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2011年9月

2011年9月30日 (金)

メモリリフレッシュ

最近、昔勉強したものを勉強しなおすことに時間を割いている。単に忘れたので勉強しなおしているとも言えるけど、完全に忘れてしまったのと、忘れかけているだけのものでは、メモリを再形成する時間がまるで違う。

不揮発メモリ全盛の時代だけど、フィルムに磁性体を塗布した記憶媒体の残留磁化を偶に書き直すことで、落ちてきた残留磁化の下駄上げを図って、読み出し不能にならないようにしようと言った魂胆なのだけれども、思った以上に読み出し不可能になっている記憶が目立つ。

実家の祖母が、死ぬ間際、つまり96歳くらいまで、小学生のときに習った教育勅語を暗記していたけれども、年に数回しか会わない僕の顔は忘れてしまっていた。人間の記憶は、どれだけ強く書き込んだかで残留期間が大きく違うんだろうね。

だから、一度は勉強して理解もし、記憶も形成されたけれども、学生時代の書き込み方など高々知れていて、偶にリフレッシュしないと読み出し不能になる。仕事上必要ない知識なのであれば、読み出し不能だろうがなんだろうが、書き込んだログさえ残っていれば問題ないのかも知れないが、実際に仕事で必要な知識は、少々面倒でもメモリリフレッシュしない訳には行かない。

ぎりぎり位相拡散フーリエ変換は覚えていたけど、スピン密度関数のフーリエ変換式?二次の位相変調効果の逆位相関数?・・・

何だっけ?それ?

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2011年9月26日 (月)

この人の映画論評を読んでみては如何だろうか?

「柊梅庵主謹白映画漫策&音楽作品
Favorite movies & my music」を読んでみては如何だろうか?

どうも「mutamac 」さんと言う方が書いているようだが、何年、どの位の時間を掛ければこれだけの内容の記事をこれだけの量書けるのか驚きですが、
僕のブログに”Stand Alone Complex 意味”で検索して、見にこられる方々は是非mutamacさんの論評を読んでみることをお勧めしますよ♪

「きらびやかな舞台設定に幻惑される微妙な恋物語
http://nmuta.fri.macserver.jp/movies9.html

攻殻機動隊について書かれています。僕の雑な文章を読むより、余程、色んな事が理解できるかと思います。

この方、映画論評だけでなく、色々と面白いことを沢山、それこそ沢山書いているので、攻殻機動隊の中で語られる禅問答のような台詞のやり取りに興味を持たれる様な人たちには面白い文章が並んでいると思うのですが・・・

人の褌で土俵に上がるような記事なので、まあ、この位で。

mutamac 様へ 勝手にリンクを張らして貰いました。不愉快でしたら、コメントにでも入れてくださいまし。謹んで削除いたしますm(_ _)m

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2011年9月21日 (水)

”原発特集”というボタンがトップページに残っているのは読売新聞だけになっちゃいましたね。

YOMIURI ONLINEに
「原発収束、順調さ強調…放射性物質が大幅減」
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20110919-OYT1T00595.htm
という記事が載っていて、「冷温停止に向かって順調である、8月上旬の原発からの放射性物質の放出量は、3月の事故直後の1000万分の1以下に減少。敷地境界の被曝(ひばく)推定量は年間0・4ミリ・シーベルトと、工程表の目標値を達成した。」との事が書かれていました。
原発の冷温停止が順調との報告があっても、まだまだ冷温停止すら出来ていないのに、廃炉に向けた作業や避難住民の帰郷に向けた除染作業なんか手付かずなのに、新聞の有名どころ4社の中で、”原発特集”が残っているのは、読売だけです。
NIKKEI.NETのアクセスランキングにも原発自体の記事が上がってこなくなって久しいですが、日本人はこんな事にも飽きっぽいのですかね?
まあ、それはともかく、敷地境界の空間線量が0・4ミリ・シーベルトまで下がった事は嬉しいニュースでした。

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2011年9月14日 (水)

もう目が覚めないかもな

そう思った。

4月以来の自転車トレーニングに行って、最初の難所の急坂を筋肉の限界まで使ってしまったら、心肺機能が着いて来てなかった。
上がりきったところで酸欠状態になり、気持ち悪くて立っていられなくなった。
道端に座り込んでフェンスに寄りかかったら、全身倦怠感と共に意識が朦朧としてきた。

