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2015年8月

2015年8月31日 (月)

話が難しい

自己満足のために話をしているのでなければ、相手に解って貰わないと駄目だよね。
言葉はコミュニケーションの道具なのだから、話が下手だとか、話が詰まらないとか、話が難しいとかは、道具の使い方が解ってないとか、使い方が下手って事だから、自分がどう思っているかに拘わらす駄目は駄目。
どう言う言葉を選ぶかで話は、難しくもなるし、解り易くもなるけれども、それは相手のスキル次第だから、何時も話す相手でもなければ、それはとっても難しい。相手のスキルに合わせて自在にレベルを変えていけるような説明スキルと知識が要るよね。
話の流れは、特に笑わしたい時には重要だけど、解り易くするのにも重要で、特に相手の反応を見ながら話の流れや使う言葉を選ぶのは、相当高いスキルが必要だと思う。
だからと言う訳では必ずしもないけれども、話が上手い人って大体頭が良い。
けど、それと同時に、これ以上噛み砕かなくちゃ駄目なような相手に話す価値があるのかな?とも思っちゃう。そんなレベルの奴に話す価値が感じられない、なんて事も思う。
別に偉そうに言う訳ではなく、最低限話を聞きにくるマナーのようなレベルじゃないか?
英語しか喋れない奴が、ロシアに商売に行って、話が通じないから売れないって文句を言っているようなもんだろう?売りたいなら、最低限ロシア語で製品の良さをアピール出来なきゃ失礼だろう?
唯で何かを教えて欲しいのなら、相手が英語しか話せないなら、英語くらい理解出来なけりゃ、専門的な理論など理解しようもないでしょ?
それは日本語の中でも同じ事が起こる。専門用語は、ある意味日本語じゃ無いからね。そこから理解させるのは、英語の理論を話すのに、英語から教えろと言っているようなものでしょ?それって、失礼に当たると思うよ。およそモラルの問題でしょ?
これ以上基礎的な所から話をしたら、それこそ数学ではなく算数から教えなくちゃいけないとか、物理では無くて理科の話から始めないと駄目とかだと、数学と物理の理解がないと専門的な話を理解するには無理がある。それで話が難しいとか言われてもなあ・・・教えるのって、自分で教えてみれば解ると思うけど、もの凄く労力が要るんだよ。
多分、本当に話が上手い人は、話をしても無駄だと思う相手にはきっと取り留めの無いような話で笑いだけ取って終わりにするんだろうね。
まあ、こんな風に推論すると、話が難しいと言われてしまう僕は頭が悪い、と言う事になっちゃうんだけどね。(笑)
多分、頭のいい人は、話しても無駄だと思うような連中に話をしなければならないような状況もコントロールして、話をしなくて済むようにするんだろう。

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2015年8月24日 (月)

