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2017年9月18日 (月)

観光道路でのネズミ捕りはやっぱり観光地の収入を奪うよね

以前「観光ルートでのネズミ捕りは観光客を減らす」http://noraneko-furo.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-396c.htmlと言う記事で、観光地に向かう道路でネズミ捕りをすると観光地の収入を奪うと書いたが、観光地に向かう途中でネズミ捕りに掛かると、その日観光地で使う予定の金額を警察に奪われてしまう。そのまま帰るか、そのまま行ったとしても財布の紐は締まるだろうね。そして点数が戻るまでそのルートで観光に行ったりはしないだろう。
 
免停になったらブルー免許3年×2回で6年は待たないとゴールド免許は返ってこない。以前の僕がそうだった。ゴールド免許の有効期限を含めて8年間その先に観光地に行かなかった。温泉に入って蕎麦かほうとうを食べて果物を買って帰ると、大体1万円位使うだろうか?気に入ったルートは、年に5~6回は行くから、6回×1万円×8年=48万円位がその観光地に落ちなくなったと試算できる。
 
ネズミ捕りのようなグレイゾーンの事を、例えば外国人にやったら、その外国人はどう思うだろうか?SNSは拡散しやすい。誰かがアングラなサイトに種を撒けば、これを命じた交通課の課長のプライベートまで晒されてしまったりするだろうか?以前、白バイが事故を起こしたのをもみ消そうとした巡査部長の子供の顔写真が出回っていたのを見たことがある。まあ、これはどうでも良いけど、観光ルートでネズミ捕りをすると観光地の収入を国庫が奪うのだけは間違いない。

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2017年8月25日 (金)

ノルウェーの森を読んだ

今更なんだけど、村上春樹さんの作品自体も初めてだった。
最初は、官能小説かと思った。読み終わったけど、結局何を言いたかったのかさっぱり解らなかった。あまりに人が自殺し過ぎる。みんな人生の意味を深刻に捉えていただろうか? そんなに自分がどこにいるか解らなくなるほど漂流していただろうか?1970年頃ってそんな生き辛い時代だったろうか?
それにしても直子の両親は、娘を二人とも自殺で無くすなんて、とてもやりきれないだろうなと思う。
一時期ネットで知り合った自殺志願者による集団自殺が流行った事があったな。一人じゃ死ねないけど、仲間となら死ねたのだろうか?その後聞かなくなったので、集団ヒステリーのようなものだったのだろうか?
人は人生に意味を見いだせなくなった時に死んでしまいたいと思うだろうか?それとも、期待に応えるために自分を押し殺すのに疲れてしまった時に死んでしまいたいと思うだろうか?あるいは、虐めに遭い、親に言えず、学校にも行けず、どうして良いか解らずに死を選んでしまうだろうか?
死を選んでしまうのは簡単なのかも知れない。天涯孤独ならそれもいいだろう。でも、人は人との係わりの中で生きている。自分に係わった人が死を選んだ事に遭遇した人は、必ずPTSDになる。係わりが深ければ心の傷も深かろう。きっとそれは相関する。
何の係わりも持たずに人は生きることが出来ない。親は必ずいる訳だし、場合によっては兄弟も祖父母も、結婚していれば配偶者や子供も、友達や恋人も居るかも知れない。それらの人に何の影響も与えずに死ぬことは出来ない。人としての責任としてね。だから、生きることを選択しなければならない。
この小説は、そんな事を言いたいんだろうか?
誰の解説も評論も読んでないので、正しいのかは全く解らないんだけどね。

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2017年7月18日 (火)

