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2017年6月

2017年6月26日 (月)

単に命を繋ぐこともそれに当たるかな

Vexilleと言うアニメの中では、”命を繋ぐことで我々の存在は永遠である”と言うことを題材としていると思われますが、子孫達の持つDNAは自分のDNAのコピーとして、自分のDNAも遥か遠い先祖が命を繋いで来てくれたから存在するのです。ですから、子供を作ることで自分の存在は永遠になると考えられます。
網羅的に思考すると、情報のコピーは脳を媒体とするmemeの伝播として捕らえても、無機的なコンピュータ上でのbit列の単なるコピーでも、有機的な生殖行為として子供を作ることによるDNAの減数分裂及び合成と捕らえても、”情報を繋いでゆく”と言う行為には差がありません。
(memeとは、模倣の単位と言う概念を伝える名詞として、模倣に相当するギリシャ語の語源とするmimemeと言う単語をリチャード ドーキンスがgene(遺伝子)に対比させた造語だそうです。ミームが遺伝子プールと同じように、ミームプール 内で繁殖する際には、広い意味で模倣と呼びうる過程を媒介として、脳から脳へ渡り歩く、としています。)
memeの自然淘汰の動作原理は、魅力的かどうかだけですが、日本におけるDNAの自然淘汰の動作原理も、また、魅力的かどうかですよね?日本では、生殖可能年齢を過ぎるまで餓死するとか、戦争で死ぬとか、社会的に小さな紛争で命を落としてしまうとか、病気等で生殖機能を失ってしまうとか、そう言った事はあまり起こらない。(仕事に熱中するあまり、結婚をしない、もしくは、結婚しても子作りをしない、なんて人達が増えてきているので、ちょっと話が複雑にはなってしまっていますが・・・)
普通の生物は、豊かで有るほど個体数を増やすのですですが、人間の場合はどうも逆のようです。日本は少子高齢化が進んできていて、例えば60年後を考えれば(それまで日本が存在しているか解りませんが・・・)、日本の人口は今の半分くらいになっていて、バランスが戻るかも知れませんね。
リチャード ドーキンスは、遺伝子を主体として、個人をDNAを繋ぐ媒体でしかないと説いているようですが、Vexilleと言うアニメの中では個人を主体として、子孫に対するDNAのオリジナルとして永遠であると見ていると思われます。要するに立ち居地を変えて同じものを見ているとも言えます。
我々は生命として出現して、死んで消滅してゆきますが、子孫に引き継がれる情報は、種そのものが滅んでしまわなければ常にモデファイされながら残り続けます。

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2017年6月19日 (月)

憲法を改正出来た時こそ日本が戦後を脱する時なのかも知れないね

経済企画庁が経済白書「日本経済の成長と近代化」の結びで「もはや戦後ではない」と記述したのは1956年だったらしいが、それから更に60年経った今でも日本にはアメリカ統治時代の影響が色濃く残っていると思う。

戦中戦後を生きてきた人たちは「もう戦争はごめんだ」と思っているだろう。平和な300年が江戸文化を花開かせたのは明確な事実だと思うので、後230年位平和を保てれば日本独自の面白い文化が芽生えるのだろう?その一つのプロセスが憲法改正なら悪くは無い。その時は日本人なりの憲法を作ればいい。

でも、戦争に加わるための憲法改正なら反対したい。現在、憲法改正に否定的な人たちには、改正の目的が国際貢献と称してアメリカの戦争に加わるために見えるからだろう。属国扱いして来る国から「我が国の戦争に加担しろ!」と言われて、「君たちが押し付けた憲法に戦争の放棄と書かれているから、出来ない物は出来ない。」と言い続ける方が、言い訳としては筋が通っている。仮に「金は出すけど人は出さない」と誹りを受けても平和を失うよりは余程良い。

島国に住み長く独立を保ってきた日本人の明確な目標は永劫の平和だと思う。三浦瑠璃さんの言葉を借りれば「日本の核心的利益は平和」である。誰の傘にも入らず、何処からも属国扱いされなくなったら、その時は平和と言う核心的利益のために憲法を変えれば良い。きっと日本は、その時初めて戦後から脱却できるのだろう。

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2017年6月12日 (月)

第三世界を夢見る

新しい攻殻機動隊を見た時、第三世界って、結局全ての宗教が持つ死後の世界みたいなものだよね、って思った。現世の不遇を来世の厚遇に置き換えるのは宗教の王道だ。メンテナンス出来なくなった部品を生存維持のための不可欠な部品として持つことは、部品の故障が死を意味する。生体で心臓や脳と言った五臓六腑のどれが故障しても死を意味するのと変わらない。
物語の中ではアップグレード出来ない義体を選んでしまった事が緩やかな死を意味するが、それがアップグレードの有無を提供する側の企業体の利益追求の結果にとなってしまったら、人の生き死にも企業利益の道具にされてしまう、それが問題なのだろう?
経済的な格差は、人の生死に影響する。それは今も変わらない。唯、生体であり身体的エリートであるならば、経済的な格差の影響は僅かであり、人は自由に生を全うできる。違う所はそこだろうか?
人は何歳まで生きられれば満足なのか解らないけれども、天国でも来世でも永遠の命を求めるが故にゴーストが宿る機械に永遠の命を委ねるが、それすら企業の利益追求の道具でしかないのなら皮肉なものだ。結局企業は人の欲を売り物にする。家電製品なんかと何も変わらない。
人の生死を企業の金儲けの道具にしてはいけないと言う警告だろうか?
何かの都合でこれ以上生きられないと悟った時、第三世界を夢見て自ら命を絶つ。生体パーツが機能しなくなって寝たきりになった時、天国に行くことを夢見て自殺するのと変わらないように思える。
結局、生身であっても、義体であっても、永遠に生き続ける事は出来ず、企業利益の追求と言う生臭い動機が人に引導を渡す。そんな企業が死神のように思える。
第三世界を夢見るとは、死神から逃れ、神に縋る、そんな人間らしい行動にしか思えない。

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2017年6月 2日 (金)

今度はそう来たか?

菅長官、プーチン氏の北方領土発言に静観の構え
なんて記事を見て、そう思った。
北朝鮮と同じだよね。ロシアも余程内情が苦しいのだろうか?
北朝鮮が核を放棄したらカードが無くなってしまうように、ロシアも北方領土を返してしまったら日本からお金を引き出すカードが無くなってしまう。
だから、彼らは絶対に返すような事はしない。
日本ももっと強かになるべきだね。

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