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2014年4月23日 (水)

報道は民主主義の血液

何時ものように日経電子版に

[FT]ミャンマー、ジャーナリスト抑圧相次ぐ事態
2014/4/23 7:00
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK2202B_S4A420C1000000/?n_cid=TPRN0005

なんて記事が載っていた。

日本の民主主義は、自ら勝ち得たものではないためか、日本人は総じて民主主義の有難さを知らないように感じる。

普段このブログでは報道の倫理観の欠如に対して文句を言っているけれども、それは報道は民主主義にとって重要なものなので自滅するような行為は慎んで欲しいと思うからだ。

割とまっとうな民主主義国家に生きる日本人には、戦前の不幸を歴史として認識している。言い換えればその時代を生きた人が少なくなってしまったが、他の国家体制を身を持って知らずに済んでいる。

韓国の旅客船沈没における職業倫理の欠如などは、我が国においても無縁ではないが、日本人は概ね公徳心や公共心が強い。

ウクライナの親ロシア派住民?の武装立てこもりとか、日本なら”何故そこに銃がある?”と思えるような平和と秩序が日本にはある。歴史上の日本は幾度も住民が武器を持つことを禁じて来たので、住民が武器を持つ習慣が無い。だから、日本で行われるデモは悪くて怪我人が出るくらいだし、近年は流血騒動になったデモを知らない。

欧米をはじめ先進国と呼ばれる民主主義国家では、概ね国家体制が国民を弾圧するような事は起こっていない。それらの国家は封建制から民衆が勝ち取ったものだから、その意味が受け継がれているのかも知れないが、明治維新の時には国家が欧米に習って、戦後はアメリカの意向によって作られた民主主義ではあるけれども、日本人も既に100年以上を民主主義国家で生きている。
アフリカ、アラブ、アジア、東欧を見ると、日本人にとって当たり前と思える民主主義と言う国家体制は、世界的に見れば希少な国家体制なのだなと思う。

性悪説とかを支持するものではないが、概ねの人は権力を得ると私腹や体制を維持するために権力を使い始める。当然それは自分たちに都合の悪い勢力を排除する方向に作用するから、それらを監視する必要があり、機関であれ個人であれ報道は監視機構となる。

報道の精神とも言える国民の知る権利と表現の自由は、民主主義体制を維持するのに必要な血脈とも言える。ちょっと前には大騒ぎだった国家秘密保護法も今は騒がれていないけど、運用を間違えると国民の知る権利と表現の自由を奪う悪法になりかねない。国を守る良い法律になるのか、国民の権利を封じる悪い法律になるのかは、今年一年が正念場だろう?

報道機関は、自らと国民、民主主義を守るために国家秘密保護法の運用方法に目を光らせて欲しいものだなと思います。
”もうワイドショウネタとしては飽きられちゃったから”なんて理由で追わなくならないように願いたい。

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