温泉マナー

僕は湯質の良い露天風呂が大好きです。
まあ、露天である必要は逆上せるからなんですが、湯質は上がった時のさっぱり感で草津の湯が個人的には好きです。多分肌の油分を取ってくれる弱アルカリの湯が良いのかと思います。
バイクで行くことが多いので、走って楽しめる峠道があって、帰りに美味しい蕎麦屋があって、なんてことで絞って行くと概ね行く場所が限られてきて、最近塩山方面に行くことが多くなりました。
塩山辺りの硫黄泉は、そんなに沢山ある訳でもなく、ロケーションが風が渡って涼し気な露天風呂はあまりありません。冒険もしなくなって来たことや、外来入浴をやっていないところが増えたこともあり、ますます行くところが絞られてきてしまいました。
問題は、そこが混浴だと言うことでしょうか?
僕は、女性が居ると気を使うので、正直混浴は好きではありません。女性が裸を見られるのを恥ずかしがるように、男性でも恥ずかしい人は居ます。僕の体形は20代の時に買ったスーツを未だに着られるような体形を維持していますが、知らない女性に見せたいとは思いません。
まあ、こんなことはどうでも良いのですが、どうも混浴であることで変な男性客が沢山居る事が問題です。女性客が来ると寄って行ったり、ジロジロ見たり、湯舟の外れでタバコは吸うわ、掛け湯もちゃんとせずに入るわ・・・正直マナーが悪い。
Facebookに温泉を扱ったWallが沢山立ってますが、これまで全国で200を超える露天風呂に入って来たと思いますが、そう言う所に紹介して良いのかと思います。このBlogでも「露天風呂」なんてカテゴリまで作って、それらの一部を紹介していますが、こういう行為は正しいのか疑問に思うことが増えてきました。特に地元の人たちが大事に保っているような温泉を紹介することは、良くない事なんじゃないかと思います。そう言う所は、「地元の人たちの財産をちょっとだけ貸していただく」ようなアイデアで迷惑にならないように貸していただく積りで行って欲しいのですが、Blogを読んだ人がそういうマナーで行ってくれるとは限りません。所謂大衆化をしない方が良いのではないでしょうか?
FacebookのWallでも、マナーを煩く言っているWallがあるけれども、管理者のマナーを口にして悦に入ってる感にも違和感を覚えます。正直共感できるWallもあるのですが、偽善者のお友達クラブのような運営をしている連中も目につきます。偽善者は言い過ぎですね。小学生の正義感を振りかざす、とでも言った方が正しいかも知れません。これも言い過ぎですね^^
細々とやっている宿を応援するような記事には共感します。こういうのはマナー違反だよと言っているページは時と場合に拠るでしょう。マナーは自らを律し対象者を慮る気持ちが行動となって現れます。上っ面で出来るマナーは正直偽善だと思っています。まあ、それでもしないよりはましですが。
これまでに多くの露天風呂が利用者のマナーの悪さゆえに閉鎖になって来ました。それらを何時も残念な気持ちで眺めてきました。特に入る前に掃除をして、佇まいを整えて帰って来ていたようなところが閉鎖になると寂しいですね。ちょっと脱線しました。
これらの露天風呂を閉鎖に追い込むようなマナーの人達は、BlogやWallで知らなければ、その存在自体を知らなかったんじゃないでしょうか?
僕自身はかなり慎重に選んで載せて来た積りですが、それでももう露天風呂の紹介を止めようと思います。何だか知らず知らずのうちに加担しているような気がします。

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2017年7月14日 (金)

悪い奴ほど得をする社会

3匹のオッサンとかがシリーズを重ねる理由は、ああいう風に思ってる人が多い事を物語っているんだろうなと思います。勧善懲悪ものが人気になるのは、世相なんだろうと思います。水戸黄門も長寿なのは、みんなが理不尽さに怒っている証拠なのでしょう?日本もずっと前から悪い奴が得をする世の中なんだろうと思います。大悪、と言うか、社会の深い闇は、人目に触れませんので、きっとみんな小悪を憎んでいるのでしょうね?悪い事をしている人の方が、良い服を着て、高い車を乗り回し、大きな家に住み、美味いものを食べている傾向が高いと言う事実もみんなを勧善懲悪に駆り立てるのでしょう。悪い事の定義はちょっと難しくてここでは書きませんが、法律違反、もしくは、かなりグレイでほとんど黒のようなものを指します。
巨悪と呼ばれるようなものは、巧妙に隠されていて余り光が当たらないようなところにあるので、認識しているのは極僅かな人たちだけです。また、見様によっては普通の社会制度だったりもします。巧妙に作られた社会制度は、誰か特定の人達だけに最終的に恩恵を齎すような、そんなものも指します。
それから、法的にも裁けるのだけど、権力が大きすぎて捕まえられないなんてのも巨悪の内だろうなと思います。贈収賄や強請りのような類のものでしょうね。こう言う事をする人たちって、チャンスを生かす能力が凄く高くて、余りの才覚に恐れ入ったりするんですがね。
自分の中にあるかなり面倒な正義感は、人のちょっとした悪さにも容赦ないですが、自分の悪さは2種類のみ(ちょっと書けませんが道交法に絡むものです。)で他の悪さ、少なくても法律に触れるような事はグレイも含めて一切しません。ただ、知らず知らずの内に巨悪に加担していないか心配になることはあります。
水は低いところに流れますが、お金は高いところに流れて行きます。社会制度上そうなります。誰がこの制度を作ったんでしょうね?
昔、清貧と言う言葉がありましたが、清富なんて言葉が生まれる社会だと良いですね。

