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2015年10月

2015年10月27日 (火)

AIは人間の生活をどう変えるだろうか?

Nikkei.Netで「AIとロボットは、30年後の暮らしをどう変えるか」なんて読者アンケートが行われていた。 30年後はちょっと先過ぎてイメージが湧かない。どうせ30年後には僕自身が多分生きては居ないだろうしね。 現状でAIに何を期待するだろうか? 僕自身が一番期待するのは、自分の脳と同じように使える外部記憶・演算装置だろうか。 社会的には、身体的弱者や介護労働者、工事作業者、運搬業者の身体補強装置、もしくは、身の周りで生活に溶け込むことが出来る自力歩行出来ない人の移動装置だろう。 30年後には、人と見わけの付き辛いロボットと一緒に働くイメージが湧いたりもする。 日本では特に労働人口の減少から人と同様に働くロボットが増えるだろうか? 工場などで同じ作業を正確に繰り返すなんてのは、ロボットの得意技なので、人件費、稼働時間、歩留りなんてのを相殺する形でかなり高額なロボットも許容するだろう。でも、これだけだとAIとは言えないよね? 工場などのロボットのための環境を作れる場所と違って、人が働かく、もしくは、人が生活する場所で活動するロボットは、人と同じような体型を持った方が都合がいい。全くヒト型である必要は無いが、同じ重さ、同じ身長、同じ目線の高さが望ましいだろうか?必ずしもリモート回線が確立できない場所に置いては、AIは必須になるだろう。 個人的には、人に出来る事は人にやらせておけよと思うので、人の出来ない事をやらせる、もしくは、人の機能を拡張する形でサポートさせたいけどね。 特に原子炉のようなところでは、高線量域でのどうしても人がやらなければならないような作業をやって貰えると素晴らしいと思う。概要で言うと、人の能力を超えたところ、もしくは、人がやるには無理があって諦めていた作業はAI搭載のロボットの真骨頂かも知れない。

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2015年10月20日 (火)

幸せ

何を持って幸せだとするかは、永遠の謎だと思うけど、他人から見て不幸そうに見えても本人が幸せだと思って入れれば問題ない。人の欲求は際限がないから、程ほどの要求を良しとしない人なら、永遠に幸福感は得られないだろうか? 座って半畳寝て一畳とまでは行かなくとも、自分が生きていくために必要なものはそんなに無いなと思う今日この頃。 歳を取ったか?とも思うが、近ごろ仏教の教えが解りやすく感じる。

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2015年10月13日 (火)