ロシアは侵略国だよね

戦後70年で色々と物議を醸している「侵略」と言う表現だけど、日本以外の国ではどうだろうか?
多分アメリカは、北アメリカ大陸を侵略してネイティブアメリカンを虐殺して土地を奪っている。そんな古い話は時効?
イギリス、スペイン、オランダ、ポルトガル、フランス等の西欧諸国はつい最近まで植民地を持っていた。これらの植民地は侵略した結果だよね?
身近なところで話をすると、先日、新聞で「千島諸島は、第2次世界大戦で得た領地である。」とロシアの高官が話していたらしいが、日本敗戦のどさくさ紛れに島民を虐殺して侵略して得た土地だよね。
アメリカは戦前からの日本の領地は、何だかんだ言って返還しているけど、ロシアは返す気が全くないらしい。
日本は侵略行為をしたけど、敗戦ですべて放棄してきている。だから侵略したまま返していない、なんて事はない。
ちょっと遠いアジアの話では、旧ソ連時代の東欧諸国や北東アジアの国々もロシアが侵略して得たものだ。
どの時点で、本来の領土、侵略地と分けるのか解らないけれども、植民地時代に戻るなら欧米諸国は殆ど侵略国だし、第2次世界大戦前の領土を基準に考えるのなら、東南アジアでは一部を除いて全て返還されている。
未だに過去の侵略地を返していないのは、イギリス、フランス、ロシア、イスラエルくらいだろうか?アメリカとイスラエルは、返してしまったら国自体が存在しなくなるから、移民の国として元々住んでいた人達を国民として受け入れるべきなんだろうね?
でも、母国を持つのに侵略地を手放さい国は、文明国を名乗りたいなら、もういい加減に返すべきだろう?
少なくてもロシアは返すつもりがないようだから、千島列島返還の為にロシア相手に不利な経済協力などするべきではないと思う。余程安い天然ガスでも手に入るのなら考えても良いだろうが、ガス発電はそれ程遠くない将来になくなるだろう?
この手の話題は、意図的に書かないか、書いても載せないようにしてきたけど、ロシアには千島列島を返す気は更々無いのが良く解ったので封印を解きました。最近、戦中の強制労働の件を騒がれているけど、日本はちゃんと給料を支払っていたけど、ロシアは抑留者にろくに食事も与えずに沢山の日本人を死なせている。日本は過去の外交でロシアから何も得たことが無い。今後もきっとそうだろう?
僕は小学生の時から”一番嫌いな国は?”と聞かれると、必ず”ソ連”と答えていた。彼らは第1次世界大戦の頃から何も変わっていない。

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2015年8月19日 (水)

プロ意識

何か古めかしい言葉を選んでしまったが、他に適切な言葉が思い付かなかった。

今時の若い人達が仕事をしてお金を貰うと言う行為をどう思っているのか良く解らないけれども、特に高給を貰っているなら、当然仕事の質に関して責任は重い。コンビニの高校生のバイトのような訳には行かない。

少なくとも僕はやるからには、もしくは、引き受けたのなら、頼んだ人が満足する所では無く、自分が満足出来るレベルまでやる。それが専門職としてそれなりに高給を貰う上での責務だと思っている。だから、失敗でもしようものなら、同じ失敗を二度としないように検証し、対策を考え、練習して次に備える。誰かに言われてするのでは無く、自らするから、手を抜く事は無い。

何のためにそんな事をするかと言えば、それが専門職としてのプロ意識なのだと思う。そこにその仕事が出来る人間は自分だけであり、それ故に高給で雇われているのだ。だから、期待を裏切れない。期待は往々にして面倒なものだが、そこで結果を出さなければ、次は無い。

本当の所は、別にそこまでのレベルを要求されていなくても、自分がこの仕事をするなら、独り善がりにならない内はトコトンレベルを追求する。仮にそれが万人に尊敬されるレベルだとしても、上には上が居る、自分はまだまだだと思っている。特に常に進歩が止まらない領域の仕事なのであれば、止まっている事はレベルダウンを意味する。何の意味があるの?と問われれば、仕事はある意味自己実現の一手法であり、満足には終わりが無いからね、と答えるだろうか。

でも、今時の若い人達を見ていると、専門職なのに言われない事はしない。誰かの考えた手法を適当になぞる。間違えても、失敗しても、怒られても反省もしない。当然新しい手法を開発しようとも思わない。そんなのでも自分は専門職だと言う。マニュアル通りにボタンを押すだけなら、別に専門知識は要らないし、専門的なトレーニングも要らない。でも、そのマニュアル通りにすら出来ずに失敗する。そんな奴に同じ専門職を名乗って欲しくない。

僕自身は現在の仕事が好きでは無い。もっと違う仕事がしてみたかった。でも、専門職になってしまって能力を買われている内は辞められないだろうね。そして、そう思っている内は、プロ意識を失わないだろう。

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2015年8月13日 (木)

