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2011年9月 6日 (火)

「しんゆう」を使い分ける?

「しんゆう」を使い分ける?

9月6日の日経新聞に
「親友、心友、信友…「しんゆう」を使い分ける子どもたち 」
佐々木智巳
http://www.nikkei.com/life/family/article/g=96958A9C93819690E2E6E2E2E78DE2E6E2E5E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;p=9694E0E3E2E0E0E2E3E2E6E6EBEB
と言う記事がありました。
記者である佐々木さんの娘さんの話題から、当てる漢字で「しんゆう」の序列をつける、これらを「言葉の乱れ」と考えるのではなく、言葉を「覚えた言葉」でなく、「使う道具」として捕らえ始めた成長の証として考えたいと、私見で要約すると書いていますが、どうでしょうか?

自分はどうですかね?

まったく知らない人
偶に顔を合わせるけど名前も何者かも知らない人
名前は知ってるけど何者か知らない人≒顔見知り?
顔も何者かも知ってるけど名前は知らない人
相手は僕の事を知っているようだけど僕は知らない人
僕は知っているけど相手は僕の事を知らない人
お互いに顔だけは知っている人
お互いに顔と名前を知っている人≒知人
お互いに顔も名前も何者かも知っている人=知人
一緒に遊んだことのある人≒友達
そっちゅう一緒に遊ぶ人=友達

さて、ここから先が難しいですよね。

長らく使ってきた「親友」は、広辞苑には「信頼できる親しい友。仲のよい友人。」とありますが、例えば家族同士で付き合っているような友達は親しい友人と言う事でやはり「親友」になるのでしょうね。
何かあったら最大限助ける努力をしようと思うような友達も「親友」と呼ぶと思います。
上記の記事の中には、最近、「親友」は、親同士も友達なんて場合にも使うような事が書いてありました。幼稚園から中学生まで同級だった母親同士が、子供はもう大学生で子供同士の付き合いは途絶えてしまっていても、母親同士はいまだに友達なんてのにも使うのかも知れません。
「心友」は、同じく広辞苑には「心を許し深く理解しあっている友。」とありますが、これは「親友」で代弁してきてしまったかも知れません。あまり使わない言葉ですね。
付き合いが長くて、一緒に遊ぶような事は滅多に無いけど信用している友達は、差し詰め「信友」とでもしましょうか?
以前の同僚で、その仕事ぶり、仕事に対する考え方、向き合い方から、彼なら、彼女なら間違った事はしない、なんて信用のある友達も居ます。こういう人たちも「信友」のカテゴリに入れましょうか?
最近友達になった友達は、「新友」でしょうか?いや、これは「新友」を使うくらいなら「最近友達になった」とそのまま使いそうです。
インターネットが普及してきて、「顔も名前も知らないし、会った事も無いけど、人物像は掴めている」なんて言う旧来のカテゴリ分類には嵌らないような友達も居ます。

今、比較的無理やりカテゴリを分けてみましたが、こう言うのって女の子がやりがちな言葉遊びのような気もします。
自分の旧来のカテゴリ分類?で言うなら、
「知らない人」
「知人」
「仲間」
「友達」
が精一杯で、殆ど「仲間」=「友達」です。
ですから、友達を「しんゆう」の当て字で分けるような事は習慣としてないですよね。
記事の中の引用をさらに引用すると”著書に「これだけは知っておきたい言葉づかい 時とともに言葉が変わる理由」(笠間書院)などがある日本大学の竹林一志准教授は「親しさの度合いも質も様々なのだから『親友』という同じ言葉でひとくくりにしたくないという気持ちの表れではないか」”と言っているそうですが、友達をそんな細々とした分類に当てはめる事自体が如何なものかな?と思う自分にとっては、今時の子供達の気持ちは良く解らない。

記事の書き手の佐々木さんが、”小学校高学年になると友人関係が大きな関心事になり、長女が心の成長とともに学びや遊びに関して「何をするか」よりも「誰とするか」を重要視するようになった結果、「しんゆう」の書き分けで友達を選別しているように思えます。”と分析していますが、携帯が子供達にまで普及し始めて、その密度は上がっているようですが、「友達の友達は皆友達」的な大らかさが失われてしまったような気もします。

3月からバイクのクラブをFacebook上に移したのでFacebookを使うようになりましたが、数百人の友達登録をしている人や10人程度の人まで沢山居て、Facebookの使い方や、友達に関する考え方の違いなんかが窺い知れます。これまでの学校の友達、クラブの友達、職場の友達といった顔と顔を付き合わせた付き合いだけではなく、様々な形態の繋がりが当たり前になってきた今日この頃を生きる子供達には、佐々木さんの分析のように「誰とするか」が重要、友達の分類も沢山使い分けなきゃいけないのかも知れませんねえ・・・

こう言うのも「ストレス社会に生きる子供達」なんて言葉で語られるような現象なんだろうか?

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