サイレントクレーマーね

初めて聞いた言葉ですが、何も言わずに来なくなる客を言うらしい。なるほど、上手い言い方をするもんだと感心した。
僕自身もそう言う所があるけれども、日本人の多くはあまり口論をしない傾向がある、と僕は思っている。理由は色々あるだろうけど、言われた相手への配慮だったり、争いごとを好まないとか、利用できるサービスや物が溢れているので、クレームを付けずに行かなくなる、買わなくなると言ったところだろうか?一々騒がず、静かに去ると言うのは、とても日本人らしいな、と思う。
そう言えば、お気に入りで週に2~3回は行っていた中華料理屋だったけど、散々待たされてやっと出て来たと思ったら、後から来た同じ注文の客にお姉ちゃんが間違えて持って行ってしまい、そのお姉ちゃんに”あとどの位待つの?”と聞くと、間違えたことに気付いたようだったが謝りもせずに”もうしばらく待つ”と言う。”じゃあ、食べてる時間が無いから帰るね”と言って店を出た。結局その日は昼食を食べる時間が取れなかった。以来その店には行かなくなった。これもサイレントクレーマーと呼ばれるような行為なんだろう。”どんなに旨いものを出しても馬鹿なお姉ちゃん一人が台無しにする”、そう言って出てくれば唯のクレーマーになれるかな?
クレームは商品開発に重要だけれども、静かに去られてしまうと、いつの間にか売れなくなると言う事実だけが残る。自助努力をしなければ飽きられ廃れる。
例えば、使い込むほどに手に馴染むような道具とかのように、道具自身が使い手の熟練度を要求するようなものは兎も角、最近の家電は作る方も使う方も薄っぺらになった。使い手は結果すら正当に判断できないし、目新しさだけを要求したりもする。作り手もデザインとコンピュータ仕掛けの機能だけで、ちっとも作り込まれていないので、機能を理解した上での想定外の使い方には対応不能で、作り手の想定した使い方を超えて使う事は出来ない。
作られたものがハイテク過ぎるのか使い手がローテク過ぎるのか解らないけど、作り手の心意気まで伝わるような道具ではないし、使い手もそんな事は理解できない。こと道具に関しては、どっちがハイテクなのか疑問に思う事も度々ある。
100円ショップが全盛の今に、偶にしか使わない物に使い込むほどにその良さが解るような高級品は必要ないのだろう。僕自身は複数回使いそうなものは、必ず良いものを買う。装飾で高級品と言うものでは無く、作るのに手間が掛かるから値段が高いものを買う。当然一つのものを長く使う。その方が便利で結果的に安く、満足感も高い。
職人相手の道具屋は、職人の要望に細かく答えて良いものを作ろうとし、職人はより使いやすい道具を得るために道具屋にあれこれ注文を付ける。共存と言う言葉が正しいだろうか?100円ショップで道具を買う人には、想像も付かないだろうけど、日本のものづくりってそんな感じだよね。
日本の製造業の衰退は、熟練の職人を定年退職させてしまった事にあると思っている。定年して何にも出来ない厄介者扱いされているより、中国にでも行って若い職人の育成に尽力した方が、高給プラスやり甲斐も得られる。彼らが普通のクレーマーだったら、”このまま定年させたら、中国に行って技術を中国人に教えてしまうぞ!”と脅せば、先の見通せる経営者なら定年にさせなかっただろう。
100円で売れる何とか役に立つものを作る技術を褒めても良いのかも知れないけど、それは直ぐに真似される。真似の出来ないようんなものは、作り手と使い手の共存が無いと維持できないんじゃないかと思う。
サイレントクレーマーが日本人に特徴的な行為なのであれば、技術立国日本にとっては良くない行為なのかも知れないね。

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2015年10月 4日 (日)

”いいなあ・・・”って言わない

ってか、殆ど言ったことがありません。
自慢をされて、”言って欲しいんだろうな?”と思って言った事が何度かあるのを覚えています。
”妬む、怒る、愚痴る”はネガティブ シンキングの代表各のようです。”羨む”はちょっと微妙で、”自分もそうなりたい”と思うならポジティブですが、”何であいつが!”と思うならネガティブです。
誰かが素晴らしいことをしたら、”素晴らしい!”と思うけど、”羨ましい!とも、”次は自分も”とも、そんな風なアイデアは湧いてきません。
”何か世の中に役立つことを残したい。”とは思ってますので、他の人がやると”良くやった!頑張ったね!”とは思うのですが、焦ったり、急にやる気になったりもせず、普通通りに自分のやるべきことを続ける。そんな感じです。
昔から、人と競い合うのが嫌いなのもあって、自分の能力の限界と戦うような事は好きですが、人と差を競うような事には最初から手を出さない傾向があります。だから、勝ち負けにも無頓着です。何事もそれに関わった人間全員が得をするような落としどころを探るのも、勝ち負けにしたくないからなのかも知れません。
一時期流行った”勝ち組とか負け組”と言う言葉も嫌いでしたね。最近誰も言わないところを見ると、みんなも良い言葉だと思ってはいなかったんでしょうかね?
努力という裏側を見ずに、単に”いいなあ・・・”と言うのは、ネガティブ シンキングですよね。だから、”いいなあ・・・”って言わない僕は、ポジティブシンキングなのかも知れません。
自分が努力してもさっぱり成果が得られないので、成果を出した人の努力を想像できるからとも言えます。
もう一つ、”チャンスが廻って来ただけ”って思うのも、妬んでいますかね?
チャンスを生かすには、チャンスが巡って来たタイミングで十分な力が無いとチャンスを生かせません。チャンスを生かして成功に導くには、やはりチャンスの前後の努力が必要なんですよね。努力しない人には、チャンスも廻ってこないし、廻って来たチャンスも生かせません。そんな風に思っているからか、”頑張ったね!”とかしか思いません。”いいなあ・・・” とか思い浮かびもしませんね。これも、ある意味ポジティブシンキングなのかも知れません。
愚痴る人の所には、愚痴る人しか集まって来ません。ネガティブ シンキングもポジティブシンキングも感染します。集まって愚痴りあっている人、一先ず、”いいなあ・・・”って言わない事から始めてみませんか?

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