世の中の不幸は争いたい人間が起こす

世界中の国々を見回してみると、度々大きな戦争が起こっている。戦争を起こした国は多くに難民を出し、経済的に破たんしてしまっている。そっちゅう戦争をしているのに裕福な状態を保っているのはアメリカだけだろう?殆どの国が酷い状態になっている。
幸い日本は70年間戦争をしていない。
江戸時代の250年(見方に拠っては300年)、日本は戦争をしなかった。結果として日本は裕福な国になり、江戸文化が花開き、現在、それらは文化的な遺産として観光客に持て囃されている。明治維新後は、日本は戦争しまくって貧しい国へ転落してしまったが、その後70年戦争をしていないせいで、また豊かな国になる事が出来ている。
戦乱を起こしてお金を巻き上げる集団が世界を牛耳っている、なんて話があって、紛争の芽のあるところには不思議と武器が出回っている状況を見ると、案外ヨーロッパの国々が世界中を植民地支配していたころのやり方が未だにまかり通っているんじゃないだろうか?と心配になる。でも、実際に紛争地域には不思議なことに武器がある。
第二次世界大戦の頃に永世中立を謳ったスイスは、国は小さいながらも豊かな国の一つである。北欧も第二次世界大戦の戦火に塗れなかった国々だが、同様に豊かな国を作っている。
何て事はない、戦争をしなければ国は豊かになれるのだ。
現在アジアを不安定にしている国は、中国と北朝鮮だろうか?もう一つ、もしかして日本もそうだろうか?
ASEANの国々は豊かになるには戦争をしない事だと解っているようだ。北朝鮮は判断のしようもないが、中国は最近やっと豊かになって来たのに、また戦争でもして貧しい国へ逆戻りする積りなんだろうか?一体それは誰の野心なんだろうか?
同様に日本の安保問題は、一体誰の野心なのだろうか?
少なくとも豊かさを望み、戦争を嫌う日本国民の野心では無さそうである。

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2015年8月 7日 (金)

とうとう温暖化が牙を剥き始めた

Nkkei.netに「世界で熱波 イラクは50度突破、インドの死者2000人超  2015/8/5 11:28」 http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG05H2G_V00C15A8000000/?dg=1 と言う記事が載っていました。 近年の夏は、30度越えが当たり前、35度も普通、38度越えで異常と言う判断になって来た感じがするけど、我々が子供の時は30度を超えるのなんか一夏に数回で、28度を超えないと学校のプールが使えない、って体育の時間までに気温が上がってくれることを祈ってたような覚えがある位だ。今じゃ、考えられないだろう? アルバート・アーノルド・ゴア・ジュニアさんが『不都合な真実』を講演して回っていたころ、「温暖化では無く、単なる周期的な気候変動に過ぎない。」と言っていた学者が多数居たが、現在、彼らはこの事態をどう思ってみているだろうか?相変わらず、地球レベルの周期的な気候変動だと言い張るだろうか? 東日本大震災前は、世の中温暖化対策ブームだった訳だが、現在は忘れ去られてしまっている。ちゃんと太陽光パネルの普及も進んでいるし、風力発電も地熱発電も密かにプロジェクトが進んでいる。でも、温暖化ブームを忘れた人達が節電を忘れてしまえば、全て帳消しになってしまうだろう。 近年、色々な物の北限が上がってきているそうだ。山梨のブドウが美味しくなくなりつつあるような話やスキー場に雪が降らないような話は概ね平和な話だが、マラリアを媒介する蚊の北限が上昇するのは、免疫の無い日本人には脅威だろう。

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2015年8月 1日 (土)

