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2015年3月

2015年3月29日 (日)

無駄な仕事が多すぎる

仕事を増やすような仕事の仕方をする人が多い。誤解されそうな言い方だが、効果を上げるために必要な仕事を増やすのではなく、何の効果も無い仕事を増やそうとする人がいる。時間は掛かるが作業は簡単で判断も必要ない。でも全く利益を生まない。

過去に聞いた話で一番笑えたのは、あるメインコンピュータシステムからデータを紙で出力して貰ったものを部門でも管理したいからと言って、毎月紙で出力して貰ったものを、そのために買って貰ったPCで、そのために業者に作らせたExcel Sheetに、そのために雇った人に入力させていた話しだろうか?馬鹿にも程がある。メインコンピュータシステムから直にcsvで吐き出したものをちょっと加工すれば自分たちの欲しい形にするのに10分もあれば十分だろう。

全く別な見方をすれば、そんな詰らない仕事を増やせるだけの経営的余裕があるのなら、仕事を増やして雇用を確保してあげた方が企業の社会貢献になり、失業率低下に貢献しているのかも知れない。

一度そう言った体制に慣れてしまうと、組織自体が実際に効果が上がる施策を出来るようになるのには相当時間が掛かる。組織の上層部が舵を切っても船体は向きを変えてくれない。そうやって構造疲弊する。

ちょっと脱線するが、日本の労働人口は今後どんどん減ってゆく。それでも国民を養うためには、稼がなければならない。火急な意見として移民を訴える人が居るが、閉鎖的な日本の社会が移民を簡単には受け入れないだろう?実際に移民を受け入れているEU諸国では、移民政策で国が揉めている。

少ない労働人口で国民を養うならば、労働者一人あたりの稼ぎを大きくしなければならない。その場合、効果的に無駄な仕事を減らしていかなければならないだろう。
日本は、就労可能な国民が結構働いていない。今後、就労可能な国民には働いて貰えば、移民は必要ない。詰らない火種を抱え込む必要もない。
でも、その内それでも足りなくなるのが予想されるので、無駄な仕事をしてる余裕は無いよねえ・・・

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2015年3月24日 (火)

愛国者と言う表現には違和感を覚える

Financial Times(翻訳) ネムツォフ氏殺害、元軍事指導者の発言に臆測 http://www.nikkei.com/article/DGXMZO84181270Q5A310C1000000/
の中で、カディロフ氏が、ボリス・ネムツォフ氏殺害の容疑者は「真の愛国者」であると発言したことには、相当違和感がある。

まず、愛国者がしたことだから国民は意見の異なる国民を殺害する事を許容する、と考えていることだろうか?
仮に日本だったら、イデオロギーが同じであっても暗殺で意見を封じることに異議を唱えそうなものである。

次に、どう見ても政権内部の抗争に利用されているようにしか見えないのに、国民の支持率が87%もある事だろうか?
政治が国民の生活と無縁、もしくは、極端に悪影響を及ぼす場合、政治離れが起きるか、暴動が起こるのではないだろうか。

もう一つ、抗争を繰り広げている連中がやる事が凡そ治外法権的になってしまっているのに、野党の一部の連中しか異議を唱えない事だろう。
仮に与党であっても、一部の政治家が権力を得るためになら人殺しも辞さない状況には異議を唱えるのではないだろうか。

以前、無意識をコントロールするための意識のコントロールについて書いたけれども、洗脳されてしまっている国民にとって(それが良いとも悪いとも言い切れないが、民主的でない事だけは確かだろう。)、違和感のない事例なのかも知れない。

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2015年3月19日 (木)

過去を基準に判断すれば全ての事は失敗に思える

話は株取引に関することなので、題名を見て読もうと思った人は期待を裏切るでしょうね。でも、この件は株取引だけに限らないと思うので載せてみました。
株式取引をすると、実際には利益が出ていても大方の人は失敗した気分になるのは、実際に取引をしたことのある人なら経験済みではないでしょうか?
せめて明日上がるか下がるか判ればなあ・・・と思う事は誰にでもあるでしょう。株取引は、簡単です。安い時に買って高い時に売る。それだけです。
総じて利益が出ればOKで、利益が出なくても負けなければ良いや、位に考えていれば良いのですが、人はみんな欲深いですから、なかなかそう言う風には思えないでしょうね。だから、相場全体が上げている時でもそうですし、相場が膠着している時は尚更あまり利益が出ないと”儲け損ねた”と思う。
未来は解らないから、過去を基準に判断する。だから、成功体験を出来る可能性は極端に低いでしょうね。

