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2011年4月

2011年4月13日 (水)

近所の桜

今年は、時節柄ニュースで桜前線の話題がありませんが、気が付くと満開だったりします。

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家から歩くと5~6分くらいのところに弁天池なるところがあります。桜の季節にここを通る事が無かったので、ここの木が桜の木だとも気付いていませんでしたが、自転車を止めてちょっと見とれます。

こうして、綺麗な桜を見ていると、暫し日ごろの嫌なことも忘れます。

バイクで出掛ける行為も、そう言えば、走っている時は走ることに没頭できるからです。

走りきって綺麗な景色を見ていると、日常の詰まらない事がど~でも良いことのように感じられます。何か妙にサバサバした感覚になって、笑い飛ばすことが出来るようになります。不思議なもんですね。

プライドを持って、自分を見失わないでいれば、嫌なことも笑いに変えられるのだろうか?とも思います。うん、やっぱ馬鹿は相手にしちゃいけない♪

桜からちょっと話を膨らませすぎましたね?

世の中、全くの自粛ムードですが、自粛は電気を使うことだけにして、気晴らしにツーリングにでも行きましょうかね?

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2011年4月 9日 (土)

"Stand Alone Complex 意味"を検索してみました

この記事は、探索の結果、素晴らしいと賞賛していた記事が削除されてしまったため、”もしかしたら、リンクが迷惑だったのかも知れない”と思われますので、削除しました。

ごめんなさいm(_ _)m

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2011年4月 6日 (水)

Stand Alone Complexの意味を深読みする

リチャード ドーキンスがその著書であるThe selfish gene(生物=生存機械論)の中で提唱するミーム(meme)と言う概念から、Stand Alone Complexの意味を深読みしてみます。

memeとは、模倣の単位と言う概念を伝える名詞として、模倣に相当するギリシャ語の語源とするmimemeと言う単語をドーキンスがgene(遺伝子)に対比させた造語だそうです。ミームが遺伝子プールと同じように、ミームプール内で繁殖する際には、広い意味で模倣と呼びうる過程を媒介として、脳から脳へ渡り歩く、としています。
この本の中で、自然淘汰を動作させる基本理論は、自己複製を行う実体の生存率の差に基づいて進化する、として論じられており、生物のそれはgene(DNA)であり、生物以外のものをmeme(ミーム)と説いています。まあ、全てをmeme(ミーム)として、生物で成功を収めた唯一のミームがDNAとしても良いと思われますが・・・

Solid State Societyのラストに、”我々は消滅する媒介者となって、次のSocietyに介入して行こう”なんて言い方で深層的無意識が人間の脳を媒体にして一人歩きをするような表現が用いられていますが、一つの理論でも、一つの思考でも、信仰のような理念でも、ファッションスタイルでも、デザインでも、文化でも、習慣でも、何であれ媒体上を伝播し、自らのコピーを産み出すような自己複製子をミームと呼びます。
一番成功しているミームは、神や仏かも知れません。説教や法典に拠って人々の脳にそのコピーが作られ、人から人へ自らのコピーを増やしていくものなら何でもミームと呼べます。(当然人でなくても良いのです。模倣が出来る生物は沢山居ますので・・・)神や仏ほど長生きするミームでなくとも、例えばホットパンツにタイツ+ロングブーツと言った流行のファッションスタイルもそれが多くの人に魅力的に映るのであれば、コピーされてゆきます。ですから、これも立派なミームと呼べます。

ミームは、gene(DNA)のように親子や兄弟のような近親関係と言った媒介者間の関係を持ちません。伝播する媒体は、基本的に脳ですが、伝播方法は何でも良いのです。街中で見るだけでも、ネットで見るとか聞くとか、TVで見るとかラジオを聞くとか、媒介者間に特別な相互関係を持つ必要がありません。これはつまり、媒介者がStand Aloneな関係のまま、それぞれの脳の中におよそ同一なコピーを持つ状態になります。(およそ同一なコピーの意味は、必ずしも正確にコピーされるかは解からないからです。)
ミームの自然淘汰の動作原理は、魅力的かどうかだけです。死後の因果応報の世界は十分魅力的ですし、ホーキンス博士の宇宙の起源論なども魅力的なミームなので、世界中で誰でも知っている程のコピー数を稼いでいます。前述のファッションも僕が電車に乗る30分程度の時間の中でもそっちゅう見かける程のコピー数を稼ぎ出しています。

