トップページ

2017年11月27日 (月)

責める文化

多分責任逃れの裏返しなんだろうな?と思うけど、誰でも責任を取らされる=職を追われる事になるから、責任は取りたくないだろうね?
人がすること故に間違いは付き物だけど、自己責任を無視した訴追が成立すれば、誰でも責任逃れに走るだろう?
食品全部に「多分食べても大丈夫だけど、保証できないから、買って食べるかどうかは自己責任でどうぞ。買っても食べられないと思ったら、自己責任で捨てて下さい。作る時に使った材料はこれです。成分はこれです。製造工程はISO9001を取った工場で、こうやって作っています。」なんて事を書けば良いんだ。昔はそんなもんだったけど、PL法が出来て、製造者の責任を問うようになってから近年常軌を逸している。
何か製品に不都合があった場合、製造元と消費者保護センターに問い合わせるなら正しい対応だと思うけど、いきなり事実関係も証明できない写真をSNSに載せるのは威力業務妨害以外の何ものでもない。事実関係が怪しい画像を載せた場合、刑事訴追してやればいいんだ。
今時合成写真なんか簡単なんだから、SNSに載っている写真なんか証拠能力も怪しい。僕はSNSにそう言う目的にアップされている画像を信用しないけど、それを見て簡単に信じる利用者にも問題あるよね。そもそも直ぐに信じる奴が居るから、怪しい写真を載せたがる奴が現れるんだからさ。
かなり脱線してるけど、何か起こった時、誰かを責めてもそれで解決する訳ではない。
何で起こったのか原因を追及して改善を図らないと何度でも繰り返す。だから、製造元に情報提供して改善を図って貰うのが正しい姿であり、製造業自体の発展にも寄与するだろうなと思う。
でも、駄目な会社の場合は、情報提供された製造元の中間管理職は管理義務怠慢を隠すために封印したりする。出来る会社の場合には、原因、改善措置を記した感謝状と製造元で作っている食品詰め合わせなんかを送ってくる。
駄目な会社では、SNSで炎上してから責任逃れを繰り返し、新聞沙汰になって記者会見で社長が下げたくない頭を下げる。
出来る会社では、SNSに載っていることが解った時点で正確な情報を発信してユーザの理解を得る。覚えているところでは、チロルチョコレートの対応なんか素晴らしかった。
まあ、結局、仕事の目的に対してのサボりなんだな。
間違いが起こらないような対処で確率を小さくする努力、炎上する前にリサーチする努力、直ぐに情報を確認する努力、適切な対処をする努力、色々あるけど、そのどれをもちゃんとやらないから炎上して責任を問われる事態になる。自分の不始末は、とりもなおさずサボりだし、それを誰かに押し付けて逃げようとするのもサボりだよね。それってカッコ 悪いよね。
中々言いたいことに話を収束できないけど、人を責めている姿は自分のサボりをアピールしているようでカッコ悪いよね。
間違いを許容しない社会では、間違いから学べない。間違えた事も無く学んでこなかったから大きな間違いを犯しその対応も間違える。そうりゃそうだ、間違えたことが無いのだから対応出来る訳がない。
無闇な競争社会では、人の間違いを騒ぎ立てて蹴落とすような事を考える奴が必ず出て来る。そう、モラルの無い奴がね。それも、出来ない奴に限ってそう言う事が好物だよね。
人生は全て学びの中にあると思う。自分たちが子供の時には失敗を恐れるなとか教わっていたように思うけど、責められるのを怖がっていては人生を学べない。一体どこでそんな間違いになってしまうんだろうか?

| | トラックバック (0)

2017年11月20日 (月)

将来どんな人間になりたいか?

