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2010年8月 4日 (水)

自らを律する

渡辺謙さんが、テレビのニュース番組でちょっと感動的な事を言っていた。
彼は、世界で活躍する映画スターなのだ。白血病を乗り越えた彼は、やはり只者ではないのだろう。

番組の中で、渡辺謙さんが世界から日本を見た時に今の日本に望む事として、政治には未来を語る事、個人には自らを律する事を言っていた。(大雑把に解釈し過ぎかな?)

現在の政治家に大言壮語的に未来を語る政治家はいない。失われた20年で我々日本人は、国としての目標を見失ってしまったように見える。
自己中心とも思えるような輩が幅を利かし、自らの行いを省みようともしない国民が増えてしまった。戦後のモラルの崩壊が、じわじわ国民性を歪めて来たようにも見える。

ラストサムライの中に登場する人物達の夢と自らを律する生活ぶりは、当時日本を訪れた外国人に感銘を受けさせるような豊かな国民性であったのだと思われる。
世界に絶賛される日本のアニメの物語性は、仲間を思いやる気持ちだったり、自然を愛する気持ちだったり、色々なものを広く深く受け入れるような懐の深さを語るようなものではないか?単純な勧善懲悪ものではなくて、どちらが悪いとも、どちらが良いとも言えないような、立ち位置によって善悪は変わることを自然に受け入れているようなものではないか?単なる娯楽ではない精神世界的な描写が、物語性を強めていて、それが高い評価を受ける理由なのだろう?と思う。ラストサムライであれ、硫黄島からの手紙であれ、外国人が描く当時の日本人の豊かな精神性は、外国人を感銘させるようなものだったのだ。

現在、国民一人当たりのGDPは、現在19位まで落ちてしまった。バブルの鍍金が剥がれてしまった経済力は、産業の空洞化、企業のグローバル化に伴って、国内の貧富の差を作り出し、モラルの低下に伴って保安性も低くなりつつある。
勝ち組だとか、負け組みだとか、言っている時点で価値観の薄っぺらさを感じる。戦前の日本は、どう見ても経済的には貧しかった。それでもその当時の日本人は、外国人を感銘させていたのだ。豊かさを感じるものは、物量では無いと教えられているような気がする。
これからの日本は物の豊かさを追えなくなるだろう?だからと言って戦前の貧しさに戻るとも思えないが、物欲が満たされないことを嘆くより、自らを律することで精神的な豊かさを夢見たいものだなと思う。

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