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2016年10月 6日 (木)

何を伝えられるだろうか?何を残せるだろうか?

そもそも自分が偉そうに伝えられるような、残せるようなものを持っているのか疑問があるけれども、想いを伝えたいような特別な誰か、残して上げたいような愛すべき誰かが居るだろうか?

子供たちは、見た目、考え方、行動力、運動能力、音楽性、好奇心、創造性、やり遂げる力、そして鈍感だけど優しい、そんなの本当に僕が持ってるか?と思えるような所が凄く似ているらしい。それが僕が彼ら残せた数少ないものなんだろうか?正しいのなら、それは相当照れる。

物心ついた頃から一人で勝手に何かしていた僕の視界には、自分から望んで見ていたいような人が映らなかったせいもあって、想いを伝えたいような誰かを見つけることは出来なかった。まあ、若干僕の想いなんて余計なお世話だろうと思っていたこともあって尚更だった。だから青春時代に有り勝ちな憧れとかと言った強い想いのようなものを持った事は無かった。それはきっと僕の人生にとって不幸な事実だった。でも、青春時代に誰かに出会えていれば持てたのかも知れない。

逆に僕自身は何人かの恩師と呼べるような人達に忘れられない言葉、忘れられない経験を貰っている。だから、今度は僕の番なんだろう?新たに自分で作り出した言葉じゃなくても、せめて自分が貰った言葉は伝えなくちゃならないと思う。義務かな?せめて自分が貰った分くらいは、不幸にも僕に関わってしまった人達に残してあげなければならないだろう。けど、僕に出来るかな?

実際にそんなことを残りの人生の中で出来るかどうかは解らないけれども、相変わらず好き勝手に行動している自分に大方愛想の尽きているだろう嫁さんにだけは、沢山ごめん、でも、今までありがとう、と伝えなくちゃね。

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