”やっぱ、ちょっと無茶だったか?このまま意識が無くなったら、もう目が覚めないかもな・・・”

そう思っている内に意識がなくなったらしい。

夢から覚めるような感覚で、目が覚めた、と言うより意識が戻った、と言うのが正しいかな?
どの位意識が無かったか、まあ、時計を見る限り長くて数分だったようだ。
意識が戻った途端に猛烈に冷や汗が出てきて、ああ、低血圧状態になっていたんだな、と思った。
誰も見ていなかったと思うので、あのまま意識が戻らなければそのまま死ねたろうか?

”ちっ!惜しいことをした。”

と思った。

”早々楽に死ねるもんじゃないんだな”

とも思った。

その後は、10kmのAverageを10Mile/h以下になるように調整しながら、絶対に心拍を120以上に上げないように注意しながら20kmを走って家に帰った。

えっ?死にたいんじゃなかったのか、って?
いやまあ、別に望んで死にたい訳でも無いし、座り込んで意識が無くなるなら笑い話で済むけど、落車すると多分死ねないわ怪我するわで散々でしょ?他の人を巻き込んじゃうかもしれないし。

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2011年9月11日 (日)

夏が戻った

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今年は、旧暦通りの季節に戻ったか?と思えるほど、7月が酷暑で8月が残暑、9月は秋の様相でしたが、昨日今日とまさしく残暑。日差しは幾分柔らかいけれども、殆ど夏の空気感でした。

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2011年9月10日 (土)

用意した言葉が見つからないのなら何も言わなきゃ良い

鉢呂吉雄経済産業相の「死の町」発言や記者に「放射能をつけてやろうか」と発言したりしたと言う事について、新聞やテレビで大騒ぎですよね。
新聞やテレビで言っている事は、各社微妙に違うようですので、事の真相はハッキリしませんが、全くの出鱈目ではないのでしょう?

最近の内閣は、閣僚の不味い発言で辞任する、もしくは、解任される閣僚が必ず出てきます。記者に囲まれて、何かコメントを求められれば、気の効いた事を言いたい気持ちも解らないでもないですが、不用意な発言をする位なら何も発言しないほうがまだ良い。

どうも大臣と言う職種の重要性の認識がずれてしまっているような政治家が目立ちます。大臣になるまでは側近達に問題のある発言や冗談を言っても、身内である側近達がそれで足を引っ張るような事は無いだろうし、それが表沙汰になるような事もありませんよね。でも記者たちは違います。

被災地の視察も、唯の国会議員として行くのと、大臣として行くのではまるで違いますよね。国会議員の物見由山のような積りで行ったのだとしたらとんでもない。”記者に防護服の袖を押しつけようとした”なんて行為が本当だとしたら、遊び感覚であったのであろうと誰でも感じることだろうと思います。防護服の意味もまるで理解していない。子供じゃないんだから、冗談では済まない。

大臣になれば、自分の発言や行動が社会に与える影響がまるで異なることを理解していないのではないだろうか?国会議員になれば大臣になるのは夢なのかも知れませんが、大臣は国を預かる要職です。まずは気を引き締めて掛かる、のが本来あるべき姿でしょう?

どうせ成りたてだったら、気の効いた発言など直ぐに出てくるものだも無いだろうから、解らなきゃ言わなきゃ良い。半年くらいなら記者も仕方ないと諦めてくれますよ。その方がしょうもない事を言うより余程良い。どうせコメントを貰えないと諦めた頃に、気の効いたことを言うほうが評価が高くなるかもしれませんよ?

ようやく調整の出来そうな(=実際の実行力に相当するかと思います。)首相が出てきたのだから、せめて足を引っ張らないで欲しいものだな、と思います。でも、本来なら経済産業相は、首相の縁の下の力持ち的に首相を助ける立場だと思うのですが、任命できる範囲に力になるどころか足を引っ張るような人材しか居ないだとしたら、首相になる人は大変ですよね?
復興や経済の成長戦略が軌道に乗るまでは、大臣抜きで首相が官僚を直接生かしたほうが上手くいくんではないでしょうか?

