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2017年2月14日 (火)

sati

「マインドフルネス(mindfulness)という言葉は、原始仏教の経典にあるパーリ語の「サティ(sati)」という言葉の英訳です。そしてサティとは2500年前にブッダが説いた「八正道」という理論の中の「正念」のことです。 マインドフルネスの語源である「正念」は、「正しく気づくこと」という意味です。
「八正道」は一言でいうと「人生の苦を滅して心安らかに生きる方法」です。ブッダは「自らの欲・怒り・執着に気づいて手放していくこと」が人生の苦を滅する、そして「慈しみの心を育てること」によって心安らかに生きることができると説きました。」
精神科医(精神保健指定医)・産業医・作家 奥田弘美さんが、「クラッシャー上司」にならない 心を育てる瞑想法と言う記事の中で、こういう風に解説していました。この解説に異議を唱えるとかではありません。satiと言う言葉を20代前半に聞いたことがあったな、と感慨深く思い出しました。
自分が生きて行くためには、そんなに沢山の物は要らないな、でも、自分を自分として認識するために必要な物は凄く沢山あるな、当時の僕はそんな感情でこの言葉を聞いていたように覚えています。このsatiと言う言葉は、語感が良くておぼえています。ちょうど「取りつく島が無い感じ」の反省をしていた頃ですね。
日本にはお寺の檀家だったり、仏式で葬儀をする人が8割以上と、およそ仏教国のような感じですが、そんな人たちも神社に初詣で柏手を打ち、七五三でお祓いをし、車には安全祈願のお守りを下げる。でも、「八正道」を知ってる人はどの位要るだろうか?1割に満たないんじゃないだろうか?習慣としての仏式はあるが、教えとしても仏教は無い、言い過ぎかな?僕は二十歳の頃に自分で調べるまで知りませんでした。
日本人が同じく正念を理解し、実践していたら、どんな国になるんだろうな?一言で言えば、大らかな人たちが住む国になれるだろうか?まあ、思いっきり仏教国のインド等の国でもカースト制が残ったままで贈収賄がちっとも無くならないのだから、幾ら日本人が生真面目だと言っても無理だろう?当時、人に求めるも苦故、自分だけでも慈悲の気持ちを持てば良いのだと思っていました。今はどうだろうか?怒りや執着心はほぼほぼ忘れているけど、欲は自分のためと言うより、子供たちのために捨てきれていない。子煩悩なんて言われ方をするような事だろうか?この期に及んで煩悩か、捨てきれないなあ・・・

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