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2018年2月

2018年2月19日 (月)

Digital Diveideは国民皆保険の現場にも出てくるだろう

日本は国民皆保険の中で、医療は公平に受けられるものと認識している人が多いだろう?
実際には既に地域格差、機会格差があって、ちっとも公平に受けられる訳では無い。その辺りは理解されているだろう。
少子高齢化の先には医療サービスを行う人員の先細りもあり、解らない人への丁寧な説明も難しいものになりそうな実感がある。インテリジェンスの差が機会の取得差につながるだろうと思われる。それはPHR(Personal Health Record)の自身での管理などから最初に起こるだろうか?
近年最新の医学知識はネットで簡単に調べられる。英語と専門用語、また、それらを理解できるスキルさえあれば医者より詳しくなれる。日本では好きな医療機関に行けるので、自分の疾患を得意としている医師の所へ行ける。当然治療も上手くいく可能性が高いし、患者の知識レベルが高ければ、訴訟の可能性を回避したままエビデンスレベルの低い最新治療にまで踏み込む事も出来るだろう。
だから既に医療における差別は存在しているのだけれど、行政上、選べる医療機関にもネット上の情報収集にも制限はありませんから、みんな差別は無いと思っているでしょうか?でも行政がやるとなると反応は違いますよね?
ちょっとDigital Diveideから離れてしまったが、Digital Diveide自体も個人の努力の成果を差別と呼んでいるだけの事だから、根本的には同じである。子供の公平は努力とは無関係に同じだけ分配されるが、大人の公平は努力した量に応じて分配される。
PHRのデータは自分でも見ることが出来るように作られると思うので、読み解く能力差によって利用価値には差が出来る。行政の行う措置になるだろうから、読み解く能力の低い人にも配慮するように圧力が掛かり、理想とはかけ離れたような何だかやたらと手間のかかる面倒なPHRシステムになりそうな気がする。
医療もIT化が進んで来ていて、医療に関係する行政サービスもIT化は避けられないけれど、そこに付きまとうのはDigital Diveideと言う名の差別です。まあ、後10年で後期高齢者の仲間入りをしそうな人たちのITスキルは決して馬鹿にするようなものではありませんので、こんな話は杞憂かも知れません。

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チーム医療とグループ医療を別けて語る人が増えたね

エイミー・C・エドモントンの「チームが機能するとはどう言うことか」から引用して、 グループとは「複数の人間に拠る空間的・心理的・目的理由の集団」であり、機能しなくても良いし、成果も求めない。 一方、チームは「達成すべき目標やアプローチ等を共有し、連帯責任を果たせる保管的スキルを備えた集団」であり、個人単独より大きな成果が求められる。 こんな分類がきっと正しいのだろう?(この分類は僕がしたものではありません。) チーム医療と言う言葉だけが独り歩きして、意味不明なチーム論を振りかざした講演とか聞くと、時間の無駄だったとか、これを聞いて誤解する人が増えたら困るなとか、チームとか言ってる割には考え方は変わらず縦割りなんだとか思っちゃいます。 個人が十分なスキルを持つ前提条件も無く集まってもねえ・・・とか、指示が無ければできないとか言う人や指示を待ってるだけの人はメンバーには入れないよねえ・・・とか、ポリシーやゴールを共有してなけば、もっと言えば、何処までは攻めるべきで何処からは守りに入るべきか共有できていなければ、メンバーのスキルは発揮されない。 小学生のサッカーチームからプロのサッカーチームまでレベルは雲泥の差だけれども、相手よりたくさん点を取って勝つと言うゴールは変わらない。ゲームならそんなレベル差も許容するけど、相手は人だからさ、目の前に何もしなければ死んじゃう人が居て、ただワイワイやってるだけじゃとても救えない。 チーム医療とグループ医療を別けて語りたい見識のある人たちには、チーム医療と言う使い心地の良い言葉が独り歩きしている状況を憂いいているって事なんでしょうかね?

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2018年2月 7日 (水)

