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2014年10月

2014年10月22日 (水)

人が湧いてくる

池袋駅の駅構内の通路を通勤ラッシュの時に歩いていると正にそんな感じに見える。

人の後ろ、柱の陰から、次から次から人が飛び出してくる。
何で、人の後ろでスピードを合わせようとしないんだろう?
ちょっとスピードが合わないと直ぐに脇に出る。

まあ、自分勝手なルートで歩き、スピードもまちまち、人の前に割り込んではスマホを弄りながらもたもた歩く、割り込むスペースが無いのに強引に割り込んできてぶつかる、通りの真ん中で立ち止まってスマホを弄っている、同じく通りの真ん中でグループで占拠している、その中を急ぐ人が猛スピードで歩く。ぶつからない方が不思議だ。

池袋駅は埼玉県のアクティビティの高い人が集まるところだから、歩き方もガツガツしているから凄いんだと言う人もいる。
でもどうだろうか?

大手町などの狭いところで、歩く方向が定まっているところでは、比較的整然と歩いている印象がある。
池袋駅は、中央通路にJR、東急、西武、丸の内、南通路にJR、東急、西武、有楽町の改札が入交り、東西に南北に抜けるルートがあり、それぞれの通路はみんな広い。特徴は、広くて方向が定まっていない、改札口や山のようにある、そんなところだろうか?
色々な乗り換えに最短距離を選ぶ猶予があると同時に、行き先に決められたルートが無い。だから、みんな思い思いの方向に歩く。急いでいる人も、

疲れている人もいるだろう。毎日同じ時間に同じ方向に走っている人もいる。彼を見る度に、”He is always running."と思う。何故毎日走らないといけない通勤ルートを選ぶのか解らないけど、何か理由があるのだろう?

特に東の南北ルートと中央通路が交差するところ、中央通路のJRの改札が南北にあるところの通行者の入り乱れ方は半端ない。
正に次から次から人が湧いてくる。

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2014年10月19日 (日)

AntiF

もう25年くらい前だろうか?僕はFが大嫌いだった。何だか偉そうに作ったものを押し付けてきて、”ユーザは文句を言わずに俺たちの作ったものを使えばいいんだ”的な態度が”ふざけんなよ!そう言うことはもっとましなものをものを作ってから言えよ!”と思っていた。他のメーカでもそう言う所があったが、Fは大した売り物も無いくせにユーザの要望に答える気が無いようだった。

現在のFは当時の反省を生かして、ユーザの声を開発に生かすようになった。でも、そい言ったポリシーは社員全員に徹底されている訳ではない。最近親会社が本業以外で利益を出しつつあり、大手だということも手伝って先祖返りしつつある。以前の酷い時期を知らない若いLeaderクラスに鼻持ちならない奴が増えてきた。

ある意味仕方なく付き合い始めてもう20年くらい経つが、本来僕はこの会社が嫌いだ。別にそこに働く社員が嫌いなわけでは無く、もう随分と長い間仲良くしてきた連中も沢山居る。彼らの事は全く嫌いじゃない。たぶん、僕はこの会社の文化が嫌いなのだ。そして、仲良くしている人達はこの文化に染まっていない人達なのだろう。

この文化というのは、俗に言う大企業病と言う奴なんだろうな?と思う。一流会社と呼ばれるような会社に勤めてLeaderクラスになるのはそれなりに優秀だとは思うが、だからと言ってエリート意識を持つほどではないだろう。世の中には勝手に偉くなってしまう人間が沢山いるが、大企業病と言うのは自分勝手なエリート意識が会社の文化になってしまった時に起こるのではないだろうか?

最近、僕は先祖返りして、AntiFになりそうだ。

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2014年10月 1日 (水)

自分を自分として認識するためのアイテム

@ITのコラムでCrazy for life(セイカツ イチバン、IT ニバン)と言うコラムがあって、onoT さんとやらが何やら面白い事を沢山書いています。職場のITを組む仕事に就くようになってから、それまで趣味だったコンピュータアーキテクチャの知識は、仕事の道具になって、その収集はintrestからmustになってしまったためか、彼の話は一々うなずけます。

そのコラムの中にいつも指先に情報をと言うコラムがあって、その中で、コロンビア大学助教授のベッツィー・スパロウ氏がScience誌に載せた「Googleが記憶に及ぼす影響(原題:Google Effects on Memory: Cognitive Consequences of Having Information at Our Fingertips)」と言う論文の中から、「ヒトは自分で書いた情報であれば、書いた内容ではなくて保存場所の方を覚えるし、後で検索できると分かっている情報は、あまり覚えない」というような実験結果の紹介を引用して、「自分が見聞きしたことをみんなにも伝えたい、共有したい。そんな気持ちが指先に情報を宿らせる。ココロやカラダだけが自分なのではない。集めた情報、発した情報の1つ1つもまた自分の構成要素なのだ。だとすれば、ネット、スマホ、ソーシャルアプリはもうすでに、私たちの一部になり始めているのかもしれない。」と結んでいます。

自分を自分として認識するためには、すごく沢山のアイテムが必要です。そんな事考えたことも無いですかね?大丈夫、それで普通だと思います。そんな事をいつも考えている方がアブノーマルです。
でも、こうしてキーボードを叩いている時に見える指先、ギターを弾くために右手だけちょっと長い爪がキーに当る感覚、左前腕のホクロ、思いつく文章、文章を自宅と共有するために使うEverNoteのタグ、引用するコラム、そのどれもが自分を特定するためには必要なアイテムであり、場面が変わればそれらはもっとたくさん出て来る。そしてそれらは自分を決定づけるもの、たとえば顔や声のように既に自分と言う実体の一部と思える、と言う感覚はかなり以前から持っていました。
ですから、このコラムを読んだ時に、同じような感覚を持っている人が複数居ることを知って嬉しくなりました。
過去に何人かに話をしたことがありますが、その度にアブノーマルを見る目で見られていましたから。まあ、だからと言って大した慰めにはならないかも知れませんがね。

”これは僕のスマホ”、”これは僕のノート”、これは僕の・・・”と自分のものと特定できるものは、無意識かと思いますが、あなた自身をも特定可能な物です。あなたのFacebookやTwitterのWall上に載っている呟きやフォロワー、友達など、あなたを特定可能とするアイテムは、仮に実体がないものであっても、すでにあなたの一部なのではないでしょうか?
このコラムを読んで、”そうだね、自分を自分として認識するためのアイテムは、もうそんなところにまで広がってきているんだね。”って思いました。

勝手にリンクを貼ってしまいますが、Crazy for life(セイカツ イチバン、IT ニバン)と言うコラム集は、もう連載が終わってしまっていますが、面白いアイデアが山盛りです。僕は、楽しく読ませていただきました。
http://el.jibun.atmarkit.co.jp/onot/all_entrylist.html

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