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2015年1月 6日 (火)

メジャーはそれこそ沢山ある

ものには重さ、大きさ、色、表面、機能、使われる場面、などなど、その尺度が凡そ無限に存在する。
これと同様に、人の能力も一つの尺度で簡単に測れるものでは無い。

IQは、何を見ているだろうか?直観力を見ているように思えるけど、仮にメンサに入れるようなIQの持ち主でも馬鹿じゃないか?と思えるような奴は幾らでも居る。
僕の脳は、IQは確かにメンサに入れるような数字ではあるが、重大な欠陥がある。それは、興味のないものは幾ら入力してもFixされない事だろう。
もう一つ、物事を全てイメージで捕らえてしまうことだろうか?次から次からイメージが湧いてきて得られた答えは概ね正しいようだが、その理解の中間部分を証明できない。脳の中のイメージは共有できないし、具体的に証明も出来ないのであれば、理解していることを証明できないのだから、結果は何も解っていないのと同じになる。
また、一つの尺度は必ず良悪両面が存在する。例えば積極性は軽率と表裏だし、慎重さは臆病の表側だろうか?
相手の全てを見ることが出来ないのであれば、相手がどんな能力を持っているか知りようもないのだ。何処か自分より優れた部分があるかも知れないし、その優れた部分と思えることには裏もある。
絶対的な基準など何処にも存在しないのだ。

評価表にはその仕事に必要そうな基準点を複数設けて、それぞれについて点数を付けて行き総合的な点数で評価するように出来ている。多少の違和感は感じるが、どうしても比較をしなければならない場合、必ずどこかで点数を付けるしかない。出来るだけ複数の基準点を設けてやれば比較的公平な見方の点数が付けられるだろう。出来るだけ多くのメジャーで測って総合点を付ける。配点はどんな仕事なのかに拠るだろう。その仕事に相応しい能力に多くの点数を振れば、概ね相応しい総合点になる。

人の能力は千差万別だと思える。能力に適した仕事に就いて最善を尽くせば、万人が優秀である筈だ。話を面倒にするのは、能力に適した仕事に就ける確立の低さと最善を尽くさない人が多いことだろう。概ね人の能力差など高々知れている。多少能力に適していない仕事であっても、最善を尽くせば能力に明確な差が出る訳ではない。そもそも能力に適した仕事についている確率は1%にも満たないんじゃないだろうか?だから、評価表は最善を尽くす度合を尺度として見ているようなものだ。能力差を見ている訳ではない。でも、評価を能力差だと勘違いしている人が沢山いる。
酷い言い方をすると、70点の奴が60点の奴を馬鹿にする。でも100点取る奴も居るんだぜ。それから比べたら君らには差が無いよ、それに100点取った奴は多分君らの事を馬鹿にしたりはしない、そう思う。ただし、100点の奴の能力は、その試験では測れなかった、それだけの事だ。さらに、別な試験では違う結果になることも考えられる。

僕自身は比較するのもされるのも好きではないが、どの道評価は他人が決めることだ。その結果が悪ければ給料が下がり、良ければ上がる。生涯賃金のような長期に渡ると結構な差になるのかも知れないが、短期では大した差ではない。そして、その差は楽しい人生を台無しにしてしまうような大事件に発展するようなものでは無いだろう?そんな事に一喜一憂している方が、余程人生を詰らなくする。

纏めは、何だか凄く偉そうな事になりそうだから、止めておきます。僕自身は目標も無く流されるように生きて来てしまったけど、そんなに悪い人生では無かった。まあ、目標も無かったから挫折感を感じることも無かった、みたいなしょうもない人生でしたけどね。

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