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2016年10月

2016年10月19日 (水)

歩行者が一番横暴?

地方に行くとそうでも無いのかも知れないけど、首都圏の歩行者は相当ひどい。
一番迷惑しているのは、救急車だろうか?
横断歩道を渡る歩行者は、救急車が来ても救急車の前をスマホを見ながら平気で横切る。交差点を救急車が曲がって来て車は止まって待つのに、歩行者優先とばかりに救急車に道を譲らずに平然と渡る。
歩道と車道の区別が無いような道路では、道の真ん中をスマホを見ながらヘッドホンを付けてもたもた歩く。トラックにクラクションを鳴らされても、振り向きもしない。トラックの運転手は”轢き殺したい!”って思うだろうか?
個人の権利意識の向上は特に悪い事だとは思わないけれども、公共の概念がそれとセットで無くなっていると迷惑なだけだ。厭世的な気分の時にこの件について語ると、個人の権利と公共の判断も付かない馬鹿みたいな表現になるけど、そうじゃない時でも彼らの頭の悪さにはうんざりする。
何だろうね?
多分何かの結果を見ているんだと思うけど、それは教育かなあ。中国の一人っ子政策が我儘な大人を作ったように、少子化や核家族化が家の中で王様のような子供を作り、外見だけ大人になったのかも知れない。
どの国の人達も概ね高学歴の人達は教養もあり礼儀正しい傾向があるけど、礼儀正しさって教養が齎すもののように思える。教養の必要性を知っている家の子供でないと高学歴に成れるような収入がないと言う事実も関係しているのだろう。
日本人は総じて高学歴だが、礼儀がなっていないのなら、それは教育の問題だろう。
自宅でちやほやされた子供が礼儀知らずなのは相関がありそうに思える。
子は親の鏡。今時の子供に教養が足りないのは、今時の親に教養が無いのだろう。当然、孫にも教養は期待しづらい。これらを断ち切るには、学校教育に頼るしかないのだが、日本の学校は受験対策だけしていては教養は身に付かない。
う~ん、当分救急車は歩行者を待って、助かる人も助けられないままやって行くしかないんだろうね。Time is Brains なんて言うんだけどなあ・・・

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2016年10月14日 (金)

フィルターバブルの世界にいる

 

[FT]ウィキペディアは「ポスト真実」時代に有効
と言う記事の中に「ところが今、旧来メディアが細分化され、ソーシャルネットワークが普及することで、我々が皆、自分自身の「フィルターバブル(検索結果などあらかじめ情報を取捨選択=フィルタリング=されていることに気付かず、都合のいい情報だけ与えられ操作されている状態のこと)」の中に住んでいるといわれる。テクノロジーによって真実が大量消費されてしまい、人は気に入らない事実を無視し、自分たちが望む、個々人に合わせられた物語にひたることができる「ポスト真実(真実以後)」の世界に暮らしているというのだ。」と言う文章があった。
以前、「無意識をコントロールする」と言う題で、「自分の脳の無意識をコントロールしたいなら、意識的に正しい情報を選択して得る事を行うべきだろう。」と書いた。フィルターバブルの凄く良くないところは、それが受動的だと言う事だ。思考は自由であるべきだ。だから思考に至る情報は自らが能動的に集めなくてはいけない。誰かにコントロールされて良い訳では無い。
日本に住んでいると「洗脳」とか言う言葉に「自分とは無関係」と言う概念を持つかも知れないけど、ニュースサイト一つ取っても、そのサイトのニュースを選ぶ人間のフィルターの中でしか情報収集できていないと言う事なんだ。そのことだけで「洗脳」に繋がるとは考えづらいかも知れないけど、意識はニューロンの発火を後追いしているのだから、どのニューロンが発火するかは無意識だよね。ニューロンは普段得ている情報を元に発火するのだから、それはニュースサイトのフィルターの影響を受けている。もう既に我々は洗脳されているんだ。良いのかい?それで。

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2016年10月13日 (木)