自分の買ったタイミングの後にもうちょっと下がるような事は幾らでもあります。また、自分の売ったタイミングより上がるような事も同じように沢山あります。反省も兼ねて売買の検証を行うかと思いますが、この時判断材料になるのが最安値と最高値です。ですから、そこから弾き出される利益に対して、実際に自分が上げた利益との差は”儲け損ね”と言う感覚になります。最安値で買えることや最高値で売れることは殆どありませんから、この”儲け損ね”と言う感覚は常について回ります。当然常に失敗している感覚になります。そして、より変動の大きい株式を買い始めて見たり、信用取引を始めたりします。相場全体が上がり続けるような状態でなければ、儲かる人が居るのと同時に損をする人も居るのが株式売買ですから、自分が必ず勝ち続けられる保証はどこにもありません。現物でやっている内は資金が無くなるだけですが、信用に手を出すと借金になります。

最近仕入れた格言に”資産はあなたのポケットにお金を入れてくる。借金はあなたのポケットからお金を持って行く。”と言うのがあります。(記憶に頼っていますので、文言が一字一句合っているかは自信がありません。)生活を楽しむためにはお金は大切ですから、借金はしない方が良さそうです。
僕自身は、一部上場で潰れそうにない企業しか買いませんし、信用取引は一切しません。株式は必ず上がったり下がったりしますので、仮に塩漬けになってしまっても配当も取れますし、その内上がるかも知れません。潰れなければ無くなってしまうような事はありません。確かにあまり儲かりませんが、普通にちゃんと仕事をしているので一定の収入はあるわけですから、現物による株式投資は必ずポケットにお金を入れてくれます。何せ、銀行に預けておくより利益が大きければOKだと考えているので、十分満足感はあります。

もう一つ、株取引の格言に”頭と尻尾はくれてやれ!”と言うのがあります。
最安値で買って、最高値で売れれば、一番利益が大きい訳ですが、株取引は売ってくれる人や買ってくれる人が居るから成り立つので、底値を拾える人や高値を追える人が居ないと売買が成立しません。盗人にも五分の魂的な話しですが、売ってくれる人や買ってくれる人にもちょっと利益を出させてあげないと、そう言う人が居なくなっちゃうから胴体だけ儲けられれば十分だろ?と言うような話だと思います。

判断基準に過去のデータを使えるものは何でもそうでしょうが、最大値を元に現実の数値を判断すれば全てが失敗になります。もしくは、あまり成功しなかったとなるでしょうね。でもちゃんと十分な利益は出ていたりします。問題はこの精神状態であって、”これだけ儲けられた”と思うか、”これだけかよ”と思うかで、その後判断間違いを続けるか、現実的な正しい判断をしてゆけるかの大きな分かれ道になるだろうなと思います。
まあ、どんな判断をしても答えのないようなものなら、検証も出来ないしやり直すことも出来ないので、失敗も無いのですけどね。

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2015年3月14日 (土)

医療業界を目指すのは止めた方が良い

のっけから誤解を受けそうだが、医療従事者の平均年収が250万円程度しか想定されない事実を見れば、立ち行かなくなるのは眼に見えている。

医療、福祉業界は50兆円産業と言われる。一方それに携わる人の数は970万人だそうだ。単純に考えれば一人当たり500万円で悪くなさそうに見えるかも知れないが、設備投資、医療施行費等の運営費はおよそ人件費と同等な場合が多いので、一人当たり250万円になる。職種によってはもっと低いだろう。

特に後期高齢者は、市販薬で十分な場合でも医療機関に行く。理由は、薬屋で買うよりも安く薬が手に入るからだ。後期高齢者の医療負担割合は収入に応じて1割~3割だから、初診料や受診料を払っても、薬屋で買うよりだいぶ安いらしい。だからなのかは確証がないが、彼らの平均医療費は一人当たり年間100万円を超えている。超高齢化社会を迎えれば、社会が支えきれるものでは無い。

