を欲するのではあるまいか?
現実の創造は、動物的な神経刺激としての快感だとか痛みだとかだろうか?
例えばサイボーグのように仮想現実の延長のような生を得るならば、肉体的な現実感とは、どう言うものになろうか?
電脳化され、一種のコンピュータのような媒体に個を宿すなら、AIとの境界は曖昧なものに成ろう?その場合、現実と虚構とは何をもって知ることが可能だろうか?
その答えが動物的な肉体への神経刺激とすれば、精神的な苦痛と成ろう?
肉体的に非接触な現実に生きれば、非現実との境界は曖昧になる。現実の世界に生きて、尚、現実感を得られない者は、この世界を絶望て捉えるであろうか?
攻撃的な非現実の世界に嵌り込んでしまった者が、現実を欲する場合、その矛先は現実的な他者への攻撃であろうか?
理想への欲求であれ、現実への欲求であれ、過激な欲求は、これまで多くの悲劇的な結末を生んできた。我々が望む理想や現実感への満足は、必ずしも簡単に得らるものではない。非現実の中ではリセットすれば現実に戻れるが、現実の中ではもう戻れない。仮に現実感だとか理想を体感したところで、未来を引き換えにする価値があろうか?

大澤真幸の不可能性の時代を読んでいて、こんなことを考えていたが、読み終わった時に同じ事を考えているやら・・・

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