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2011年11月 6日 (日)

もう十分生きた

もう十分生きた

これまで生きて来て、夢も命も儚いものだと思うようになりました。職業柄、人の命を常に見ているからと言ってしまえば話は簡単ですが、夢も命もあっけないほど簡単に失われます。どんなにもがいても、どんなに悔いが残ろうが、それは来てしまいます。

若い頃から執着心が低かった僕は、生きることにも執着がありませんでした。そもそも、”生きる”なんてことについて考えてもいませんでした。人が生きると言うことを真剣に考えるようになったのは、この業界に入ってからです。 大きな怪我は、あっと言う間にその人の夢や命を奪います。その人を頼りにする人達を巻き込みます。死に至る病気は、じわじわその人の自由を制限して行きます。そして一つずつ夢を奪い、最終的に命を奪います。

時間が残っている間に色々やるチャンスは残されている分突然よりはマシとも、真綿で首を絞められるようなところが良くないとも思えますが、それって普通に健康に生きていてもあまり代わり映えはしませんよね? 多かれ少なかれ人の命は果てます。まあ、そのことについては色々な意見があるだろうな?とは思いますが、過去にどんな選択をし、この先どんな選択をしようと、多少の差はあれど必ず命は果てます。どんなに望んだところで永遠の命は存在しません。

自分で望んだ訳じゃないけれども、命を得たからにはどんな形であれ全うする義務が生物である自分にはあるだろう?と思う故に明日が普通に来るように毎日を工夫して生きています。ただ、努力でどうにかならないものは受け入れざるを得ない訳ですが、どう受け入れるかは各人の選択です。 僕は一般的な平均寿命の折り返しを過ぎた辺りに居ますが、それは唯の平均に比較してのこと、明日死んでしまうかも知れません。誰にも未来は予測できませんので、死んでしまったら死んでしまったで仕方ない。悔いが残ったとしても、もう何も出来ません。

僕にもまだやってみたいことは沢山あるけれども、出来なかったからと言って特にがっかりするようなことでもないですよ。一人の人間が出来ることなど高が知れています。自分が出来なかったからと言って嘆いても、これまでチャンスが無かったわけでもないでしょう?それを第一優先に選択して来なかっただけなのですよ。だから、それは僕にとってきっと重要じゃないのでしょう。出来ないと解ると惜しくなるだけなんですよね?

仮に今死んでしまったとして、ちょっとだけ残念なのは、家族の行く末を見守ってあげられない事だけでしょうか?でも、彼らは彼らなりに自分の人生を生きるでしょう?僕自身には特に未練はありません。まあ、だからと言って自殺をしたり、自ら死にそうな事をしたりする訳では無いですがね。(笑)

本来”もう十分生きた”なんて事は、死が目前に迫った時に言い出すのかも知れません。でも、人生何が起きるか解りません。今、こうしてキーボードを叩いていても、自分の命は明日尽きるかも知れません。

一般的には、死を迎えるときに意識が残っているとは思えません。たぶん死ぬような怪我をした瞬間に脱力して意識がなくなるでしょう?怪我じゃなくても、脳出血でも心筋梗塞でも”何だ!?”と思っているうちに意識が無くなるだろう?と思います。だからきっと、意識があるうちには死ぬとは思っていないでしょうね。死ぬ間際に感慨に耽る暇が無いのが予想されるなら、今の内に想いに耽っておこうかな?

仮に死に至る病気になって、”もうそろそろ意識を保っていられなくなりそうだな?”と思った時、”もう十分生きた”と思えたら、それが自分の夢や希望に沿ったもので無かったとしても、満足感を持って死を迎えられそうだなと思います。

闘病生活が苦しいものであったとしても、その瞬間だけは充実感を持った優しい顔つきに成れるのではないだろうか?そんな風に思えます。

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