僕の職場の採用試験論文のテーマが、「将来どんな人間になりたいか?」です。
正確に言うと職能団体なので、「将来どんな○○になりたいですか?」と言うのがテーマなんですが、目的は「将来ビジョンを一度は考えてみて欲しい」です。
どうせ学生の時に30年後、40年後の明確なビジョンなんて持っている筈も無いので、それ自体に期待をしている訳ではありません。入職前に一度は考えてみて欲しいと思っているだけです。
働いて賃金を得られる仕事に楽な仕事はありませんので、入職後に大変な思いをすると不平不満の中で仕事をするような嫌な状態になります。特に20代は力を付ける時ですから、不平不満の中で努力を怠れば、30代で実績をあげることが出来なくなります。大事な時期にそれって色々な意味で不幸ですよね?
「仕事を道楽化出来る人間になりたい」と書いて来てくれたら、僕が試験官をしている内は一発合格です。

| | トラックバック (0)

2017年11月12日 (日)

お互い半分避けようぜ

街を歩いていると"お前が避けろ"とばかりに突っ込んで来る輩がいる。
スマホを見ながら普通のスピードのまま突っ込んで来る輩、
女性に多いが下を向いたまま前に誰か居ても構わず突っ込んでくる輩、
脇目も振らずそのまま来たらどう見てもぶつかりそうなのにそのまま突っ込んでくる輩、
人の流れの中にスペースが無いのに斜めに突っ込んでくる輩、
狭い通路で対面から人が来てるから通れるスペースは無いのに下を見たまま突っ込んでくる輩、
色々居る。
この人たちの困るところは、ぶつかりそうな相手を見ない事だ。どっちに動くか見当が付かないから、どっちに避けるべきか解らない。まあ、別に避けなくてもこちらは怪我しないだろうが、下手に怪我でもされて訴えられても鬱陶しいから避けようとするのだが、足の運びまで見て避けるのに態々避けた方にぶつかってくる。もしくは、避けるスペースが無いから止まるとそこにぶつかってくる。どうしろって言うんだよ!
お互いぶつかると気分悪いし、どちらかが全面的に避けるのも業腹なんだろう?
だったら、お互い半分ずつ避けようぜ。
船舶の衝突防止の約束事は、「互いに相手船の左げん側(船の左側)を通過する」だったと思うけど、道交法の左側通行とも馴染みが良いし、多分左に避ける方が正しいだろう。
お互い自身が左に半分避けようぜ!

| | トラックバック (0)

2017年11月 5日 (日)

そんなに具合が悪く見えたかな ?

職場の仲間と飲んで池袋から電車に乗ったら、やたらと空気が乾燥しているのと何だか防虫剤のような臭いがして、慌ててミントタブで誤魔化そうとしたけど間に合わずに咳が出始めてしまった。しまったマスクを持っていなかった。ハンカチで押さえて何とか咳を収めたけど、外すとまた咳が出る。ダメだこりゃ。 乗ってすぐに斜め一つ脇の座席にブラウンのニットを素敵に着こなし、細かいところにまで気が配られていて、清潔感のある素敵な女性だだなと思った女性がこっちを見ていた。24歳くらいだろうか? 何故特異的に24歳? いや、まあ、何となくそう思った。 咳をしていたので、変な感染症だと嫌だな、と思われたかな?と思っていたが、石神井公園で止まった時に声を掛けて来た。”この席をどうぞ”と言う。 ”ああ、いや、大丈夫です。空気が乾燥してるとか変な臭いがすると咳が出ちゃうんですよ。だから平気。ありがとう。”と答えた。 ひばりヶ丘で彼女が降りる時に、”さっきはお気遣い有難う御座いました。”と言ったら、にこやかに会釈しながら降りて行った。 世の中捨てたもんじゃない。でも、そんなに具合が悪く見えたかな? 前日、休日出勤で朝から夕方まで多分今年一番重要な仕事をして、今日は朝からはとバスの猿島ツアーに付き合わされ、丸の内のベルギービールの店で一杯ひっかけて来た帰りだったので余程疲れた顔をしていたんだろうな。

| | トラックバック (0)

報われない想いは、人を横柄にさせる?

