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2014年5月

2014年5月20日 (火)

歴史は繰り返す

何時ものように新聞ネタですが、Nkkei.netに
中ロ、歴史改ざんに反対 首脳会談で尖閣など念頭
2014/5/20 17:02ニュースソース日本経済新聞 電子版http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK2001Y_Q4A520C1000000/?dg=1
なんて記事が載ってました。

歴史の事実は変わらないけど(正しく残されているかの議論は別として)、解釈はどうにでも変わる。中国、ロシアとも西側諸国と呼ばれる民主主義を基盤とする政治体制の国々と揉めている。そこで70年前の栄光(と彼らは思っているだろう?)を持ち出して、共産主義と言う名の独裁体制を敷いている国のトップが共闘を誓う姿は、彼らが揶揄する「ドイツ・ファシズムと日本軍国主義」の時代の枢軸同盟のようなものにしか見えないけど、そんなものを持ち出さないと国民の求心力を得られないのであれば、それこそが憂うべき実態のように思える。

当時のドイツも日本も資源を求めて領土拡大を目指していたと解釈すれば(多分事実もそれに近いだろう?)、中国が南シナ海や尖閣諸島で行っている領海侵犯やロシアのウクライナ介入などは、ファシストや軍国主義者がやっていたことと違いがあるのだろうか?

何だか50年後に、ベトナムやフィリピン、ウクライナが「共産主義の独裁軍事体制に勝利した日」とか言って記念式典でもしてそうな気がする。

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2014年5月18日 (日)

忘れて貰う権利と情報の解釈のスキル

何時ものように新聞ネタですが、Nikkei.netにこんな記事が載っていました。

[FT]個人情報裁判、グーグル敗訴が意味すること
2014/5/15 7:00 ニュースソース 日本経済新聞 電子版
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK14031_U4A510C1000000/?n_cid=DSTPCS013

内容としては、Googleが欧州司法裁判所で個人情報の削除を巡って敗訴した件を、今後の検索エンジンのあり方と公益性と言った観点から、コンテンツの検閲と公益の減損の結果として表現と情報の自由の権利を阻害する危険性について論じている。(と思う・・・)

欧州に存在するらしい「忘れて貰う権利」は、「表現の自由と国民の知る権利」とどう見てもぶつかる。

名誉棄損や嫌がらせのような投稿、過去の暴露などに飛びつく輩が居て、それを利用して利益を得ようとする犯罪グレーゾーンのような行為に対して、読者が公正な解釈をするスキルを持てば、無闇な検閲や公益を阻害されることも無い。

人類は今更、現在の情報検索性を捨てることは出来ないだろう?
だとすれば、「忘れて貰う権利」と「表現の自由と国民の知る権利」の衝突は、どこかに折り合いを付けなければならない。

麻木久仁子さん中傷、接続業者に発信者の開示命令 静岡地裁浜松支部
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2703B_Z20C11A5CR8000/
のNkkei.netの記事に触れて、「この判決の意味は匿名性は判決で失われると言うことだよね」
http://noraneko-furo.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-6035.html
と書いたけど、幾ら匿名であっても根も葉もない中傷記事を載せれば、誰が書いたのかは裁判所命令で公表され名誉棄損で訴追される。
この場合は、中傷が根も葉もないか事実に基づいているのかが争点になり、事実に基づいているのであれば削除要求は不当であると判断されるであろう。

今回のNikkei.netの記事に載っている事例は、Googleの検索に上がってくるコンテンツは事実であるが、自分の不名誉な記録の削除をGoogleに求め裁判を起こしている。しかも欧州司法裁判所で勝訴してしまった。これは相当面倒くさい。

自分の不名誉な記録とかならまだ個人のプライバシーの範疇に入るような事かも知れないが、過去の犯罪の記録の削除要求ならどうであろうか?

例えば、性犯罪者は再犯性が高いと言われるが、アメリカでは住民に性犯罪者であることが知らされる。それは個人のプライバシーより再犯による被害者の権利が優先されているからであり、公益性が高いから許されるような行為と言える。これはかなり極端な例だが、過去に不正を犯した、もっと譲って、忘れたい若気の至りを10年も経って掘り起こされたい人は居ないだろう?そう言った場合、Googleの検索エンジンは、悪意のある検索者に不当に情報を与える道具になる。

一方、個人のプライバシーの問題と称して過去の不都合な事実を隠ぺいしたい者が、次々とコンテンツの削除要求を出して削除されてしまったなら、表現の自由や情報の自由は激しく損なわれる。

出版物の回収命令が実際には機能しないように、電子情報の拡散性についてGoogleが責任を負わされてしまうような事態になれば、検索エンジン自体が機能不全になる。情報を検索エンジンに載せる前に一々情報内に載る個人の許可を得なければならないのであれば、概ねの人は同意しないだろう?特定秘密保護法のように公開する事で公益性が失われるような事実に対して隠ぺいされる事だけでも「国民の知る権利」を阻害しているが、載せるかどうかまで検閲が入るなら「表現の自由」すら奪われる事態になる。

世界中の情報を個人レベルで自由にハンドリングできるInternetと検索エンジンの出現は、産業革命のようなものだった。文化を変えてしまうほど便利なものを我々はもう手放すことは出来ないだろう?
忘れて貰う権利は、解らないでもないが、未来にやり直すことは出来ても過去を消すことは出来ない。そんな事は誰にでもある。
根も葉も無い中傷や事実誤認は、裁判所の認定(これは簡素化が必要であるとは思うが・・・)により削除されるべきだが、それが事実であるならば、消して欲しくても消されるべきではない。
我々利用者は、悪意でそれらを利用する者を排除する寛容を持つべきなのだ。

