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2012年10月 4日 (木)

自らを律するモチベーションは何だろうか?

そんな人間になりたくない、って言う思いかな?

駅員に暴言や暴力を振るう中高年を見たら、あんな風にはなりたくない、って思うだろう?
年齢を重ねたら、仙人のように世の中に達観したい。

もう九十年も生きてきて、まだ死にたくないって言うけど、じぁあ生きて何かしたいかと聞くと特に何か有るわけではない。どうも死ぬのが漠然と怖いらしい。
死生観は様々だが、死んで地獄に行くわけでもなし、地獄と言うなら動かない体で痛みに耐えながら生きる方が余程地獄だろう?

社会や家族にどう扱われるかは、これまでどう生きてきたかの結果である場合が多い。評価は他人がするものである。その評価が例え気に入らないものであっても、評価とは本来そう言うものだ。結果として粗末に扱われても、仕方ないじゃないか?(まあ今時の人達は、長幼の序なんて関係ないのかも知れないので、生き方に関係なくぞんざいに扱われる可能性は高いよね。)特に何も社会に貢献出来るものが無いなら、社会のお荷物として生きるもまた地獄に思える。

キレる中高年達には、余裕が感じられない。年を重ねたら、相応の知識と理解を得たいと思う。
人生は途方もなく長いが、先がぼんやりとでも見えているなら、急ぐ必要もない。
皆が走る中にあって、悠然としていられれば、そんな事にも笑って微笑んでいられるだろう。

自分が、そんなに生きてはいられないと思うけど、90歳になる時にはこの世に未練などないようにしたい。
その為には何年生きたかではなく、どんな風に生きたかが重要な筈だ。自分が日々行っている生き方が満足なものであるならば、それが何時終わってしまっても悔いは残らないだろう?

何かしら自分の行動の軸となるようなルールを持っているならば、それがどんなものであっても毎日を行ききる事が出来る。
駅員に暴言や暴力を振るうのが自分の自らを律するルールだと言われてしまえば、もう笑うしかないが、いいんだ、それは僕の自らを律するルールじゃない。

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コメント

フロの飼い主さんへ

なかなか鋭い記事ですねぇ~
確かにキレる中高年を最近は見るね…

昔の人はそんなにしゅっちゅう怒ることはなかったのにね
昔より暮らしが便利になった分、昔の人より色んな事に余裕があっても不思議じゃないのになぁ~と思うんだけど…
実際は暮らしは便利なんだけど、それが当たり前になって、もっと欲が出てるからだろうか?

私もそんな中高年にはなりたくないなぁ~
反面教師的に今のご時世を見ようと思ってます

投稿: ニャンポコー2等兵 | 2012年10月 5日 (金) 01時03分

普段、戦前の教育の悪い部分に目が行きがちだけれども、良い部分に目を向けるなら、昭和一桁までの人達の志の高さだったり、自らへの厳しさだったり、礼儀正しさだったり、我慢強さだったりするのだろうと思います。昭和の偉人と言われるような人達だけじゃなくて、そう言う人達が沢山いる世代ですよね。話題の中高年の一つ上の世代の人達です。
我々の世代が中高年と呼ばれる頃は、どうなっているんだろうね?
今の日本は、民衆の権利意識に熱狂している時代のようだから、熱狂が他のものに移れば、落ち着くのかも知れないねえ…

投稿: フロの飼い主 | 2012年10月 5日 (金) 14時44分

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