医療サービスの量は増加が見込まれているのに、診療報酬は引き下げ圧力が高い。仕事はきついけど給料は安い状態が目に見えている。看護師の三交代は生活リズムが崩れるのも手伝って過酷な領域にある。概ね4Kに相当するだろうか?キツイ、キケン、キタナイ、ケッコンデキナイ、もっとありそうだ。
昨今の権利意識の向上で、サービスを受ける人達の暴言暴挙は凄まじい。誰も続けようとは思わないだろう。人が集まらないから運営が出来ない医療施設は実際に見回してみると既に存在している。多分このままだと医療を受けたくても簡単に受けられなくなるだろう。サービスは提供する人がいないと受けられないのだ。

健康保険料の引き上げ、高齢者の負担割合の引き上げ、混合診療の解禁、診療報酬の増額等をすれば、医療従事者の給料は上がるかも知れない。でもどうだろうか?僅かな年金暮らしの人達は、医療を受けられなくなり、世界に誇る国民健康保険、凡そ平等な医療サービスの提供は不確かなものになる。

大概の保険は、大きな損害に対して補償されるものだ。例えば、自動車保険は単独では到底払えないような保険金を大勢で賄うためのものである。健康保険と言えど保険なので、高額医療費に対して保証するべきで、ちょっとした事じゃ保証しないようなもので良い筈だ。具体的には、自己負担割合を上げるのだが、健康保険料を収入累進にする、月額の医療費が例えば5万円を超えるようなところは超過分を全額保証する、と言った対策を取れば、市販薬で済むような薬は薬屋で手に入れるようなるだろうし、昼間は混んでるからと夜間救急で健康保険を使って2倍の医療費を態々払う馬鹿者も排除できるだろう。そんな奴らからは、自費にして10倍位取ってやった方が良い。

でも、こんな改革を出来る政治家は居ない。つまり医療従事者の給料が上がるような事は無い。今後手間は増えるが給料は減る。だから、医療業界になんぞ入って、奉仕のような仕事に貴重な人生を浪費するのは止めた方が良い。

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2015年3月10日 (火)

団塊の世代のクレーマー

特に退職時に管理職だった人がなりやすいだろうか?

管理職の仕事は、概ね部下の仕事にケチを付けることだから、退職して暇になった管理職はケチをつける相手を探す。ケチは立場が下の人に付けるものだから(本当に立場がしたかどうかは関係なくて、本人がそう思っているかどうかだけどね。)、メーカのお客様相談室の担当者、駅員、デパートの店員、病院の職員(医者には何故かケチを付けない。)、市役所の窓口担当者、客室乗務員、コンビニの店員などなど、何にでもケチを付けられるところには付ける。

この人たちの特徴は、教育者気取りなところだろうか?

みんな貴方の部下じゃないし、貴方に教えを乞いたいとも思ってないからさ。

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2015年3月 6日 (金)

国民みんながこの国を良くしたいと考えている

国民みんながこの国を良くしたいと考えている

ちょっと言い過ぎですかね?
でも、その率は決して低くないだろうと思います。具体的なデータはありません。だからその辺は割り引いて考えて読んでください。

トヨタに代表されるような定型作業に従事するような労働者でも改善意欲が高く、作業の効率化のアイデアや果ては歩留りの悪さが工場傍の電車の振動だと突き止めてしまうとか、聞くとびっくりすような話は幾らでもあります。

分業が進んで、作業効率を考えるのは専門技術者で、定型作業する労働者は何も考える必要が無い、と言った状況ではないと言えます。実際、専門技術者は自分では定型作業をしません。だから彼らの能力の良し悪しは、実際に作業している人達から意見を取り入れ、具体的な作業のアイデアを纏められるかどうかであると言えます。

近年のシステム開発者は、頻繁にユーザの元を訪れます。これも開発者自体はシステムを使わないので、ユーザのアイデアを取り入れないと便利なシステムが作れないからです。まあ、相変わらず”何考えてこんなシステム考えてんだ!?”と思うようなものは幾らでもありますがね。