街中の60~70代の振る舞いを見ていて、気になることがある。
回りに気を使わない。
明らかに他の人の邪魔になっているのに避けようともしない。
場合によっては、ワザとらしく横柄に向かってくる。
ほとんどクレーマーのような切れたしゃべり方をする。
人の話を聞かない。
人の話に割り込んで自分の言いたいことだけを言う。
自分のしたことだけをこれ見よがしに自慢する。
道に平気で物を捨てる。
生活道路なのに、歩行者にがんがんクラクションを鳴らす。
歩道に乗り上げているのに、歩行者が来ても下がらない。
一体どうしたことだろうか?
彼らは、社会の規範になるべき人達だろう?
僕が子供の頃には、こう言った大人達は極少数派だった。
比較的共通的な外見的特徴は、身なりがしっかりしていない事だろうか?
着ている物の話しでは無くて、身だしなみがしっかりしていない。
行動規範の動機は、こんなことをしては恥ずかしい、と言う気持ちだろう。
世間様にとか、誰に対して、とか言う訳ではなく、漠然と恥ずかしい行為として僕は認識している。
先に書いたような事は、少なくとも僕には恥ずかしいから出来ない。
どうしてこんな人達が増えてしまったのだろうか?
世の中は因果応報ではない。
近年の日本は、ワーキングプアなんて言葉が当たり前のように語られる。
大震災の中、平気で数十億円の政党交付金の申請をするような人達が、国会で派閥争いに興じている。
子供手当てのような国の借金を増やすだけのような人気取りの政策をこの期に及んでまだ続けようとしている。
世界的な金融緩和の影響でお金が溢れ、インフレは目の前に迫っている。
年金は風前の灯。
特に定年を迎えた人達にとって、この先の生活は不安で一杯だろう?
概ね人は絶望したときに、形振り構わぬ行動をする。
こんなにやってきたのに、何で何時も自分ばかり。
今までこれだけやってきたのだから、少しぐらい公徳心に欠けても良いだろう。
これまで私は何時も我慢してきたのだから今度はお前が我慢しろ。
クラクション鳴らされまくると気分悪いだろう?ほら、どうだ!
ほら、俺は今ごみを捨てたぜ、注意できるもんだったらして見ろよ!
彼らの不機嫌そうな顔や得意げな顔からは、こんな言葉が聞こえてきそうに思える。
ちょうどこの世代は、団塊の世代と言われるような人達と、現役の頃、彼らに追い回されてきたひとつ上の年代だろうか。彼らの世代が高度経済成長を支えたパワーの源であるし、彼らの社会貢献度は十分評価されてしかるべきだとは思う。でも、だからと言って、何をしても良い訳ではない。
彼らは現役の時に激しい競争の中に居た。そして、昨今の政治が勝ち組と負け組の貧富の差を大きくした。
勝ち組が人より頑張ったとか社会貢献度が高かったとか、負け組が頑張らなかったとか社会貢献度が低かったとか言うのではなく、ちょっとした差を政治が大きくしてしまっただけなのだろう?
報われない想いは、人を横柄にさせる。保身や利害は、モラルを奪う。
スケープゴートが出来ると一気に潰しに行く。まるで村八分だ。
自己責任であるはずの行為を公共に押し付ける。義務は権利の対価だぜ。
それらは、自分がやられたら嫌な事だよね?
我々人生の後半戦組は、前半戦組に住みやすい社会を残す義務があると思うんだけどなあ。
ちょうど親が子供に財産を残すようにさ。

| | トラックバック (0)

2017年9月18日 (月)

観光道路でのネズミ捕りはやっぱり観光地の収入を奪うよね

以前「観光ルートでのネズミ捕りは観光客を減らす」http://noraneko-furo.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-396c.htmlと言う記事で、観光地に向かう道路でネズミ捕りをすると観光地の収入を奪うと書いたが、観光地に向かう途中でネズミ捕りに掛かると、その日観光地で使う予定の金額を警察に奪われてしまう。そのまま帰るか、そのまま行ったとしても財布の紐は締まるだろうね。そして点数が戻るまでそのルートで観光に行ったりはしないだろう。
 
