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2012年10月

2012年10月25日 (木)

小論文は評価不能

職員採用試験は小論文と面接なんだけど、履歴書と小論文だけで一次試験合格者を半分まで絞らないといけない。

小論文はどうも学校の就職斡旋部門が添削するようで、学校毎に傾向が見られるけれど、ネットに出回っている基本的な文言と構成に乗っ取って書かれていて、どの論文も同じ構成で同じキーワード、評価不能である。
文章を纏める能力は多少差が見られるけれど、だからと言ってどのような考えを持っているのかは知りようがない。
自分の意見を述べている論文は、凡そ作文で論体を成してないが、一般的なキーワードを盛り込んで論ずると同じような論文になってしまう。

設問が在り来たり、自分の意見まで盛り込むには字数が足りないのだろう。結局キーワードの上っ面を舐めたような論文になってしまう。
こんなんで受験者の人生を左右しかねない試験として良いものかと思う。
他に参考になりそうな情報は、履歴書の志望理由と入職に対する決意だけだ。
やれやれ…

”採用試験じゃ解らないから、一流大学に入る努力が出来た人との評価で一流大学卒を選ぶ”と、一部上場企業の人事担当者が言っていた。
結局、あれこれやっても評価不能なのだ。

そうだなあ…希望者は見学に来る事を薦めて、そこでの複数の人物評価を集めて、反応が良くて素直な子を採用して育てようか?
大学を出たばかりですぐに役に立つ筈も無く、どの道育てるしかない。その場合、出来不出来は素養次第なのだから。

さて、来年はそうするとして、今年は論文に差がないから、履歴書の志望理由と論文の僅かな差異から読み解くしかないか?
まあ、3日だけ選考期限を伸ばして貰ったから、じっくりやりますか♪
やれやれ、今日も帰れないな^^

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2012年10月16日 (火)

人の流れ

池袋駅の南地下通路を歩く人の流れはとても不思議。壁の配置と床のタイルの方向がずれているためか、人々はタイルの方向に流れる。でも壁に対してどんどん狭くなるから行き詰まる。
バイクに乗ると、見た方に行っちゃうから、外は見るな!って教わるけど、周りを見ずに下を向いて歩くとタイルに沿って歩く。
狭くなって人が寄って来ても、周りを見てないからぶつかるよね。

一体誰が何処を基準にタイルの角度を決めたのだろうか?
使い方をデザインで指示するようなものをaffordanceと言うらしいけど、地下通路のタイルにも歩き方をaffordするようなデザインを採用するなら、人々がぶつからずに歩けるようになるのではないだろうか?

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2012年10月13日 (土)

きづきベル

自転車だと走行音が低いので歩行者が気が付かない事が多いのですが、一般の歩道では”歩道だからなあ・・・”と言うことで、気付いてくれるのを待つか、自転車にベルを付けていないので、”すみませ~ん”って言って通してもらうかしていましたが、ちょっと面倒なので少し前から鈴を付けていました。

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新しい職場に自転車を乗る職員が結構居るらしくて、委員会で一緒になった職員に、前記の話をしたところ、「きづきベル」を頂きました。

多摩湖自転車周遊道で、いい音をさせている自転車が何台か居て、”欲しいなあ~”と思って、近場の自転車屋で探しましたが売っていませんでした。だから嬉しい♪

付ける場所やストラップの長さを変える事で鳴り方を変えられる様なのですが、取り合えずハンドルに付けてみたら、結構良い音がします。でもなあ、振動だけで鳴るのではなく、1秒間間隔とかでずっと鳴り続けてくれるものが良いんだけどなあ・・・売ってないものは自分で作るしかないか。

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今日は、富士山が見えていました。空気が澄んでくる冬にしか見えないので、もうそう言う季節になったんですね。

今日は、風邪でも引いているらしく調子が上がらないので1周で止めて、多摩湖の堤防に座り込んで手摺に寄りかかって景色を見ていました。

空が澄んで青が綺麗です。日差しが暖かい。渡る風がちょっと冷たい。

忘れていたけど、そう言えばもう10月半ばだった。

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2012年10月 4日 (木)

自らを律するモチベーションは何だろうか?

そんな人間になりたくない、って言う思いかな?

駅員に暴言や暴力を振るう中高年を見たら、あんな風にはなりたくない、って思うだろう?
年齢を重ねたら、仙人のように世の中に達観したい。

もう九十年も生きてきて、まだ死にたくないって言うけど、じぁあ生きて何かしたいかと聞くと特に何か有るわけではない。どうも死ぬのが漠然と怖いらしい。
死生観は様々だが、死んで地獄に行くわけでもなし、地獄と言うなら動かない体で痛みに耐えながら生きる方が余程地獄だろう?

社会や家族にどう扱われるかは、これまでどう生きてきたかの結果である場合が多い。評価は他人がするものである。その評価が例え気に入らないものであっても、評価とは本来そう言うものだ。結果として粗末に扱われても、仕方ないじゃないか?(まあ今時の人達は、長幼の序なんて関係ないのかも知れないので、生き方に関係なくぞんざいに扱われる可能性は高いよね。)特に何も社会に貢献出来るものが無いなら、社会のお荷物として生きるもまた地獄に思える。

キレる中高年達には、余裕が感じられない。年を重ねたら、相応の知識と理解を得たいと思う。
人生は途方もなく長いが、先がぼんやりとでも見えているなら、急ぐ必要もない。
皆が走る中にあって、悠然としていられれば、そんな事にも笑って微笑んでいられるだろう。

自分が、そんなに生きてはいられないと思うけど、90歳になる時にはこの世に未練などないようにしたい。
その為には何年生きたかではなく、どんな風に生きたかが重要な筈だ。自分が日々行っている生き方が満足なものであるならば、それが何時終わってしまっても悔いは残らないだろう?

何かしら自分の行動の軸となるようなルールを持っているならば、それがどんなものであっても毎日を行ききる事が出来る。
駅員に暴言や暴力を振るうのが自分の自らを律するルールだと言われてしまえば、もう笑うしかないが、いいんだ、それは僕の自らを律するルールじゃない。

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