いや、ちょっと過激だな・・・
”またかよ!”と思ってイラっとして、一気に書いてしまいましたが、載せないほうが良いかしら?
まあ、どこぞの大臣と違って、個人のブログの何処の誰とも解らないような奴の発言ですから、良いですかね?

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2011年9月 6日 (火)

「しんゆう」を使い分ける?

「しんゆう」を使い分ける?

9月6日の日経新聞に
「親友、心友、信友…「しんゆう」を使い分ける子どもたち 」
佐々木智巳
http://www.nikkei.com/life/family/article/g=96958A9C93819690E2E6E2E2E78DE2E6E2E5E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;p=9694E0E3E2E0E0E2E3E2E6E6EBEB
と言う記事がありました。
記者である佐々木さんの娘さんの話題から、当てる漢字で「しんゆう」の序列をつける、これらを「言葉の乱れ」と考えるのではなく、言葉を「覚えた言葉」でなく、「使う道具」として捕らえ始めた成長の証として考えたいと、私見で要約すると書いていますが、どうでしょうか?

自分はどうですかね?

まったく知らない人
偶に顔を合わせるけど名前も何者かも知らない人
名前は知ってるけど何者か知らない人≒顔見知り?
顔も何者かも知ってるけど名前は知らない人
相手は僕の事を知っているようだけど僕は知らない人
僕は知っているけど相手は僕の事を知らない人
お互いに顔だけは知っている人
お互いに顔と名前を知っている人≒知人
お互いに顔も名前も何者かも知っている人=知人
一緒に遊んだことのある人≒友達
そっちゅう一緒に遊ぶ人=友達

さて、ここから先が難しいですよね。

長らく使ってきた「親友」は、広辞苑には「信頼できる親しい友。仲のよい友人。」とありますが、例えば家族同士で付き合っているような友達は親しい友人と言う事でやはり「親友」になるのでしょうね。
何かあったら最大限助ける努力をしようと思うような友達も「親友」と呼ぶと思います。
上記の記事の中には、最近、「親友」は、親同士も友達なんて場合にも使うような事が書いてありました。幼稚園から中学生まで同級だった母親同士が、子供はもう大学生で子供同士の付き合いは途絶えてしまっていても、母親同士はいまだに友達なんてのにも使うのかも知れません。
「心友」は、同じく広辞苑には「心を許し深く理解しあっている友。」とありますが、これは「親友」で代弁してきてしまったかも知れません。あまり使わない言葉ですね。
付き合いが長くて、一緒に遊ぶような事は滅多に無いけど信用している友達は、差し詰め「信友」とでもしましょうか?
以前の同僚で、その仕事ぶり、仕事に対する考え方、向き合い方から、彼なら、彼女なら間違った事はしない、なんて信用のある友達も居ます。こういう人たちも「信友」のカテゴリに入れましょうか?
最近友達になった友達は、「新友」でしょうか?いや、これは「新友」を使うくらいなら「最近友達になった」とそのまま使いそうです。
インターネットが普及してきて、「顔も名前も知らないし、会った事も無いけど、人物像は掴めている」なんて言う旧来のカテゴリ分類には嵌らないような友達も居ます。

今、比較的無理やりカテゴリを分けてみましたが、こう言うのって女の子がやりがちな言葉遊びのような気もします。
自分の旧来のカテゴリ分類?で言うなら、
「知らない人」
「知人」
「仲間」
「友達」
が精一杯で、殆ど「仲間」=「友達」です。
ですから、友達を「しんゆう」の当て字で分けるような事は習慣としてないですよね。
記事の中の引用をさらに引用すると”著書に「これだけは知っておきたい言葉づかい 時とともに言葉が変わる理由」(笠間書院)などがある日本大学の竹林一志准教授は「親しさの度合いも質も様々なのだから『親友』という同じ言葉でひとくくりにしたくないという気持ちの表れではないか」”と言っているそうですが、友達をそんな細々とした分類に当てはめる事自体が如何なものかな?と思う自分にとっては、今時の子供達の気持ちは良く解らない。