免停になったらブルー免許3年×2回で6年は待たないとゴールド免許は返ってこない。以前の僕がそうだった。ゴールド免許の有効期限を含めて8年間その先に観光地に行かなかった。温泉に入って蕎麦かほうとうを食べて果物を買って帰ると、大体1万円位使うだろうか?気に入ったルートは、年に5~6回は行くから、6回×1万円×8年=48万円位がその観光地に落ちなくなったと試算できる。
 
ネズミ捕りのようなグレイゾーンの事を、例えば外国人にやったら、その外国人はどう思うだろうか?SNSは拡散しやすい。誰かがアングラなサイトに種を撒けば、これを命じた交通課の課長のプライベートまで晒されてしまったりするだろうか?以前、白バイが事故を起こしたのをもみ消そうとした巡査部長の子供の顔写真が出回っていたのを見たことがある。まあ、これはどうでも良いけど、観光ルートでネズミ捕りをすると観光地の収入を国庫が奪うのだけは間違いない。

| | トラックバック (0)

2017年8月25日 (金)

ノルウェーの森を読んだ

今更なんだけど、村上春樹さんの作品自体も初めてだった。
最初は、官能小説かと思った。読み終わったけど、結局何を言いたかったのかさっぱり解らなかった。あまりに人が自殺し過ぎる。みんな人生の意味を深刻に捉えていただろうか? そんなに自分がどこにいるか解らなくなるほど漂流していただろうか?1970年頃ってそんな生き辛い時代だったろうか?
それにしても直子の両親は、娘を二人とも自殺で無くすなんて、とてもやりきれないだろうなと思う。
一時期ネットで知り合った自殺志願者による集団自殺が流行った事があったな。一人じゃ死ねないけど、仲間となら死ねたのだろうか?その後聞かなくなったので、集団ヒステリーのようなものだったのだろうか?
人は人生に意味を見いだせなくなった時に死んでしまいたいと思うだろうか?それとも、期待に応えるために自分を押し殺すのに疲れてしまった時に死んでしまいたいと思うだろうか?あるいは、虐めに遭い、親に言えず、学校にも行けず、どうして良いか解らずに死を選んでしまうだろうか?
死を選んでしまうのは簡単なのかも知れない。天涯孤独ならそれもいいだろう。でも、人は人との係わりの中で生きている。自分に係わった人が死を選んだ事に遭遇した人は、必ずPTSDになる。係わりが深ければ心の傷も深かろう。きっとそれは相関する。
何の係わりも持たずに人は生きることが出来ない。親は必ずいる訳だし、場合によっては兄弟も祖父母も、結婚していれば配偶者や子供も、友達や恋人も居るかも知れない。それらの人に何の影響も与えずに死ぬことは出来ない。人としての責任としてね。だから、生きることを選択しなければならない。
この小説は、そんな事を言いたいんだろうか?
誰の解説も評論も読んでないので、正しいのかは全く解らないんだけどね。

| | トラックバック (0)

2017年7月18日 (火)