医療情報においてもフェイク情報を危惧しなければならなくなったか

カナダのトロント大学のJolene H. Fisher達がWeb Site上のIPF(特発性肺線維化症)の特長と治療薬に関する情報の正確性と質を調査したところ、ほとんどのWeb Siteで不完全、不正確な情報が含まれ、全体の48%はIPFに適応が無いか有害となる薬物療法を掲載していた、との報告をAmrican Journal of Respir Crit Care Medに報告したそうです。
Internet上のフェイクニュースと違って、不正確な情報をあげた人達が混乱を狙っての事では無いでしょうが、教科書やガイドラインの様に大勢で検証した方法を載せている訳では無い事を読者は理解しなければならないのはInternet上のフェイクニュースと同様です。
ジェームズ・ヘックマン シカゴ大学教授がロイターニュースの視点:日本に必要な3つの改革、まずは幼少期教育に重きを=ヘックマン氏https://jp.reuters.com/article/2018-views-japan-james-heckman-idJPKBN1FL4ALの中で、「スキル形成と創造性重視の教育」の項で「学生が創造的であると同時に確かな情報に基づく議論で権威に挑戦できるように、教育する。権威への白紙委任や丸暗記の学習は減らす。そして学校や人生において、第2、第3のチャンスを与えるべきだ。」と述べているが、ネット検索で答えだけを丸暗記する今時の若者たちには、ハードルが高い話だろうか?
このBlogも同じことが言えますが、個人的な意見を検証も無く載せているので、間違えているとか、言い過ぎとか、検証が足りないとか、色々問題はあります。頭の中のイメージを書くことで纏めてゆく行動スタイルの結果としてEvernote上に出来た文章群の一部を”まあ誰かのヒントにでもなれば”と載せているだけなので、まるで嘘は書きませんが丸っと信用されても困ると言うのが本音です。
現在、Web Siteの情報を読み解く能力は、一般のものだけでは無く医療系のものにまで及んで来ているようです。
症状と投薬、経過の正確な情報をリアルタイムに検索できれば、より正しい治療と医療費削減を同時に達成可能な情報基盤になり得るものなので、医療用のDBに載せるようなものはFormatの統一化と情報の正確性を調べる手法が必要なんでしょうね。AIを使っちゃうなんて方法もありですが、AIなんて言葉を使っただけで厚生労働省からクレームが来そうですよね。

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2018年2月 6日 (火)

海外の楽譜がネットで買える♪

YouTubeでJérémy Jouveが弾く"The Vermeer 's labyrinth"を聞いて、”これ弾いてみたい”と思っていたら、Sellfyと言うサイトのリンクが張ってあり、そのままPDFで楽譜が買えました。便利な時代になったもんです♪
メロディアスな曲ですが、Mathias Duplessy の曲でした。Mathias Duplessyは、Guitarだけでなく弦楽器なら何でも弾けるんじゃない?って人で、見た目飲んだくれの陽気なオジさんのような雰囲気で超絶テクニックで陽気な曲を弾く人って印象を持っていましたが、調べてみたらメロディアスな曲を沢山作曲していたのですね。
Jérémy Jouveの演奏を聴いていて”押さえているところと出てくる音が違う気がする”と思っていたのですが、TuningがDADGADでした。DADGBEくらいならそのまま楽譜を追えますが、これは難しい。それにこの半分壊れた小指であんな高音を綺麗に出せるだろうか?
まあ、それは置いといて、Andrés Segoviaのレコードを先生にFrancisco Tárregaの楽譜を手に入れるのに苦労していた学生時代は一体何だったのか?と思うほど便利な世の中になりました。因みに"The Vermeer 's labyrinth"は5€でPayPalで払いました。

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2018年2月 4日 (日)

フェイクニュース対策はもろ刃の剣

「英、「偽ニュース」対策部隊創設へ 情報工作を警戒 2018/1/24 3:43日本経済新聞 電子版」
「フェイスブック、「虚偽ニュース」啓発広告を掲載 2017/5/10 6:00日本経済新聞 電子版」
アメリカ大統領選挙のロシア介入疑惑から、SNS上のフェイクニュース関連の記事を良く目にしますが、上記の二つのニュースは対比が面白いなと思いました。
イギリスの情報工作を警戒は、政府による唯の情報統制の道具になりそうだなと思いますが、Facebookの啓発広告は、読者に注意を促す啓蒙活動です。
我々が手に出来るニュースは、新聞社等のフィルターが既にかかっているのは既知の事と思います。だから、数社の新聞の記事の相違点から本質を見抜こうとする訳ですが、それでも新聞ネタにならないと知ることは出来ません。SNSで取り上げられる新聞ネタにもならないようなニュースが重要かどうかは解りませんが、何のフィルターも掛かっていないニュースが流れて事の本質が解るなんて事も沢山あることがアラブの春のような事件で良く解ったなと思います。だから、どうでも良い話でも無いですよね。
結局、ニュースをどう読むかの本質は読者の知性なんだろう。
識者達のこう言った議論は、こんな事はどうでも良い人達には全くの余計なお世話なんだろうけど、その人達も社会の構成員で公民権を持つので、社会に影響力を持ってしまう。公民権を持つと言う事は、国民としての義務も生じているので、こう言ったニュースに踊らされないのも義務であるべきだと考えているんだろうか?格差社会とか言われるようになって、平等性が高くないと公徳心が低くなる傾向が高いと思われるので、きっと自分の事で精いっぱいで社会がどうのとかどうでも良いんだろうな?
学問が贅沢であるように、生きていくのに不要な知識もまた贅沢なんだろう。

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