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2012年8月15日 (水)

親密さを何で感じるだろうか?

触れ合うこと、多分それだろうか?

スキンシップなんて言葉があるように、世界中の人達に共通するのだろう?そしてそれは人間に限らないだろうか?
動物にとって他の個体に捕まる事は、ほとんどの場合死を意味するから、接触する事自体に嫌悪感を感じてる方が都合が良い。だから、余程安心感が無い限り接触したくはない。

集団で暮らす事を選んだ種は、その範囲を個体から集団に広げたのではないだろうか?触れ合う存在か否かで集団の内外を認識するなら、触れ合う事を選ばないと集団の一員とは見なされない。
集団で行動する種は、個体単独よりも生存に有利な事が多いと思われるが、単独で居る事で常に自らの生存に危機感を持つ生物にとって集団に属す事が安心に繋がることは想像の範囲にある。

逆に長く単独で居る事に慣れてしまった、もしくは、ように見える、脳は長く苦痛を感じ続けると苦痛を感じなくならしい、個体の周りの他人は全て警戒し、敵意を感じる対象になろうか?
相当脱線した。

仮に夫婦であっても触れ合わない夫婦は、何となく他人行儀に見える。(何処の夫婦の話だろう?)日本人らしいと言えばそうなんだけれども、子供が大きくなる頃には唯の同居人になる。特に家業を共にするのではない、夫婦別業もしくは専業主婦の場合は更に傾向が高いように思う。

文化は伝染する。学校は感染を広げる場所であるから、そう言った親を持つ子が多数派になると、それが普通だと知る。日本の学校教育は多様性を排除する場所だから、夫婦関係も世代を超えて蔓延する。

日本の夫婦関係は不思議だなと思う。阿吽と呼ばれるような話さなくとも連れ合いが何を求めているか解っているような夫婦や、子は鎹と言われるように子供が居ることで何とか離婚を免れているような夫婦、家業を分業していてどちらか一方が欠けても仕事にならない夫婦、旦那は元気で留守が良いなんて夫婦、色々居る。
でも、共通点としてあまりスキンシップをしてないように見える。また、別れようと言う事にはなかなかならない。結婚は、その後自分が共に生きて行く相手を決める行為だ。生活の基盤が一度作られてしまえば、そう簡単にそれを捨てる事は出来ない。大概の人は、ある程度打算で動く。もう一度生活の基盤を作り直すコストは安くはない。簡単に踏み出せる訳ではない。
かなり脱線してる。

馬鹿っプルと呼ばれる程ベタベタしろとは言わないけど、適度にスキンシップを持てば親密さを保てる。

逆に見れば、あまりスキンシップを取らないから、別れるところまで行かない夫婦が多いとも言えるかも知れないけど。
作用する力は小さい程、反作用の力も小さいのだから…

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