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2017年7月 7日 (金)

グレイゾーンの排除

グレイゾーンの排除と言う行動が、チーム医療と言う言葉を作ったんじゃないかな?
ある組織に属する人の論文の中に「グレイゾーンの排除」と言うKey Wordがあって、びっくりした覚えがある。その論文の論調は、職種の業務範囲の明確化を謳っており、業務範囲以外の仕事には一切手を出さない行動原理を書いている。
医療なんだからさ、特に3次救急の現場には必要とされる全ての職者が揃っているなんて有り得ない。でも死にそうな人をすくためにやらなければならない事は、その場でやらなければ死んでしまう。言わばグレイゾーンなんて当たり前なんだ。流石に法律違反は駄目だけど、資格の関係ない仕事であれば、その場で教わりながらでもやらなければ死んでしまう。死にそうな人を前に業務範囲外ですから出来ません、なんて言える筈もない。
上の話しは、極端な例だけど、医療の中には誰が気づいても、誰がやっても良い仕事なんて山のようにある。至る所グレイゾーンだらけだ。
一時、業務マニュアルに基づいた業務に書かれていない事をすると責任を追及するような風潮があった。それは、どこぞの医療ミスを看護師の勝手な判断ミスのようにして医師が逃げてしまっただけなのに、マスコミが看護師の暴走のような書き方で大騒ぎしたからだよね。医師のサボりを看護師が常態的にフォローしていたのに、”看護師が勝手にやった”と逃げちゃった医師が一番悪いのだけど、そちらは追求せずに簡単に記事に出来る看護師責任説で騒いじゃったマスコミも相当悪い。
業務マニュアル化は看護部が一番進んでいると思うけど、それは自分達を守るためであり、そこで生まれてきた概念がグレイゾーンの排除だと思う。
チーム医療なんて言葉は、行き過ぎたグレイゾーンの排除を巻き戻すためのものなんだよね?
 
追記:本当はね、一時の必要性に迫られて学校を沢山作っちゃったから、その受け皿を作るためにチーム医療の名のもとに仕事を別け人を増やすためのアイデアなんじゃなかろうか?と思う。その一時の必要性と言うのは、最近流行の学園スキャンダルの温床のような組織の個人利用のようなものが生み出したものか、ある時利益供与の果てに政治家が騒ぎにした人手不足かも知れない。説明を聞いていても実際にその必要性が曖昧な印象を受ける事業の概ね隠されている本当の理由は、呆れてしまうような個人や特定の組織の利益誘導の結果だったりするのかも知れない。各業界が担いだ政治家が言い出すようなことは、概ねその組織の利益を誘導する。でも、世の中そんなもんで成り立っていたりするから仕方ないかもね。
医療系の番組の視聴率が高い傾向にあるのも、高齢者の会話がほぼ健康の話と言う異常と思える健康志向の国民だらけなのも、死生観が異なれば違う反応になるのだろうね?今の日本の健康志向は国の財政を圧迫しているけど、一体誰がまいた種が花開いているんだろうか?そしてその種をまいた目的は何だったんだろうか?