およそ相互関係の無い多数の媒体者達の脳に同一なコピーを持つ状態は、一つのミームから見れば一つのミームプール(ここでは敢えて複合体と呼びたい)と見て取れます。Stand Aloneな関係にある媒体者達をComplexとせしめる因子がミームとも考える事も出来ます。こう考えてゆくと、Stand Alone Complexと言う社会現象は、ミームが繁殖してゆく繁殖現象そのものとも言えます。

我々がgene(DNA)を媒介する生存機械に過ぎず、寿命を持ち消滅してゆくように、我々の脳もまたmeme(ミーム)を媒介し、その魅力を感じなくなることで媒体者としての生存機械を消滅させます。そして、また次の媒体者に介入してゆく、もしくは別のミームを伝播する媒介者になって社会に介入してゆくことになると思われます。

ミームは、媒介者の意図があっても無くても伝播し媒体者に介入してゆきます。
Stand Alone Complexの意味は?と言う記事やStand Alone Complexの再考と言う記事でキーワードにした
”全ての情報は、共有し並列化した段階で単一性を喪失し、動機なき他者の無意識に、あるいは、動機ある他者の意思に内包化される。”
と言うオリジナルの笑い男が言った、彼の経験に基づく推論を上記の理屈で捕らえるなら、
”動機のあるなしに係わらずミームを伝播させることで、Stand Alone Complexと言う社会現象を生み出し、社会に介入する媒介者になる”
と言う事になる、のだろうと思われます。

士郎正宗がStand Alone Complexと言う言葉を副題として攻殻機動隊と言うStoryを生み出し、その魅力にその意味を知りたくなった媒体者が今この記事を読んでいる貴方であり、媒体者であり媒介者たる僕がこんな記事を書いて貴方の脳に介入していると言えます。

まあ、士郎正宗さんや神山健治さん、管正太郎さん、櫻井圭記さん達がこう考えて物語を紡いだのかどうかは僕には解かりませんが・・・

補足:四郎正宗さん達が描く電脳化の時代に、一方はウイルスを使って扇動者を作り上げ民衆を故意に動かそうとし、もう一方は話をするだけの旧来の方法であり1人のカリスマに民衆が自らの意志で従おうとする。でもどちらも自らを律する規律の中に存在する自我ではないから低いところに流れてしまい、双方が目指すところに行き着くわけではない。
大変面白い構成と言うか、絶望と期待が入り混じっていると言うか。
僕は、きっと共感するからこんな記事を書くんだね?

もう一つ補足:文章の中で、「特別な関係を持たない人同志」を「Stand Aloneな関係のまま」としましたが、社会に生きる以上完全にStand Aloneな状態にはならないですよね。Network Computerとの対比でStand Alone Computerと言うものがありますが、脳を一つのComputerと考えれば、別にEthernetで繋がってなくとも言語を含めたMulti Mediaで社会と言うNetworkに繋がっていると言えます。だから、厳密にはこの解説は正しくありません。

社会を見回すとIntranetな状態のグループを見かけますし、外部からの情報を拒絶しているように見える個人も見つける事が出来ます。社会に生きてなお孤立した精神状態にあると言えるでしょうか?自ら外部へのInterfaceを閉じてしまっているように思えます。まるで外部への興味をなくしてしまったかのようです。大概こう言う人達って犯罪行為に走ることで我々はその存在を知ることが出来るのですが、何故自閉行為に走るのか僕には残念ながら理解できていません。

Stand Aloneな人とは、電脳化の時代では、Ethernet(そういう時代にこんな通信プロトコルが使われているかは解りませんが・・・)で繋がって無い人を単純に指しても良いかもしれませんが、現代では外部への関心を閉じてしまった人、一つ踏み込んで言えば、外部への好奇心を失ってしまった人を指すのかと思います。それは意味を広げれば、凡庸な生活を続け、人の話に耳を傾けない人をも指すかも知れません。

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2011年4月 2日 (土)