記事の書き手の佐々木さんが、”小学校高学年になると友人関係が大きな関心事になり、長女が心の成長とともに学びや遊びに関して「何をするか」よりも「誰とするか」を重要視するようになった結果、「しんゆう」の書き分けで友達を選別しているように思えます。”と分析していますが、携帯が子供達にまで普及し始めて、その密度は上がっているようですが、「友達の友達は皆友達」的な大らかさが失われてしまったような気もします。

3月からバイクのクラブをFacebook上に移したのでFacebookを使うようになりましたが、数百人の友達登録をしている人や10人程度の人まで沢山居て、Facebookの使い方や、友達に関する考え方の違いなんかが窺い知れます。これまでの学校の友達、クラブの友達、職場の友達といった顔と顔を付き合わせた付き合いだけではなく、様々な形態の繋がりが当たり前になってきた今日この頃を生きる子供達には、佐々木さんの分析のように「誰とするか」が重要、友達の分類も沢山使い分けなきゃいけないのかも知れませんねえ・・・

こう言うのも「ストレス社会に生きる子供達」なんて言葉で語られるような現象なんだろうか?

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2011年9月 3日 (土)

無断転載の顛末

面倒なのでサイトを閉めてしまおうか、もともとWeb logとして書いてあった文章を非公開にしてしまえば、こんな馬鹿らしい思いをすることもないな、と思いました。

アメーバブログで、 「Stand Alone Complexの意味は?」、「Stand Alone Complexの再考」、「Stand Alone Complexの意味を深読みする」の記事の内容をそっくりコピーして自分が書いた記事として載せている人に対して、

”その僕が書きました的な転載の仕方は、流石に酷いね”

と思って、無断転載記事のコメント欄に

”削除してください、人の書いた記事を自分の書いた記事として載せてしまうのはルール違反ですよ”

と書き込んで、アメーバブログのサポートに警告と削除要請をしてみたのですが、

”要請の記事は既に削除されていました”

との返事が来ただけでしたね。

削除も”プロフィールでデザイナーを標榜するそのブロガーさん”がコメントを見て直ぐに消したようです。この人のブログには、僕だけのじゃない山のような無断転載記事がありましたが、そう言うパクリを常態化しているデザイナーって信用されないでしょ?
他の人の記事を「参考」とか言うカテゴリに自分で書いた記事のように無断転載しまくることで、自分のブログのアクセス数を稼ごうとするのは、如何なものかな?
結局、唯ブロガー自体が記事を消しただけで、要するにアメーバブログサイト自体は、何もしていない。

無断転載問題で検索を掛けてみると、アメーバブログを悪く書く人が多いのだけれども、まあそう言う事なのかも知れませんね。きっと後出のブログサイトは、パクリだろうがなんだろうがアクセスさえ稼げれば、著作権なんて知ったこっちゃ無いのかも知れない。実際のところ「消されたからもう文句ないでしょ?」的な文章のメールが届いただけなので、どんなブログサイトなのか僕自身は判断が付かないのですが、複数の人がサイト自体の問題を問うているのには、何かしら理由があるのでしょうね?

この件で色々調べて解ったのですが、「無記名」、「素性不明」、「責任の無さ」はやはり問題ですよね。

ただ、麻木久仁子さん中傷事件で接続業者に発信者の開示命令が出る判例が出来たので、「名誉毀損」だけでなく「著作権」についても訴えれば同様の判決が出る可能性があり、ブログサイトもブロガーの素性を開示しなければならなくなる。これはつまり、無記名ゆえに人気があるようなブログサイトを排除する事になるのかも知れないな、と思います。

論文のように「引用回数を競う文化」でもあれば、それは名誉なことなのかも知れないけど、無断転載じゃなあ・・・唯の著作権違反だよね。参照先をきちっと載せた引用なら問題ないんだけどね。
僕が知らないだけで、どの位の無断転載が横行しているんでしょうね?

ブログを登録する時には実名を載せますので、裁判所命令があれば素性が晒される、と思っていたので過激な事は書かないようにしていました。まあそんなことが無くても、モラルと言う意味でも過激な、例えば、一方的に非難するとか、実名を出してしまうような事はしませんけどね。

ああ、当然、パクリもしませんよ♪
Web logなのでね(笑)

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