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2011年11月24日 (木)

書くこと

頭の中で思考を廻らせ回答を得ようとする時は、何となく結論に帰着しやすいと感じることが多々あります。
でも、その思考を書き残して見ると、結論に対して論理矛盾を生じている、もしくは、仮説と結論が乖離してしまっている、なんて事が度々起こります。多分、脳は適当なところで辻褄を合わせようと無意識に反応しているのではないか?と言う疑念が湧きます。

脱線します。誰かに教える立場に立って何かを教えたことがある方はお気づきだと思いますが、誰かに何かを聞いて理解したのと、教える場合に必要な理解では、その度合いがまるで異なるレベルにあると理解されていると思います。詳しく理解していないと教えられないのです。唯話すのではなく(相手が理解できようが出来まいが知ったこっちゃ無い)、相手が理解できるように話すのが教えることですので、難しい話を難しく話したので意味がありません。(もっとも難しいまま話して理解できるレベルの人達に話すのなら、それでも良いかもしれません。そういう人達に話すのなら、観点を変えたときの話を交えるだろうか?)

教えるときには、仮に一つの言葉を使うのにしても、この言葉を使ったら、連想としては何を浮かべるだろうか?それは理解してもらいたい事柄に対して適切な連想となるだろうか?なんて事まで考えて話を練ったりします。(教えるのではなく、研究報告のような場合は、データ的に自信がないと”であります”と言わずに”と考えられます”とか言って逃げを打つような言い回しの役にも立ちますが・・・そんな報告するなよ!)

まだ、脱線中です。難しい話を噛み砕いて解りやすい話に纏めるには、直感的に解りやすい話で理論を組み上げて行かないと理解が得られません。例えば、今日の日経新聞の村上憲郎のグローバル羅針盤と言う連載の中で使われていた「受動意識仮説」と言う言葉を聞いた時に、さっと記憶が甦って”それはこう言う事だよ”と言えるようにはなりません。理解ってそういうことですよね?
言葉を聞いた時に直感的に思い浮かぶ記憶の集合体、もしくは、芋づる式に呼び出される記憶の集合体が形成されている状態が、理解している状態なんだろうと思います。

頭の中で思考を巡らせる時に、記憶されている理解の集合体を紐解きながら理論展開してゆきますが、どうも結論に対して都合の良いほうに紐づいていってしまって論理破綻を来たし易い。結果として独り善がりな結論が出てしまう。

頭で廻らせる思考を書き残してゆきます。そうすると、辻褄が合わなくなっている部分や、途中の理論で理解が十分でなかったりする部分が目に付くようになります。書いてみて初めて途中で論理破綻していることに気づいたりもします。
この文章も2分で考えて、10分で書いて、30分経った今もまだ推敲中です。

よく書いて覚えるなんて人が居て、単純に、例えば漢字を書いて覚えるなんてのは、体が勝手に動く状態にすると言う意味合いと記憶を強く形成すると言う二重の意味があるかと思います。
これとは別に、書くことで確実に理論を組み上げて行く、確実な理解を形成すると言う意味で、書く事は重要だと感じています。確実な理解が次の理解を積み上げてゆく。脳の中で理解しただけだと、どうも後から記憶を引く出してゆくと途中で論理破綻しやすく、次の理解の妨げになります。

脳はかなりいい加減な反応を起こしやすく、言葉に反応して呼び出される脳の記憶の中から意識が都合の良いところの反応だけを拾い上げて記憶として残してしまうのかも知れません。この辺りの話は解説しませんが、慶応大学大学院の前野隆司先生の著書「脳はなぜ『心』を作ったのか―『私』の謎を解く受動意識仮説」(2004年 筑摩書房刊)を読んでいただくと、ああ、こういう意味のことを言ってるんだろうか?なんて思って戴けるかも知れません。

僕の脳が”大したこと無いね?”と言われてしまうような脳だからなのかも知れませんが、僕にとって書くことは、”脳が適当なところで辻褄を合わせてしまうのを防ぐ”と言う目的で書いています。

そんなこんなで、PCのArchiveにあるこの手の独り言のような記事だけで、ホルダーのテキストファイル数をカウントすると軽く1,000を超えてしまっています^^
まあ、過激すぎて載せられないような文章や、この文章のように面倒だから文章同士の繋ぎを書かないような文章が多いのですがね。だから、この文章も載せるか載せないかのボーダーライン上にある文章です。載せちゃいましたが・・・

ああ、「受動意識仮説」と言うのは慶応大学大学院の前野隆司先生が説いている説です。ここでは解説したりしませんので(僕の理解は読まないほうが良いと思われます)、Googleででも検索してください。

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コメント

フロの飼い主さんへ

こんばんは。
私もよく長い記事を書いている時は何度も読み直し、書き直しをしているのに…少し時間が経つと文章が何となく変でよく又書き直したりします。

伝えたい事をそのままダイレクトに伝えるって本当に難しいですよね

そそ。
コメント、ありがとうございました
ああ言って貰えたのが嬉しくて少し気が抜けちゃって又泣いちゃいました…

投稿: ニャンポコー2等兵 | 2011年11月24日 (木) 22時59分

ニャンポコさんへ

大変でしたね。
身近な人、特に肉親の死は、喪失感が半端ないですが、故人を忘れないことが一番の弔いになるだろうと、僕は勝手に思っています。

伝えること自体が難しいですよね?

教わるだけでは、教える人を超えて行けないので、出来るだけヒントを与えられるような話をしたいな、と思うのですが、難しいですよね。

投稿: フロの飼い主 | 2011年11月24日 (木) 23時33分

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