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2017年7月 1日 (土)

今の選挙制度はもう古いかもしれない

日本人の殆どが携帯端末を持ち、自由に自分の意見を発信できるようになったら(まだだけど^^)、選挙制度はもっと簡素化されても良いかも知れない。
26年の47回衆議院選挙の投票率が52.66%、25年の都議選が43.5%で、半分しか投票しない選挙で選ばれた議員が、”国民や都民の信託を得て”なんて言っても空々しい。
年寄りしか行かない選挙で決められた議員が、 若い人達の事など考慮する筈もないし、老い先短く孫世代の心配をする余裕も無ければ、日本がこの先どうなろうが知ったこっちゃなかろう? 年寄り相手に、”未来のために”なんて政治家が言っても相手にされる訳もない。
選挙になると送られてくる投票カード(先にはこれすら要らない)にQRコードでも埋めて、本人確認が出来ているスマートフォンでなら、投票可能にしてしまえば良い。QRコードでログインしたら、候補者のマニフェストを読んで良ければ”いいね”しておく、”いいね”リストから誰にするか最終的に決めて投票すれば良い。若者が”いいね”するようなマニフェストを書ければ当選するだろう。その後再選を果たすには何か実績を残せばいい。前回のマニフェストの達成度を誰に評価させるかは若干難しいが、出来もしないことを書いてれば再選は難しい。投票所に行きたい人は、投票カードを持って投票所に行けば良い。
もう、この位しないと投票率は上げられない。まあ、現行の議員が自分に不利になりそうな選挙制度を押す理由は無いから、とりあえずは現行制度で若い人達が投票に行って変えるしかないのだけどね^^
どんな時代でどんな制度下であっても、望む人たちが自分たちで勝ち取らない限り与えられない。文句を言うだけで自分で動かなければ、誰も何も与えてくれないのだから。

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2017年6月26日 (月)

単に命を繋ぐこともそれに当たるかな

Vexilleと言うアニメの中では、”命を繋ぐことで我々の存在は永遠である”と言うことを題材としていると思われますが、子孫達の持つDNAは自分のDNAのコピーとして、自分のDNAも遥か遠い先祖が命を繋いで来てくれたから存在するのです。ですから、子供を作ることで自分の存在は永遠になると考えられます。
網羅的に思考すると、情報のコピーは脳を媒体とするmemeの伝播として捕らえても、無機的なコンピュータ上でのbit列の単なるコピーでも、有機的な生殖行為として子供を作ることによるDNAの減数分裂及び合成と捕らえても、”情報を繋いでゆく”と言う行為には差がありません。
(memeとは、模倣の単位と言う概念を伝える名詞として、模倣に相当するギリシャ語の語源とするmimemeと言う単語をリチャード ドーキンスがgene(遺伝子)に対比させた造語だそうです。ミームが遺伝子プールと同じように、ミームプール 内で繁殖する際には、広い意味で模倣と呼びうる過程を媒介として、脳から脳へ渡り歩く、としています。)
memeの自然淘汰の動作原理は、魅力的かどうかだけですが、日本におけるDNAの自然淘汰の動作原理も、また、魅力的かどうかですよね?日本では、生殖可能年齢を過ぎるまで餓死するとか、戦争で死ぬとか、社会的に小さな紛争で命を落としてしまうとか、病気等で生殖機能を失ってしまうとか、そう言った事はあまり起こらない。(仕事に熱中するあまり、結婚をしない、もしくは、結婚しても子作りをしない、なんて人達が増えてきているので、ちょっと話が複雑にはなってしまっていますが・・・)
普通の生物は、豊かで有るほど個体数を増やすのですですが、人間の場合はどうも逆のようです。日本は少子高齢化が進んできていて、例えば60年後を考えれば(それまで日本が存在しているか解りませんが・・・)、日本の人口は今の半分くらいになっていて、バランスが戻るかも知れませんね。
リチャード ドーキンスは、遺伝子を主体として、個人をDNAを繋ぐ媒体でしかないと説いているようですが、Vexilleと言うアニメの中では個人を主体として、子孫に対するDNAのオリジナルとして永遠であると見ていると思われます。要するに立ち居地を変えて同じものを見ているとも言えます。
我々は生命として出現して、死んで消滅してゆきますが、子孫に引き継がれる情報は、種そのものが滅んでしまわなければ常にモデファイされながら残り続けます。