世代が代わり人が変わってもやる事は同じか・・・

「はや3次補正待望論 政府・与党、緩むタガ 2次成立、経済対策4.5兆円
2016/10/12 0:38
情報元 日本経済新聞 電子版
事業規模28.1兆円の経済対策の裏付けとなる2016年度第2次補正予算が11日、参院で成立した。4.5兆円の国費を追加支出し、4年ぶりに国債を2.7兆円追加発行した。政府は17年度予算編成で社会保障費の伸びを年5000億円に抑制する目標を掲げるが、衆院解散の思惑から与党内には早くも3次補正の待望論が浮上。財政のタガは緩んでいる。
日経新聞にこんな見出しが載っていました。
しかも、補正予算は「一億総活躍社会の実現の加速」や「21世紀型のインフラ整備」などが柱って、相変わらずだなあ・・・と思う。
昔、ばら撒き選挙なんて言葉があって、選挙に勝つために、どうせ人の金で幾ら借金しても自分の懐は痛まない政治家が国債を発行しまくっていた時代があった。現在の800兆円とか900兆円とか言われる国の借金は、元を辿ればそこだろうか?と思う。
ある程度の所得のある人にお金をばら撒いても貯蓄に回るだけだが、低所得者にお金を配ると直ぐに使うからお金が社会に回る。そんな人を馬鹿にしたような理屈があって、お金を配る先に選ばれた業種の人達は、政治家から”貰ったお金は直ぐに使う馬鹿な集団”と思われているのかも知れない。まあ、介護系の待遇は”この給料で誰がこんな仕事をするんだ?”と思える位酷かったから、それは良い政策だろう。でも、介護系の待遇を悪くしているのは金儲けしている経営者の問題で、そこにメスを入れられなければ、彼らにお金をばら撒いて終わるだろう?それでも、政治家は何かをしたことになって、どんなに愚策でお金の無駄遣いになっても責任を問われることも無い。なんて気楽な話だか。
政策を決めるのは政治家の労働義務だと思うんだけど、普通の企業だと会社に損害を与えた職員を唯では済まさない。政治家の場合、国が会社で、税金を大量に無駄にする行為は会社に損害を与える行為だと思うけど、彼らは唯で済む。変だよね?基礎が変な事になっているところに上物を載せて行くからどんどん変な事が増えて行く。日本だけでは無いようだけど、愚策をして税金を大量に無駄にしたのなら、政治家の国に対する背任行為のようなものだろう?基礎として「背任は処罰対象」とすれば、政治家も少しは政策に責任を持つだろうか?まあ、無駄遣いを証明するのは難しいだろうけどね。
過去の政治家が起こした事件は、その金額が途方もないのに大して罰せられることも無かった。衆院解散の思惑から3次補正を言い出すような与党議員は、自分が当選するためなら国の借金なんか気にもしないのかも知れない。今回3次補正を言い出すような与党議員は、 そんな事でもしないと次は当選でき無いような人達なのかも知れないけど、過去に事件を起こした政治家たちとは世代も人も違う。でも、同じことをする。多分、仕組みの問題なんだろう?

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2016年10月 6日 (木)

何を伝えられるだろうか?何を残せるだろうか?

そもそも自分が偉そうに伝えられるような、残せるようなものを持っているのか疑問があるけれども、想いを伝えたいような特別な誰か、残して上げたいような愛すべき誰かが居るだろうか?

子供たちは、見た目、考え方、行動力、運動能力、音楽性、好奇心、創造性、やり遂げる力、そして鈍感だけど優しい、そんなの本当に僕が持ってるか?と思えるような所が凄く似ているらしい。それが僕が彼ら残せた数少ないものなんだろうか?正しいのなら、それは相当照れる。

物心ついた頃から一人で勝手に何かしていた僕の視界には、自分から望んで見ていたいような人が映らなかったせいもあって、想いを伝えたいような誰かを見つけることは出来なかった。まあ、若干僕の想いなんて余計なお世話だろうと思っていたこともあって尚更だった。だから青春時代に有り勝ちな憧れとかと言った強い想いのようなものを持った事は無かった。それはきっと僕の人生にとって不幸な事実だった。でも、青春時代に誰かに出会えていれば持てたのかも知れない。

逆に僕自身は何人かの恩師と呼べるような人達に忘れられない言葉、忘れられない経験を貰っている。だから、今度は僕の番なんだろう?新たに自分で作り出した言葉じゃなくても、せめて自分が貰った言葉は伝えなくちゃならないと思う。義務かな?せめて自分が貰った分くらいは、不幸にも僕に関わってしまった人達に残してあげなければならないだろう。けど、僕に出来るかな?

実際にそんなことを残りの人生の中で出来るかどうかは解らないけれども、相変わらず好き勝手に行動している自分に大方愛想の尽きているだろう嫁さんにだけは、沢山ごめん、でも、今までありがとう、と伝えなくちゃね。

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