責められて育つと責任を回避したい大人になる

大した人生経験がないのもあるけど、正しくパターンに嵌る例が1例しかないので、概ねそう言う傾向があるくらいで^^
お父さんは奥さんを常に詰問し命令するタイプ、お兄ちゃんはそれを見て育ったせいか妹を自分が言ったように出来ないと詰り、あれこれ命令する。大人になったお兄ちゃんは母親にも命令するらしい。この妹、見た目も悪くないし、いやどちらかと言うと良いほうだと思う、仕事も出来るから上司としては色々やらせたいのだが、彼女は任せられると逃げようとする。主任候補だったんだけど、責任の無い非常勤が良いと言って一つか二つの作業しかさせられない職場に移って行った。行った先でもやはりきちっと仕事が出来るので、常勤になるそうで、それすら”嫌だなあ・・・”と言っているらしい。
命令を熟す以外に何かすると怒られ責められる環境で育つと、命令されることに慣れてしまう。文句を言っているくらいだから、命令されることに心地よさを感じては居ないだろうが、命令されないと不安になるらしい。それは彼女と話をしていてあちこちに感じられる。勉強も命令されてやっていたので、成績は良いのだけど、言われたことしかやってないから、無駄な知識がない。所謂”世間知らず”に育ってしまっている。
ずっと命令してくれる人が居る訳では無いのだから、自立しなさい、と説いていたが、彼女にはそれすら重荷だったようだ。僕の自ら考えて行動する教育方針に馴染めなかっただろうね。彼女は言われたことを書き留めない。それは、書き留めてしなうと出来なかった時に”ちゃんと聞いていない。”と言えなくなるかららしい。相当屈折してしまっている。
一方、その子は中の悪い両親に相手にされず、おじいちゃん、おばあちゃんと暮らし始めた。流石におじいちゃんおばあちゃんは孫をほめて育てる方法を弁えているから、ごく自然に自ら行動し、ちゃんと成果を出す。たぶんね、そこでちゃんと褒めて貰えていたんだろうね。僕が褒めるとものすごく嬉しそうな顔をする。明らかに勉強不足なのだが、教わった事をちゃんとノートし、後から清書する。だから何でも書き残すためのノートと清書用の2冊のノートを持っていて、仕事するときには清書してあるノートを見ながらきちっとやる。おじい宇ちゃんおばあちゃんは勉強しろとは言わなかったようだが、謂わば家事のような事や近所づきあいのような事は、色々知っていて、”世間知らず”の逆のような奴だった。
仕事を頼むと”自信は無いけどやってみます。”と言う。当然僕も”始めから上手く出来る人は居ないから、後で反省が出来るように記録を取りながらしっかりやりなさい。”と言う。どうして良いのか解らなくなると、ごく普通に聞きにくる。ちゃんと納得が行くまで、理解しようとする。こちらは手を変え品を変え説明する。解った時のうれしそうな顔は、”なんて教えが居のある奴なんだろう!”と思わせる。
おばあちゃんを亡くし、体の弱ってきたおじいちゃんの面倒を見るために実家に帰ってしまったが、今でも仕事の事で解らないことがあるとメールしてくる。残念ながら嬉しそうな顔は見ることが出来ないが、相変わらず教え買いがある。もう自分の部下でもないのにね。
さて、この二つの例は、多分責めて育てるのと褒めて育てるのを正しくパターン化してると思う。
必ずしもどちらが正解と言う訳では無いが、僕はもう一度チャンスがあるなら、褒めて育ててみるかな。
因みに内の子供たちは、小学生からアドバイスはするけれども、必ず自分で判断させていた。あまりに失敗が手痛い結果を招くと思われるときは、あれこれアドバイスして手痛くない程度に修正させていたけれども、本人はそれでも”自分で間違えた。”と思っているだろう。結果が良かった時には褒めても貰える。結果がいまいちの時は、”今度やる時はこうしたほうが良いかもね?”と言う追加のアドバイスも貰える。もうとっくに大学を卒業していても良い歳なのだが、二人ともあと何年か大学に行くらしい。どんな大人になるんだろうね?
正解もないから、失敗も無い、親が責任を取ってやれる訳でもないから、気楽なもんだけどね。(笑)

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