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2017年2月

2017年2月24日 (金)

国策として技術流出への備えが必要だよね

東芝が重電と軽電の派閥争いの果てに会計不祥事を起こして潰れそうになっている。今回新たに出て来たアメリカの原発メーカの巨額損失は今後どこまで増えるのか想像も付かない。買収を発表した時にも”今更そんなもの買う?”と思った。重電派閥の勇み足だったんだじゃかろうか?
今回、半導体部門を売りに出そうとしている。東芝メデイカルを売った時にも、”黒字の部門を売ってしまうなんて立て直す気があるんだろうか?”と思った。この時は幸いキャノンが買ったから良かったけど、半導体部門を買う日本企業があるだろうか?
今後の日本の技術の根幹を握るような重要な半導体技術がたたき売りのような状態で海外に取られてしまっては、日本も東芝と同じ道を辿る。もう東芝の一部上場廃止は時間の問題だろう?バフェットさんも愛想を尽かして売り逃げしたらしいと聞く。
シャープの時にも思ったが、馬鹿な経営者が先の見えない巨額投資の挙句に会社を潰すような事態を避けなければ、日本の国際社会での一部上場廃止も現実味が増して行くだろう。

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2017年2月14日 (火)

sati

「マインドフルネス(mindfulness)という言葉は、原始仏教の経典にあるパーリ語の「サティ(sati)」という言葉の英訳です。そしてサティとは2500年前にブッダが説いた「八正道」という理論の中の「正念」のことです。 マインドフルネスの語源である「正念」は、「正しく気づくこと」という意味です。
「八正道」は一言でいうと「人生の苦を滅して心安らかに生きる方法」です。ブッダは「自らの欲・怒り・執着に気づいて手放していくこと」が人生の苦を滅する、そして「慈しみの心を育てること」によって心安らかに生きることができると説きました。」
精神科医(精神保健指定医)・産業医・作家 奥田弘美さんが、「クラッシャー上司」にならない 心を育てる瞑想法と言う記事の中で、こういう風に解説していました。この解説に異議を唱えるとかではありません。satiと言う言葉を20代前半に聞いたことがあったな、と感慨深く思い出しました。
自分が生きて行くためには、そんなに沢山の物は要らないな、でも、自分を自分として認識するために必要な物は凄く沢山あるな、当時の僕はそんな感情でこの言葉を聞いていたように覚えています。このsatiと言う言葉は、語感が良くておぼえています。ちょうど「取りつく島が無い感じ」の反省をしていた頃ですね。
日本にはお寺の檀家だったり、仏式で葬儀をする人が8割以上と、およそ仏教国のような感じですが、そんな人たちも神社に初詣で柏手を打ち、七五三でお祓いをし、車には安全祈願のお守りを下げる。でも、「八正道」を知ってる人はどの位要るだろうか?1割に満たないんじゃないだろうか?習慣としての仏式はあるが、教えとしても仏教は無い、言い過ぎかな?僕は二十歳の頃に自分で調べるまで知りませんでした。
日本人が同じく正念を理解し、実践していたら、どんな国になるんだろうな?一言で言えば、大らかな人たちが住む国になれるだろうか?まあ、思いっきり仏教国のインド等の国でもカースト制が残ったままで贈収賄がちっとも無くならないのだから、幾ら日本人が生真面目だと言っても無理だろう?当時、人に求めるも苦故、自分だけでも慈悲の気持ちを持てば良いのだと思っていました。今はどうだろうか?怒りや執着心はほぼほぼ忘れているけど、欲は自分のためと言うより、子供たちのために捨てきれていない。子煩悩なんて言われ方をするような事だろうか?この期に及んで煩悩か、捨てきれないなあ・・・

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2017年2月 7日 (火)

日本人の民度が高いって?

Microsoft Edgeを立ち上げるとDefaultがMSNなのもあって、Searchina(SerachとChainaを引っかけてる?)の記事が良く目に入ります。その見出しに”日本人の民度の高さに中国人が驚く”と言った記事が良く出てきます。
飽くまで比較論なのだろうとは思いますが、日本人としては”日本人の民度は決して高くない”、”むしろ下がって来ている”と感じます。概ねの日本人は親切で礼儀正しいけれども、偶に目にする迷惑で無礼な連中は、偶にでは無く、卒中目にするようになりました。昔はオッサンとオニイチャンだけだったけど、最近はオバサンとネエチャンも相当悪い。それから高校生、中学生、最近は小学生も、親を映しているのかも知れないけど、酷いよね。
”モラルの欠如”と言う方が正しい気もしますが、躾の問題のような気もします。核家族になって2世代目が親では、”駄目なものは駄目”と叱る年寄りの影響は残っていないでしょう。”駄目なもの”とは”社会に生きる人としてやってはいけないこと”です。競争心からモラルを無くした親が育てた子供にモラルがある筈もの無いと言われれば、確かにそうなんですが、社会の連帯感が薄まれば、近所の人も親戚も友達も誰も注意をしなくなる、それが問題ですかね。個人主義の間違った解釈とも言えますが、”人に危害を加えなければ何をしても自由”の危害の概念を取り違えているか、知らないか、自分に降りかからなければ他人がどうなってもどうでも良いと思っているか、そんな感じに見えます。いつ何時自分に降りかかるかも知れないと言う発想は無いんだろうか?と思えます。個人主義が悪い方向に向かっているように思えます。
さて、日本人である僕にはそう見える日本の世の中ですが、中国人には驚愕に値する民度らしい。と言う事は、中国と言う国は、社会主義国家の筈ですが、日本よりも個人主義が間違った形で発展している国なのかも知れませんね?

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