新聞を読んでいると、バブル崩壊後に財源不足のために立ち遅れていた行政サービスを民間がやり始めている。景気が回復して財源が出来た時、そこからアイデアを募っていては直ぐに始められませんが、民間のやっていることを支援するだけで直ぐ実効性が上がります。公務員も増やさなくて良いし、苦しい財政状況から脱することが出来れば、ちゃんとニーズのあるところの施策なので労働環境も改善され雇用も増えるでしょう。

これらに共通するアイデアは、”今よりもっと良くしたい”と言う思いでしょう。現状で満足では無く、みんながより良い暮らしを求めて努力する。かつてのアメリカもそうであったように(現在もそうかも知れませんが・・・)、”For Better Life”のために、国民が努力を惜しまなかったから世界一の国力を持つ国になった。

日本は明治維新後、富国強兵(強兵は余計だったと思いますが・・・)の掛け声で、欧米諸国に追いつけ追い越せと国民が努力をしたから、欧米列強の仲間入りをしてアジアで唯一植民地化を免れた。一部の拙い軍人達が日本を戦禍に巻き込んで、国を思う多くの優秀な人材を失ってしまった訳ですが、生き残った人たちが努力を惜しまなかったから奇跡的な復興を遂げたのですよね?少なくとも僕の父親の世代ではそうであったように思います。僕の両親は、”戦争で不本意に死んでいった兄弟や従妹達のためにも、どうしても復興しなければならないと思っていた。”と言っていました。

現在も日本には、そう言った心意気が残っているように思いますが、この先はどうでしょうか?
ちょっと暇があれば直ぐにスマホゲームに明け暮れるような若者たちは、”Better Life”を望んでいるのでしょうか?

理想的な社会主義国家と言われる程、富の分配が上手く行っていた日本ですが、最近ちょっと格差が広がって来たように思います。誰でも努力をすれば裕福になれる社会環境を維持できないと、きっとこの心意気は無くなってしまうような気がします。最近ピケティさんが富の分配の話をしていますが、どんなに努力をしても”Better Life”が得られないのであれば、日本のこの貴重な民衆意識も消えて行ってしまうようなものに思えます。

一人ではとても使い切れないような資産は必要ありませんが、努力すれば裕福になれるチャンスと、努力する下地となる高等教育を与えられるチャンスは、同時に存在すべきだと思います。みんなのこの国を良くしたいと思う気持ちに答えるためにも、政治にはやる事が沢山ある筈です。農家や年寄りにばら撒くだけでは、”政治家だけはこの国を良くしたいとは思っていない”と言う証明になってしまいますよね?

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2015年3月 5日 (木)

自分がやられたら嫌な事は人にもしない

何時頃からか、およそ25年位前だと思いますが、職場におけるモラルとして若手相手にこう言い続けてきました。言い始めた時は僕自身も若手だったと思いますが、僕が教育担当をする若手には言っていました。

この話、以前にもこのブログに書いた覚えがありますが、この本当の意味は書きませんでした。本当の意味は、想像力を持って仕事に当る、です。発端は19歳の時に読んだPHPの記事でした。書いた人の名前や実際の記事は、脳のここに書いてあると言うのはイメージできるのですが、残念ながらもう引き出しが開かなくて出てきません。ここには相手を思いやる気持ちは想像力の産物である事が書かれていました。

当時の僕と現在の僕の視野は大きく異なりますが、当時、想像力を働かせて如何に人と違うアイデアを出すかに熱中していた頃だったと思います。今同じ場面に居たら、君の意見は面白いけどちょっと視野が狭いかな?なんてコメントしたかも知れません。でも、20年後には、そのコメントにもまだちょっと視野が狭いとコメントするかも知れません。まあ、生きていればですが・・・

自分が何かする時に、ルーチンワークとして機械的にするのではなくて、一々自分だったらどう思うだろうか?と想像しながらやりなさい、と言っても若手の心に届かないので、表題のような言い方に変えました。

補足:PHPと言うのは、松下幸之助さん始めたPeace and Hapiness through Prosperityと言うA5版の出版物で、駅の売店で手に入ります。PHPでググるとCGIの記事が真っ先に出て来ると思いますが、割かし上位にある筈です。

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