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2017年6月19日 (月)

憲法を改正出来た時こそ日本が戦後を脱する時なのかも知れないね

経済企画庁が経済白書「日本経済の成長と近代化」の結びで「もはや戦後ではない」と記述したのは1956年だったらしいが、それから更に60年経った今でも日本にはアメリカ統治時代の影響が色濃く残っていると思う。

戦中戦後を生きてきた人たちは「もう戦争はごめんだ」と思っているだろう。平和な300年が江戸文化を花開かせたのは明確な事実だと思うので、後230年位平和を保てれば日本独自の面白い文化が芽生えるのだろう?その一つのプロセスが憲法改正なら悪くは無い。その時は日本人なりの憲法を作ればいい。

でも、戦争に加わるための憲法改正なら反対したい。現在、憲法改正に否定的な人たちには、改正の目的が国際貢献と称してアメリカの戦争に加わるために見えるからだろう。属国扱いして来る国から「我が国の戦争に加担しろ!」と言われて、「君たちが押し付けた憲法に戦争の放棄と書かれているから、出来ない物は出来ない。」と言い続ける方が、言い訳としては筋が通っている。仮に「金は出すけど人は出さない」と誹りを受けても平和を失うよりは余程良い。

島国に住み長く独立を保ってきた日本人の明確な目標は永劫の平和だと思う。三浦瑠璃さんの言葉を借りれば「日本の核心的利益は平和」である。誰の傘にも入らず、何処からも属国扱いされなくなったら、その時は平和と言う核心的利益のために憲法を変えれば良い。きっと日本は、その時初めて戦後から脱却できるのだろう。

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2017年6月12日 (月)

第三世界を夢見る

新しい攻殻機動隊を見た時、第三世界って、結局全ての宗教が持つ死後の世界みたいなものだよね、って思った。現世の不遇を来世の厚遇に置き換えるのは宗教の王道だ。メンテナンス出来なくなった部品を生存維持のための不可欠な部品として持つことは、部品の故障が死を意味する。生体で心臓や脳と言った五臓六腑のどれが故障しても死を意味するのと変わらない。
物語の中ではアップグレード出来ない義体を選んでしまった事が緩やかな死を意味するが、それがアップグレードの有無を提供する側の企業体の利益追求の結果にとなってしまったら、人の生き死にも企業利益の道具にされてしまう、それが問題なのだろう?
経済的な格差は、人の生死に影響する。それは今も変わらない。唯、生体であり身体的エリートであるならば、経済的な格差の影響は僅かであり、人は自由に生を全うできる。違う所はそこだろうか?
人は何歳まで生きられれば満足なのか解らないけれども、天国でも来世でも永遠の命を求めるが故にゴーストが宿る機械に永遠の命を委ねるが、それすら企業の利益追求の道具でしかないのなら皮肉なものだ。結局企業は人の欲を売り物にする。家電製品なんかと何も変わらない。
人の生死を企業の金儲けの道具にしてはいけないと言う警告だろうか?
何かの都合でこれ以上生きられないと悟った時、第三世界を夢見て自ら命を絶つ。生体パーツが機能しなくなって寝たきりになった時、天国に行くことを夢見て自殺するのと変わらないように思える。
結局、生身であっても、義体であっても、永遠に生き続ける事は出来ず、企業利益の追求と言う生臭い動機が人に引導を渡す。そんな企業が死神のように思える。
第三世界を夢見るとは、死神から逃れ、神に縋る、そんな人間らしい行動にしか思えない。

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2017年6月 2日 (金)

今度はそう来たか?

菅長官、プーチン氏の北方領土発言に静観の構え
なんて記事を見て、そう思った。
北朝鮮と同じだよね。ロシアも余程内情が苦しいのだろうか?
北朝鮮が核を放棄したらカードが無くなってしまうように、ロシアも北方領土を返してしまったら日本からお金を引き出すカードが無くなってしまう。
だから、彼らは絶対に返すような事はしない。
日本ももっと強かになるべきだね。

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