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2014年5月13日 (火)

勝手な事ばかり言うなあ・・・

論文不正問題の根幹に迫れ
2014/5/9付 ニュースソース 日本経済新聞 朝刊
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO70910050Z00C14A5EA1000/

今回も新聞ネタですが、Nikkei.netに上記のような社説(ですかね?)が載っていました。それを読んだ第一印象が”勝手な事ばかり言うなあ・・・”です。
「笹井芳樹副センター長の指導役としての責任は免れない。」とか書いてありますが、幹部になった研究者が理化学研究所の研究の全てに詳細に通じている訳ではないだろう?
それは、日経新聞の編集者の中の担当でもそうだろう?
編集長が経済、企業、国際、政治、株・金融、スポーツ、社会、新製品、地域、ビジネス、マーケット、マネー、テクノロジー、ライフ等々、全部の事項について上がってきた記事の細部の問題点に一々チェックを入れられるのか?

多分、理化学研究所も同じだろうが、幹部クラスになったからと言って、指導だけしていて自分の研究をしなくて良い訳でも無いし、書類作成など山のような事務仕事もある。自分の研究分野の学会への参加、関連する学会の参加、他の学会などに呼ばれての講演、所内の報告会、無闇に作られる委員会への参加、物見遊山のような視察の相手、論文書き、雑誌などの雑文書き、部下の面倒を見る等々を厳しい研究成果ノルマを果たしながらやらなければならない。しかも彼らは、期間契約雇用だったりして、一定期間に成果が出なければ解雇されるような状況である場合が多い。
だから、収入も安定しないし、終電に乗れなくて研究室に泊まるのもざらのような生活をしている事が多い。

そういう研究環境しか用意出来ない社会が、新聞に煽られて勝手に批判を始める。
何だかなあ・・・

資源も無い、労働力も無い、借金しか無い国が、生きてゆくにはテクノロジーに頼るしかないだろう?
日本と言う国は、老人、福祉、農業、漁業、原子力と言うとお金が出てくるが、それ以外は殆ど民間任せに近い。理化学研究所は、日本でテクノロジーに直結しやすい数少ない集学的な研究施設なのだ。

こんな記事を読むと、またぞろ、国を支えるテクノロジーを生み出すような優秀な人材が他国へ流失してゆく状況が目に浮かぶ。そんな事を続けていたら、日本と言う国は、老人と借金と放射性廃棄物だけの国になりそうだ。

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2014年5月 8日 (木)

生活道路は住民のもの

「ゾーン30」、全国に拡大中 事故減少の効果
2014/5/8 13:21ニュースソース日本経済新聞 電子版
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG08009_Y4A500C1CC0000/

「昨年4~9月、埼玉県警が12年度に整備した21カ所で効果を検証したところ、直前の半年間と比べ、人身事故が44件から29.5%減の31件に、物損事故が149件から13.4%減の129件となった。平均速度は35.6キロから32.6キロとなり、交通量も約2%少なくなった。」(上記記事本文より引用)

なんて記事がNikkei.netに載っていました。
以前、「生活道路は走らない」と言う記事の中で、”抜け道として、住民が生活道路として使っている狭い道を通るな”と書きましたが、相変わらず何時人が出てくるか解らないような、場合に拠っては、ちょっと門から顔を出したくらいでぶつかってしまいそうな狭い道を裏道代わりにすっ飛んで行く車が目に付きます。
土日・祝日や夏休みとか、家に子供が居る時に飛ばして行くのは、およそ未必の故意のようなものです。

僕は体積の小さいバイクで走る時ですら、住宅街の狭い道は回転を落としてゆっくり走ります。およそ抜け道に使いたい人にクラクションを鳴らされそうなくらい、ある意味嫌がらせのようなスピードで走っています。それは、事故の悲惨さを卒中見ているからとも言えるし、そこの僅か数分を急いで人生を棒に振る気が無いとも言えます。

じゃあ、峠道は何故飛ばす?と言われると、そこで生活している人は居ない訳ですし、脇道も無いので誰かが飛び出してくることもありませんし、民家があるところではスピードを落としますし、対向車に迷惑かけそうな所では開けて行かないし、そもそもペースを上げてはいますが、飛ばしちゃいません。かなり安全側に余裕を持って走っています。余裕を持たせたいからグリップの良いタイヤを履くとも言えます。(ちょっと脱線しました。)

ゾーン30で効果が実証されたのなら、”ここは生活道路だよね”ってところにはどんどん導入して、生活の場として使われる道路を危険運転者から守ってほしいものだなと思います。
事故を起こした人は、業務上過失傷害や業務上過失致死で長くても20年もすれば、肉体的な苦痛も無いまま社会に出て来られますが、事故を起こされた側は一生肉体的、及び、精神的な苦痛と向き合わなければならないのですからたまったものではありません。ローマ時代の”目には目を”では無いですが、謝罪も保障も要らないから、自分の痛みと障害を加害者に転嫁したいくらいですよね。(そんなことが出来れば、事故も減るだろう?残念ながら出来ないけど・・・)

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