温泉マナー

僕は湯質の良い露天風呂が大好きです。
まあ、露天である必要は逆上せるからなんですが、湯質は上がった時のさっぱり感で草津の湯が個人的には好きです。多分肌の油分を取ってくれる弱アルカリの湯が良いのかと思います。
バイクで行くことが多いので、走って楽しめる峠道があって、帰りに美味しい蕎麦屋があって、なんてことで絞って行くと概ね行く場所が限られてきて、最近塩山方面に行くことが多くなりました。
塩山辺りの硫黄泉は、そんなに沢山ある訳でもなく、ロケーションが風が渡って涼し気な露天風呂はあまりありません。冒険もしなくなって来たことや、外来入浴をやっていないところが増えたこともあり、ますます行くところが絞られてきてしまいました。
問題は、そこが混浴だと言うことでしょうか?
僕は、女性が居ると気を使うので、正直混浴は好きではありません。女性が裸を見られるのを恥ずかしがるように、男性でも恥ずかしい人は居ます。僕の体形は20代の時に買ったスーツを未だに着られるような体形を維持していますが、知らない女性に見せたいとは思いません。
まあ、こんなことはどうでも良いのですが、どうも混浴であることで変な男性客が沢山居る事が問題です。女性客が来ると寄って行ったり、ジロジロ見たり、湯舟の外れでタバコは吸うわ、掛け湯もちゃんとせずに入るわ・・・正直マナーが悪い。
Facebookに温泉を扱ったWallが沢山立ってますが、これまで全国で200を超える露天風呂に入って来たと思いますが、そう言う所に紹介して良いのかと思います。このBlogでも「露天風呂」なんてカテゴリまで作って、それらの一部を紹介していますが、こういう行為は正しいのか疑問に思うことが増えてきました。特に地元の人たちが大事に保っているような温泉を紹介することは、良くない事なんじゃないかと思います。そう言う所は、「地元の人たちの財産をちょっとだけ貸していただく」ようなアイデアで迷惑にならないように貸していただく積りで行って欲しいのですが、Blogを読んだ人がそういうマナーで行ってくれるとは限りません。所謂大衆化をしない方が良いのではないでしょうか?
FacebookのWallでも、マナーを煩く言っているWallがあるけれども、管理者のマナーを口にして悦に入ってる感にも違和感を覚えます。正直共感できるWallもあるのですが、偽善者のお友達クラブのような運営をしている連中も目につきます。偽善者は言い過ぎですね。小学生の正義感を振りかざす、とでも言った方が正しいかも知れません。これも言い過ぎですね^^
細々とやっている宿を応援するような記事には共感します。こういうのはマナー違反だよと言っているページは時と場合に拠るでしょう。マナーは自らを律し対象者を慮る気持ちが行動となって現れます。上っ面で出来るマナーは正直偽善だと思っています。まあ、それでもしないよりはましですが。
これまでに多くの露天風呂が利用者のマナーの悪さゆえに閉鎖になって来ました。それらを何時も残念な気持ちで眺めてきました。特に入る前に掃除をして、佇まいを整えて帰って来ていたようなところが閉鎖になると寂しいですね。ちょっと脱線しました。
これらの露天風呂を閉鎖に追い込むようなマナーの人達は、BlogやWallで知らなければ、その存在自体を知らなかったんじゃないでしょうか?
僕自身はかなり慎重に選んで載せて来た積りですが、それでももう露天風呂の紹介を止めようと思います。何だか知らず知らずのうちに加担しているような気がします。

| | トラックバック (0)

2017年7月14日 (金)

悪い奴ほど得をする社会

3匹のオッサンとかがシリーズを重ねる理由は、ああいう風に思ってる人が多い事を物語っているんだろうなと思います。勧善懲悪ものが人気になるのは、世相なんだろうと思います。水戸黄門も長寿なのは、みんなが理不尽さに怒っている証拠なのでしょう?日本もずっと前から悪い奴が得をする世の中なんだろうと思います。大悪、と言うか、社会の深い闇は、人目に触れませんので、きっとみんな小悪を憎んでいるのでしょうね?悪い事をしている人の方が、良い服を着て、高い車を乗り回し、大きな家に住み、美味いものを食べている傾向が高いと言う事実もみんなを勧善懲悪に駆り立てるのでしょう。悪い事の定義はちょっと難しくてここでは書きませんが、法律違反、もしくは、かなりグレイでほとんど黒のようなものを指します。
巨悪と呼ばれるようなものは、巧妙に隠されていて余り光が当たらないようなところにあるので、認識しているのは極僅かな人たちだけです。また、見様によっては普通の社会制度だったりもします。巧妙に作られた社会制度は、誰か特定の人達だけに最終的に恩恵を齎すような、そんなものも指します。
それから、法的にも裁けるのだけど、権力が大きすぎて捕まえられないなんてのも巨悪の内だろうなと思います。贈収賄や強請りのような類のものでしょうね。こう言う事をする人たちって、チャンスを生かす能力が凄く高くて、余りの才覚に恐れ入ったりするんですがね。
自分の中にあるかなり面倒な正義感は、人のちょっとした悪さにも容赦ないですが、自分の悪さは2種類のみ(ちょっと書けませんが道交法に絡むものです。)で他の悪さ、少なくても法律に触れるような事はグレイも含めて一切しません。ただ、知らず知らずの内に巨悪に加担していないか心配になることはあります。
水は低いところに流れますが、お金は高いところに流れて行きます。社会制度上そうなります。誰がこの制度を作ったんでしょうね?
昔、清貧と言う言葉がありましたが、清富なんて言葉が生まれる社会だと良いですね。