頑張れ!東電

僕の家はオール電化と呼ばれるような家です。だから、東電から電気が来ないと拙いなあ。
通勤に使っている西武線も東電から電気の供給を受けて動いています。だから、電車が動かないと通勤は、まあ、自転車でしょうかね?
職場の電気も東電からの供給で動いています。電気が来ないと仕事になりません。正直、商売上がったりです。
いま、こうして使っているネットワークを使うために契約している通信事業者も東電から電力供給で動いています。携帯電話もそうですよね。
みんながそうなのかは、僕には解りませんが、少なくても僕は電気が無いと生活できません。
だから、国の30%の電力を生み出している原発を、簡単に危険だと言って非難したりは出来ません。
福島の人達が人事だからではありません。実際、僕の両親は、茨城県日立市で未だに空気中の放射線濃度が平常時を上回っています。母方の従兄弟達は、北茨城や福島の南部の方に住んでいます。だから、まるで人事ではありません。

昨日のWeb新聞、それから、今日のペーパーの新聞を読んでいると、「東電バッシング 加熱」とか言う記事を沢山目にしました。
東電社員に対する嫌がらせや、建物への落書き、ネット上の誹謗、中傷、役員の住所の晒し、コールセンターへの抗議電話などなど、どれもこれも”そんなことして何になる?”と首を傾げるような事ばかりだよね。

そもそも福島原発が稼動し始めたのが40年前です。当時国策として建設を決定したのは、更に以前の東電の役員や当時の政府や国会議員です。今の東電職員でそんな決定に関わった人は一人も居ないでしょう?少なくても現在事故を起こした原発を止めようと、コンクリートの床や椅子に雑魚寝をしながら、まともな食事も出来ず、風呂にも入れずに作業している職員や東電関連の会社の人達の中には、一人も原発を作るのに関わった人達は居ませんよ。

各地で平常時より高い放射線量が測定されていますが、少なくても40歳を過ぎている僕には全く怖い量ではありません。でも、原発を止めるために作業している人達が直面している放射線量は、半端じゃありません。先日関電工の職員3人が被ばく事故を起こした場所に丸一日居たら1週間以内に死ぬでしょう。現在被ばく線量が100mSvを超えてしまって、もう作業に当たれない人が増えてしまっているそうです。

放射線作業従事者の被ばく限度は、100mSv/5年、ただし50mSv/1年です。この数字は、過去の被ばく事例から”合理的に達成可能な限り低く保つようにする”と言う理念に基づいて国際放射線防護委員会が定めている基準です。「100mSv/5年、ただし50mSv/1年」は、許容できる被ばくだと思えますが、100mSvはそうではありません。既に100mSvを超えてしまった人達は、今後5年間は被ばくを伴う作業には就けません。それに1週間から3週間で100mSvは安全とは言えない数字なのですよ。それでも頑張って、原子炉を止めようとしているのです。

世界中から日本人の道徳心や冷静さや賞賛するような記事が届いている中で、先週起こった「東電バッシング」は、正直悲しい気持ちになります。

東電は、現在会社存続の危機とも言えるような状況になりつつあります。国難とも言えるような大災害を一つのインフラ会社が背負うのは、正直無理があるような気がします。東電の社員達だって明日をも知れぬ身で、彼らも被災者なのですよ。

去年、約1000年前の推定M9の地震の証拠が見つかって、学会発表を機に東電でも独自調査を行ったようですが、対策はされていませんでした。安全は唯では買えません。”危険性が指摘されたら、直ちに止めて対策してから稼動されるべきだ”なんていう人がいますが、実際止めたら今の計画停電より酷い状態になります。対策、資金、運休方法など慎重に計画して実行しなければならないでしょう。残念ながら、その前に地震が来てしまったのですよ。
経済産業省の原子力安全保安院が安全に関する指導をする立場にありますが、その人達は既に現場には居ません。安全対策は、彼らが指導しなければならない立場ですが、安全対策が不備で事故が起こったのなら、彼らは責められてしかるべきです。”バッシングの対象は、こっちじゃないの?”とも思えますが、それでもバッシング行為が良いとは言いません。

原発は事故を起こさなくても解体までに20年とか言われます。40年も中性子に晒されてきた鋼鉄製の圧力容器や格納容器は、放射化しているでしょうから、放射線量が下がるまで触れません。増してや今回の事故です。多分30年くらい、人々の記憶から消え去った頃に解体が完了するかも知れません。だから、東電にとって福島第1原発は会社再生の重荷になるでしょう?

僕は東電とはまるで無関係です。唯の電力の供給を受けているユーザに過ぎません。でも、電気がなくなると生活が成り立ちません。東電が潰れてしまうような事になるのは大変困ります。

だから、頑張れ!東電。

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