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2016年12月19日 (月)

幸せのデザイン

ちょっと前に古館君と言う番組の最後で
「人は幸せになりたいと思って生きているが、
人は幸せになれるようにデザインされていない。」
と言う言葉を引用をしていて、諦めも必要と締めていた。
きついかもなあ、これは。でも、これは相当正しいように思う。
古館君は”諦めも必要”と締めていたけど、諦められるようなら人は幸せになれるとも、そもそも諦めるとか言う感情が無ければ幸せになれるとも言えるけれども、幸せなんて概念自体が人の幻想だとも思う。
ここで引用されている言葉は、人間の欲望は際限が無く、満足感が幸福感を齎すものであるならば、それは永遠に得られるものでは無い。そんな話だよね。だから、諦めも必要。
でも、 みんなは幸せにどんなイメージを抱いて、どのようにデザインすれば自分は幸せになれると想像しているだろうか?
以前のマイホームのようなステレオタイプの幸せ像は、もう時代遅れかな?
希望が叶った時に幸福感を感じるだろうか?希望が叶ったその後は?また新たな希望を持つのかな?それでは際限が無い。でも、きっと絶望しない限り、希望を持ち続けて行く限り、幸せを感じながら生きて行けるのかも知れない。
デザインとしては、小さな幸福感の積み重ね、ってところでしょうか?
人生をやり直す事は出来ないし、岐路に立ってのどちらが正しい選択かも永遠に解らない。だから、全網羅的な幸福感は有り得ないと諦めて、小さな幸福感を積み重ねて、人生の終わりに”ちょっとだけ幸福感の方が多かったかな♪”と思えれば、幸福な人生だったと言えば良いんじゃないだろうか?

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