| | トラックバック (0)

2017年7月 7日 (金)

グレイゾーンの排除

グレイゾーンの排除と言う行動が、チーム医療と言う言葉を作ったんじゃないかな?
ある組織に属する人の論文の中に「グレイゾーンの排除」と言うKey Wordがあって、びっくりした覚えがある。その論文の論調は、職種の業務範囲の明確化を謳っており、業務範囲以外の仕事には一切手を出さない行動原理を書いている。
医療なんだからさ、特に3次救急の現場には必要とされる全ての職者が揃っているなんて有り得ない。でも死にそうな人をすくためにやらなければならない事は、その場でやらなければ死んでしまう。言わばグレイゾーンなんて当たり前なんだ。流石に法律違反は駄目だけど、資格の関係ない仕事であれば、その場で教わりながらでもやらなければ死んでしまう。死にそうな人を前に業務範囲外ですから出来ません、なんて言える筈もない。
上の話しは、極端な例だけど、医療の中には誰が気づいても、誰がやっても良い仕事なんて山のようにある。至る所グレイゾーンだらけだ。
一時、業務マニュアルに基づいた業務に書かれていない事をすると責任を追及するような風潮があった。それは、どこぞの医療ミスを看護師の勝手な判断ミスのようにして医師が逃げてしまっただけなのに、マスコミが看護師の暴走のような書き方で大騒ぎしたからだよね。医師のサボりを看護師が常態的にフォローしていたのに、”看護師が勝手にやった”と逃げちゃった医師が一番悪いのだけど、そちらは追求せずに簡単に記事に出来る看護師責任説で騒いじゃったマスコミも相当悪い。
業務マニュアル化は看護部が一番進んでいると思うけど、それは自分達を守るためであり、そこで生まれてきた概念がグレイゾーンの排除だと思う。
チーム医療なんて言葉は、行き過ぎたグレイゾーンの排除を巻き戻すためのものなんだよね?
 
追記:本当はね、一時の必要性に迫られて学校を沢山作っちゃったから、その受け皿を作るためにチーム医療の名のもとに仕事を別け人を増やすためのアイデアなんじゃなかろうか?と思う。その一時の必要性と言うのは、最近流行の学園スキャンダルの温床のような組織の個人利用のようなものが生み出したものか、ある時利益供与の果てに政治家が騒ぎにした人手不足かも知れない。説明を聞いていても実際にその必要性が曖昧な印象を受ける事業の概ね隠されている本当の理由は、呆れてしまうような個人や特定の組織の利益誘導の結果だったりするのかも知れない。各業界が担いだ政治家が言い出すようなことは、概ねその組織の利益を誘導する。でも、世の中そんなもんで成り立っていたりするから仕方ないかもね。
医療系の番組の視聴率が高い傾向にあるのも、高齢者の会話がほぼ健康の話と言う異常と思える健康志向の国民だらけなのも、死生観が異なれば違う反応になるのだろうね?今の日本の健康志向は国の財政を圧迫しているけど、一体誰がまいた種が花開いているんだろうか?そしてその種をまいた目的は何だったんだろうか?

| | トラックバック (0)